純然たる誠実に告ぐ | ナノ

ナイフをそこかしこに仕込んだせいでずしりと重くなった、いつもの黒コートをセーラー服の上に羽織って、潮風に当たる二階堂は少し上機嫌だった。財団に頼んだナイフの増本とコートの新調は、一夕一朝でできるものではなかったらしく、完成次第、連絡が入ることになっている。海のシルクロードをゆくとはいえ、何十日間も海の上ということはない。遅くとも三日後にはシンガポールで一段落つけると聞いていたから、それくらいにはきっといい仕事をしてくれることだろう。彼女はSPW財団の仕事の出来を、いままでの経験から、かなり高評価している。それまでこれで乗り切ればいい、と、ひとまず二階堂は黒コートの裏側にベルトを通して、アメリカ・ボウイとランボー、ダガー四本分のホルダーをぶら下げていた。袖の裏にはかさばらないダガーが左右に二本ずつ、少し取り出すのに手間取るが、マチェットはスカートの下の太ももに直接ホルダーを巻き付けてある。半ば応急的な改造だったが、出来は悪くはない。それが彼女の上機嫌たるゆえんだった。問題は、潮風にあてられて仕込まれた13本のナイフたちが痛まないか、というところにあるが、キチンと手入れをすれば問題ないだろう。
沖に出てから十数時間、南下すればするほど、気温はじわじわと上がってきているのがわかる。肌を刺すように冷たい風だった上海沖よりも、今はずいぶんと蒸し暑くなってきていた。普通の人間なら、じんわりと汗をかきそうなくらいだろうか。じりじりと照りつける陽の光を見上げる。手で蔭しても眩しくて、雲の白さすらまともに見ることは出来なかった。コートはさっさと脱ぎ捨てて、マリンボーダーのランニングシャツから鍛え上げられた腕を惜しげもなく晒したジョセフが、甲板の隅に腰掛けていた二階堂に顔をしかめる。

「要も暑そうな格好をしとるのお…」
「暑くないわけないだろう」
「できるだけ陽にも当たらんほうがいいんじゃないか?」
「……そうかも」

自分はなるべく船室に籠っていた方がいいのかもしれない、いままでさんざ陽のもとに居ておいてアレだが、潮風に晒されるナイフたちも心配だ。そうおとなしく判断を下した二階堂は、甲板で心地良さそうに椅子に寝転がる花京院や承太郎を尻目に、さっさと船室へと退避したのだった。あんな日光のあたるところで学ランだなんてあいつらはきっと頭がおかしいに違いない。なにが「ガクセーはガクセーらしく」だ。コートの下はセーラー服である自分のことはいつものように棚に上げて、少し蒸し暑い船内で一人息をつく。二階堂は暑さを感じないわけではない。暑くても耐えられるだけで、紫外線から肌を護ってくれる黒コートは彼女にとって体の一部といっても過言ではないほどの必需品になっているから、仕方なしに着ているだけだ。セーラー服だけになれたら、多少涼しいかもしれないが、もしものこともある。今朝とうとう金色に色を変えた眉毛を人差し指で擦るように撫でながら、何か飲み物はないかと船員に訊ねる。ぐるりと船室を見渡した二階堂の視界の端で、何かが動いたような気がした。

「水くらいしかありませんが…」
「いや、やっぱりいい。それより、そこにいるのは誰だ」

船員は首を傾げる。どうやら気づいていないようだったが、二階堂はじっと身を潜めるそれを一度、視界の端に捉えていた。ネズミにしては大きい。この船に『隠れなければならない』存在は乗っているはずがない。乗客は二階堂たち一行、そして十名の船員たちだけだ。その場にぴりりとした緊張感が走る。新手のスタンド使いかもしれない。二階堂はこの船に乗り込む前に、キチンと隅から隅まで自分の目で確認した覚えがなかったから、その可能性を捨てきれなかった。しかし息を殺すにも、気配をなくすにも、とてもじゃないが"がさつ"だ。仮に敵であったとしても、大した輩ではなさそうだ。そう判断した二階堂はユノーを使って、その『何か』を引きずり出すことにした。透明になったユノーが、天井を伝うようにしてじりじりと近寄っていく。二階堂の目には赤い宝石の粒が天井を這っているようにだけ見えていたが、それは二階堂にしか見えていないヴィジョンだ。物陰に回り込むと、ユノーはそうそうにじわじわと姿を現す。二階堂は眉をよせた。そうしろと命じたつもりはなかったからだ。しかしユノーはその大口を下品にもばっくりと開いてずらりと牙を剥きだしにした。ゲラゲラと笑うような顔をして、扉をばしばしと無意味に叩く。二階堂の隣で、船員がひっと悲鳴を上げた。二階堂は気にもとめなかった。ユノーはその人間を模した手で、物陰で間抜けにもガタンと音を起てた原因の襟足をひっ掴んでは、勢いよく引っ張った。

「な、なんだ!?」

ユノーが見えないのか、小柄な少年が目を白黒させながら二階堂の足元に引きずり出される。とたんに船員が怒声を上げたものだから、二階堂は少し眉間に皺を寄せた。うるさいのは好きじゃない。二階堂がじっと少年を見下していると、間もなくばたばたと少年は逃げ回ろうもがいたが、いかんせんユノーが離さないせいで体の自由が効かない。あえなく船員に捕まって、甲板の方へと引きずられていく。

「はなせ!はなしやがれこのボンクラが〜〜〜ッ!!」

二階堂はそんなこと知ったことでは無いと言わんばかりに、薄暗い船倉の奥へと足を踏み入れた。はしごを伝って、歩みを進める。暗がりの奥からユノーが呼んでいるような気がした。



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