純然たる誠実に告ぐ | ナノ

あれから香港沖35km地点に不時着成功、乗客のほとんどは救助されたが、その一時間後に機体は沈んだ。それに伴い、機長を含む三人の操縦士、今回の事件を起こした張本人であるグレーフライ、巻き込まれてなくなった乗客数名も同じく海中に沈むこととなった。引き上げられるまでこのままだというのが、若干心残りである。きっと早くて数日、遅くて数週間はかかることだろう。一般人を巻き込んでしまった、更には死人を出したという事実を、一行は重く受け止めていた。
二階堂は前世の分も併せて、まったく人生初の飛行機墜落事故に遭遇したわけであるが、動揺もショックも、「これが漫画という作り話である」以上、考えるのも驚くのも無駄だ、という思いでかき消したかのように、至って冷静で、別段何も感じてはいなかった。目の前で幾人もの命が奪われ、半ばスプラッタのような死体を目にしたというのに、まるで恐れやら何やらの感情が欠落したかのように、あるいはまるで読者の一人であるかのように、目の前を通り過ぎていく出来事をただ淡々と冷静に眺めていた、と言うべきだろうか。ジョセフ達から見れば、心ここにあらずというに相応しかったかもしれない。(もっとも、言葉を失うほどのショックを受けているのだろうと彼らは捉えていたが。)二階堂はふと思うことがあって、喉元に手を触れる。一瞬感じた喉の渇きも、いつの間にか消えていた。
もっとも、彼女の頭は別のことでいっぱいだったために余裕が無かった、というのもあるし、彼女自身もまったく複雑な心境であった。タワーオブグレーを倒したのが、誰でもない、花京院典明その人だったからである。『命を懸けた旅だ』というのに、二階堂はまんまと花京院を命の危険に晒したというわけだ。彼女にはそれが引っかかっていた。自分は全く、花京院は『その時』になるまで死なないと知っていたから、油断したつもりでいたのだろうか。現に彼は軽傷とはいえ、怪我を負っている。かたや二階堂は無傷だ。しかし二階堂やアヴドゥル、承太郎があの状況で危険なくタワーオブグレーを倒せていたかというと、花京院が彼らに指摘した通り、その可能性は、きわめて低い。特に、二階堂とあのクワガタ虫との相性はこれでもかというほど最悪だった。そもそもあんなタイプのスタンドがいるとすら思わなかった。
(…ていうかスタンドってなんなんだ。『まったく何でもアリ』とでもいうつもりか)
二階堂は口をへの字に曲げる。ああいう状況のもとでどう戦うか、自分のスタンドをより有効に使うには。頭の中だけでもシュミレーションしておくべきことはたくさんある。心臓にさえ触れられればなぞ考えていた自分が馬鹿だった。おとついの自分を叱ってやりたいような気分だった。
(それから、物語にはゲームバランスがある、ということも、すっかり忘れていた)
二階堂にはもうひとつ、考えなおさねばならないことがあった。すなわち、二階堂にあった『花京院がいなくても』という思いは、とてつもなく間違った判断だった可能性があるということである。なんたって『命の保障』がされていないのは、花京院だけではないのだから。主人公である承太郎やジョセフ、アヴドゥル、そして自分。どれかが欠ければ、この先に何が起こるかわからない。『原作』をねじ曲げることによって、DIOが『物語』のセオリーを覆してしまいかねない。そんな危うい線の上に自分が立っているのかと思って、二階堂は一度だけ身震いした。
一行を含め乗客たちは、ひとまず香港に入国することになり、手続き云々を済ませるうちに夜は明けてしまっていた。

「われわれはもう飛行機でエジプトに行くのは不可能になった」

アヴドゥルが静かに言う。

「また…あのようなスタンド使いに飛行機内で出会ったなら、今度という今度はより大人数を巻き込む大惨事を引き起こすだろう。陸路か…海路をとってエジプトに入るしかない……」

ジョセフは小さく頷いた。二階堂は内心、出発前にあれほど悩んだのが馬鹿みたいだと思う。ともあれ、これで花京院が『同行しない』という選択肢はもともと不可避であったことは明らかになった、これ以上彼に『帰れ』ということは、しないことにする。それに、DIOに直ちに遭遇するなんてシナリオは消え失せた。『その時』まで、まだ、猶予がある。かといってフラグがへし折れた訳ではない。微妙な心境だった。
ちらりと花京院の様子を伺ったが、ぱちりと目が合って、二階堂は僅かに目を見開いてから静かに逸らす。自分に掛ける心配なんて無駄だ、そう言わんばかりに、目を逸らしては息をついた。それまで黙っていた二階堂は、唐突に口を開いた。

「ジジイ」
「なんじゃ」
「ちょっと買い出しに行ってくる」
「一人で行くのは危ない。…おい承太郎、付いていってやれ」
「付き添いなんていらない」
「要、君は自分がDIOに狙われていることを忘れたのか?」

花京院の言葉に、二階堂は言葉に詰まって顔をしかめた。承太郎が高い位置から二階堂の目を見下す。一瞬視線が交錯したかと思うと、無表情に戻った彼女は黙って歩き出した。

「承太郎、すまんな」
「フン」

承太郎は二階堂のその後ろ姿を追う。二階堂と比べてもコンパスがずいぶん長い彼ならすぐに追いつくことだろう。二階堂も本気で逃げるつもりもなさそうだと思って、花京院は小さく息をついた。

「我々は先にホテルに行って、ロビーで一休みするとするか。……それにしても、要は花京院の言うことはよく聞くのう…あやつはわしへ反抗期なのか」

ジョセフが少ししょんぼりとしたような声で言う。花京院は「そんなことないですよ、要はわたしの言うことだって、いつもはまったく聞き入れようとしない…」そう返して苦笑した。




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