純然たる誠実に告ぐ | ナノ

花京院は空条家の一室で、ひとり静かに考える。
二階堂のあの性格だ、ああいいだすのも無理はないと思っていた。第一、二階堂の言うところには筋が通っていないわけではない。彼女は『不誠実』たる嘘を嫌うし、いつだって正論なのは、十年も前から変わっていないらしい。もっともなことだ、と、花京院は小さくため息をついた。
しかし、花京院にも意地がある。承太郎には「そこんところはよくわからない」とは言った手前、彼には恩義を感じているし、彼は敵であった花京院の命を、洗脳されていたとはいえ命を狙ってきた相手を、本当に「そんな理由」で救った。彼は誠実な男だ、花京院はそれに気づいて、思わず感涙の涙を流した。花京院は今まで、そんな人間に出会ったことがなかったから。けれどもその単純な理由ひとつだけで、彼が命をかけた旅に同行を申し出たのかといえば、それは嘘になる。
花京院典明には、譲れないものがある。それは一朝一夕で培われたような、単純で明快な、はっきりとしたベクトルを持つ意志とはまるで違ったものだった。彼の過ごしてきた人生の中でも最も深く、一筋縄ではいかない。混沌としていて屈折していて、半ば妄執のようになってしまったものだった。
彼は十年も前のあの冬の日、人生で初めて、自分の大切な人を目の前で失くした。
二階堂によって命を救われた、と大げさには言わずとも、彼はあの時、二階堂のお陰で軽い切り傷で済んだのだという事実は、あの時だって全く理解していた。頭ではわかっていたのだ。けれど彼の本能は、二階堂の放つ液体窒素のような殺気に"芯から"怯え、胃酸が逆流し食道から口を伝って溢れ、チカチカと視界に閃光が瞬いて。狐に起こされて、立ちあがるのもやっとだった。その狐に覗き込まれて、彼は気づく。その目の色のゾッとするほどの美しい赤色が、頬にこべりついた生温かいそれと全く同じ色であったことを。花京院は狐の身体中を這い回る宝石に、言いようのない恐怖を感じた。
狐が指差す。
いっそ息をするのも忘れていた。
彼の本能が警鐘を叫ぶ。
これが、"彼女"なのだ、と。
鈍く光る銀色に、最後の正気を振り絞って彼女の名を叫ぶ。ふっと弛緩したその空気に、ようやく肺が機能したような気がして、しかし身体の震えは抑えることは、できなかった。

花京院。

いつもの冷静な声色じゃあ、なかった。
けれど、自分がいったい何をしたのか、分かっている目だった。
花京院は、あの時の、二階堂の瞳に宿った絶望の色を覚えている。
確かに、彼女は異常だった。尋常じゃあなく、怖かった。恐ろしかった。あの時の二階堂の瞳に見つめられたら、きっと自分は息をすることも出来ずに、きっと、そう、死んでしまうかもしれない。あの、水から飛び出したせいで太陽の光に灼かれて死んでしまった、納涼祭の小さな赤い魚のように。
二階堂が花京院に向けて、手を伸ばす。それだけで、彼はびくりと震えた。
こわい。
そればかりが頭に巡って、花京院は二階堂の顔すらまともに見ることすら出来なかった。重い沈黙に息が詰まる。やがて、ごめん、と落とすように言って、二階堂は俯き、黙って花京院に背を向けた。二階堂が立ち去ってしまってからも、彼はしばらく、あの場から一歩も動けなかった。
あの日を境に、突然あの街から消えてしまった彼女。別れの言葉もなく、それからの足跡も掴めず、失せもの、なんて言葉とはそれまで縁がなかった花京院が、唯一、見つけることすら叶わなかった。どこにいっても見つからない。町中走り回っても、もとから彼女なんて存在しなかったかのように、二階堂はどこにも足跡を残さなかった。七歳だった花京院にとって、それはほとんど死別と同じような気分だった。全く幻だったのだと思えたら、忘れてしまえたら、なんて好都合だっただろう。けれど彼の頬に残った傷は、塞がるまでに一週間もかかったし、なにより二階堂は、花京院にとって、生まれて初めて出来た『友達』だった。特別な人だった。大切な人だった。
あの幼くもどこか達観したところのあった、どこまでも恵まれない二階堂要という少女を、彼は大切にしたかった。
それが叶わず、むしろ彼女深く傷つけたという事実は、頬の傷が跡形なく消えた後も、時を経るごとに色濃くなっていく。花京院は二階堂に許されたかったのかもしれない。
彼はずっと、二階堂のその幻想ばかりを求めて、そして彼は、10年という時を経たある日、DIOという男に出会った。
忘れることの叶わなかったあの殺気は、一瞬、彼女かと見まごうほどのそれだった。足が竦んで、体が凍りついたかと思った。『あの時』と同じだという自覚とともに、胃が痙攣し胃液が逆流してくる。口許を抑えた花京院に、男は小さく笑いをこぼす。

「ゲロ吐くほど怖がらなくったっていいんだぜ……花京院くん、恐れることはないんだよ。『友だち』になろう」

その、子どもに言い聞かせるような『やさしい』声に、"安心してしまう"と同時に。あの瞬間、自分は二階堂に許されたかのような心地がしていた。まったく正気ではなかった、と今では思う。精神的に"屈した"上で、自分の弱さが"許された"と錯覚した、あの惨めな自分を呪って止まない。

「君が捜している女の子を、私が見つけ出してあげよう」

その甘言に乗った自分をいっそ、刺し殺してしまえたらと思う。先に出会ったのが承太郎だったから自分が返り討ちにあっただけで済んだ。その事実に安堵を覚える。もし先に二階堂に出会っていたら、自分がどんな選択をしていたかと思うと、それこそが恐ろしい。
DIOは二階堂を欲していた。
理由は、花京院は彼女の『恐怖』を知っているからこそ、だいたい想像できる。
あの二人には、目に見えない鎖がある。
だから、今度こそ、と花京院は、自分に誓ったのだ。

花京院典明は、二階堂要を護りたい。




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