純然たる誠実に告ぐ | ナノ

「……ホ…リィ…」そう呟いたジョセフの声は小さく、いつもの覇気は感じられなかった。ジョセフはホリィを溺愛している。二階堂は、彼が冷静を保てるとは思わなかった。瞬間。身長195センチの大柄な承太郎の体が壁に打ち当たる。

「わ…わしの……わしの、も…最も恐れていたことが起こりよった……」

承太郎の胸ぐらを掴むジョセフの腕は震えていた。二階堂は奥歯を噛み締める。彼は常に気丈に振る舞っていたが、この不安にいつも苛まれていたことは、よく知っていた。ジョセフが彼自身のスタンドを発現させてから、国際電話を彼らのもとへ幾度となく頻繁に、わざわざ繋いでよこしていたのも、その心配からである。『抵抗力』を持っていないのではないだろうか、と電話を切った後の受話器の前で思い詰めたような彼の表情を、二階堂は何度か見ていた。

「DIOの魂からの呪縛にさからえる力が、ないんじゃあないかと、思っておった……」

承太郎がジョセフの義手を掴む。また彼自身にも、思うところがあったのだろう。その握力に、ジョセフの金属製の義手が、ギチギチと音を起てた。

「言え!『対策』を!」

承太郎の瞳に、ジョセフの瞳がいつもの力強さを徐々に取り戻していく。「ひとつ…」ジョセフは絞り出すようにして口を切った。

「DIOを見つけ出すことだ!DIOを殺して…この呪縛を解くのだ!それしかないッ!」

そして二階堂は確信する。ああ、これこそが『冒険』の始まりであるのだと。承太郎の瞳には、覚悟を宿した光が宿っていた。彼はもう、決めている。その堂々たる様に、二階堂は息を呑んだ。

「しかしわしの念写では奴の居所は分からんッ!」
「奴はいつも闇に潜んでいる…いつ念写しても背景は闇ばかり!闇がどこかさえ分かれば…今までいろいろな機械やコンピューターで分析したが、闇までは分析できなかった」

そのアヴドゥルの言葉に、差し出されたポラロイド写真を片手に承太郎はおい、と眉を潜める。

「それを早く言え。ひょっとしたらその闇とやらがどこか…わかるかもしれねえ!」

承太郎のスタンドが鋭い眼光で写真を見つめる。背後の空間の闇から見つけ出した物を、与えられたボールペンでスケッチしだした。そこにいたのは、一匹のハエだった。二階堂はその精密な再現度に、息を呑む。

「ナイル・ウェウェ・バエ…じゃないか?」

見覚えがあったのか、アヴドゥルが口を開く。「ナイル…なんじゃと?」ジョセフが聞き返したのに、二階堂が訂正した。

「いや、これは多分、アスワン・ウェウェ・バエだ。…ナイル・ウェウェ・バエの一種。脚に縞模様がある。1970年に完成したアスワン・ハイ・ダムの建設の影響で、ダム付近に異常発生した種、だと思う。ずいぶん前に、テレビでドキュメンタリー映画で放映してた。『エジプトナイル氾濫防止のためのダム建設とその弊害』ッてタイトルで…」

お前はまたそんなくだらんものをよく覚えとるのう、ジョセフは半ば呆れたように言った。

「しかし今回ばかりは、その記憶力に感謝じゃ……エジプト!やつはエジプトにいるッ!それもアスワン付近と限定されたぞ!!」
「やはりエジプトか……いつ出発する?わたしも同行する」

後ろから聞こえたその声に、二階堂は目を丸くして振り返る。

「花京院……同行するだと…?なぜ、お前が?」

承太郎が眉をひそめる。花京院は微妙な顔をしていた二階堂にちらりと一瞥をよこしてから承太郎に目を合わせると、態とらしく首を振った。

「そこんところだが……なぜ…同行したくなったのかは、わたしにもよくわからないんだがね…」

承太郎には身に覚えのあるセリフだったのか、彼は少し顔を顰めてケッと小さく声を漏らした。花京院は額の包帯に触れながら不適に笑って言った。

「……お前のおかげで目が覚めた。ただそれだけさ」

花京院のその言葉に、二階堂は無表情のまま、小さく歯ぎしりを立てる。彼女には、花京院のその理屈が全くチンケなものであるという意識しかなかった。彼はこうして旅に加わろうとしてくるのかと頭の中で納得しつつ、彼女はそれを二つ返事ではい、そーですかと認めるわけにはいかなかった。

「私は反対だ。関係ない他人を……しかも未成年を、連れて行くべきだとは思わない。この旅は、タダの観光旅行なんかじゃあない……命の保障だって、出来ない」

二階堂はあえて冷徹な声色で言い放った。花京院が目を丸くする。そんな彼に睨みつけるような一瞥をくれてから、二階堂はホリィの身体を姫抱きにして立ち上がった。
踵を返した二階堂についてジョセフだけが二階堂の後を追ってきた。二人は終始無言で、ホリィの寝室へと向かう。彼女を寝かせるために布団を敷き、二階堂が静かに降ろしてから、ジョセフは二階堂に向けて口を開いた。

「あの少年…本気じゃろうよ」

二階堂の口からは、返事よりも先にため息が溢れた。

「……DIOの手下がどれほどいるのかも分からない今、花京院は我々にとって貴重な味方じゃ」
「それじゃあ……アンタには花京院の命が保障出来るのか?」

彼女の声には、誰の反対意見も認めない、とでも言うような強い意志が感じられた。

「ジジイ、アンタがいくらホリィさんのことが心配でも……身内以外を巻き込むもんじゃあねェ」

そしてジョセフは思い出す。花京院は、かつて二階堂が『守れなかった』、『大切な人』であったということを。
彼はやれやれとため息をついた。彼女の中で、花京院は十年も前から庇護対象に入っているというわけだ。二階堂なりの、不器用で無骨なその意志を汲み取って、ジョセフはまるで男女逆転劇の美女と野獣のようだと思った。……まったくこれでは、野獣が美女だ。




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