純然たる誠実に告ぐ | ナノ

タラップを登りきって二階堂たちが足を踏み入れた甲板の上は、気味が悪いほどに静まり返っていた。人影が見当たらない異様な様に承太郎はやはり何かおかしい、と身構えたような表情をしていた。救援信号を受けた船であるというのなら、どこでどの位置から信号が発せられたのかをタイムリーに知ることが必要だ。ならば無線室にはまず人がいることだろう。一行達はそれを探しながら、決して綺麗とは言えない、薄汚い船室を歩いて回った。どの部屋にも鍵はかけられておらず、ただがらんどうな味気ない部屋が連なっているばかりである。部屋に踏み込んで、二階堂はぺらりとベッドのシーツを捲ってみた。皺一つない。まるで"最初から誰も乗っていない"かのようだ、と彼女は無表情ながらにそう思った。アヴドゥルもそれに気づいたのか、眉をひそめた。ようようたどり着いた無線室にも人影は見当たらない、一向に焦りと緊張が募っていく。開け放たれた操舵室の扉の先で機会音を起てて、正常に作動している様子を見せた。まるで異様な光景だった。

「なんだ……この船は!?操舵室に船長もいないッ!無線室に技師もいないッ!誰もいないぞ!!それなのに見ろッ!計器や機械類は正常に作動しているッ!!」
「全員ゲリ気味で便所入ってんじゃあねーのかッ!」

おい、誰かいないのか!ジョセフが声を張り上げても、なにも聞こえない。ただごうん、ごうん、と船が動く音だけが聞こえた。二階堂はただ、ソナーの音が耳障りだと思って静かにそれを見つめる。"スタンド使いがこの船に乗っていたとしても、この船に乗船する"、そう言い放った当の本人は不審そうな表情でいたが、二階堂はポルナレフの下したその選択を特別危惧してはいなかったし、むしろこの状況は、返って好都合だと考えていた。
この船にスタンド使いが乗っている、という可能性は、ほぼ百パーセントなのだろう。安直にも二階堂はそう考える。なぜならこの『ジョジョの奇妙な冒険』が冒険譚である以上、次から次に敵に襲われるのは避けられないからだ。ならばそれを逆手に取るまでである。目に見えないが、確かにこの船には敵がいる、それだけ分かるなら十分だ。
この船の機器は、律儀にもシンガポールへ向けた進路をとっていた。ならばそのスタンド使いからの攻撃を避けつつ、目的地までたどり着けばいい。
きょろきょろとあたりを見回していた家出少女が何かを見つけたのか「みんな、来てみて!こっちよ、こっちの船室」そこは薄汚れた貨物室のようだった。鼻を突く異臭に二階堂は少しだけ眉を顰める。獣臭い。

「猿よ」

「檻の中に猿がいるわ」家出少女の指差した先、たしかにすこし薄暗いその部屋の片隅に設置された檻の中に、どっしりと構えるようにして丸々と太った巨体が佇んでいた。「オランウータンだ」花京院が小さく呟く。その瞳が、二階堂のことをじっと見つめていた。気色が悪いと思って、二階堂はついと目を逸らす。どこか身に覚えのあるような視線だと思った。

「猿なんぞどうでもいい!こいつにエサをやってる奴を手分けして探そう!!」

ジョセフがオランウータンから目を離して、後ろにいたアヴドゥルを振り返る。二階堂もその視線の先をついと見やって、「!」次の瞬間、ダガーを宙に放っていた。

「アヴドゥル!その水兵が危ない!!」

ジョセフがそう叫んだ時には既に、二階堂は"その水兵"の頭上にいた。一拍前に投げていたダガーと自身の位置を入れ替えたのである。結果絶妙な位置に瞬間移動したことになる二階堂は彼の頭を蹴散らすようにして昏倒させると、手に持ったマチェットを振りかぶり、二三回転させると右手でぶおん、と音を起てて切り上げる。アヴドゥルが振り返った時に見たのは、太いワイヤーにマチェットを叩き付けるようにして勢いを相殺しようとする二階堂の姿だった。しかしその十分に勢いの付いた錐の慣性には耐えられなかったのだろう、ナイフは弾かれ、その鉤爪が彼女の鳩尾に打ち当たった。二階堂は勢いよく吹っ飛ばされて、少し離れたところに積まれたスチール製の一斗缶の山に背中をしたたかに打ち付ける。半ば突っ込むようにしてぶつかった二階堂の体の上に、がらがらがらと音を起てて、空の缶の山が崩れた。

「要!!」

花京院が駆け寄ったが、二階堂は無表情のまま体を起こした。花京院の手も借りず立ち上がると、頭上をぐるりと見渡す。どこにも人影は見られない。眉間に皺が寄る。彼女の横暴な対応にクルーの何人かが非難の声を上げたが、彼女はまるで知らんぷりだった。

「誰か、あの操作レバーを動かした奴はいたのか」

二階堂は静かに訊ねる。クルーの一人がおずおずと手を挙げた。「俺…見てたんだ、だれも…"だれもさわらないのに"……」彼は必死の形相で続ける。

「誰も!あの操作レバーにさわらないのに、クレーンが動いたのを俺は見たッ!ひ…ひとりでにあのクレーンはアイツを刺し殺そうとしたんだッ!」

二階堂はジョセフを見やる。気をつけろ、やはりどこかにいる。彼は確信しているようだった。二階堂は小さく頷いた。
やはりこの船舶は一行を救助するためなどではなく、皆殺しにするためにやってきたらしい。敵はひとりか数人かわからないが、スタンドを使ってレバーを操作したというのなら、クルーの目に見えないのも頷ける。しかし誰も、スタンドの影すら見てはいなかった、そしてクレーンの一番近くにいた、アヴドゥルさえ、「何も感じなかった」と言ったのに、一行は眉をひそめざるをえなかった。しかし二階堂は小さくふうと安堵の息をつく。今回は、危うくスプラッタにならなくて済んだ。
二階堂要は、人間の血を見るのが嫌いだ。




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