二階堂は思わず顔をしかめないわけにはいかなかった。彼女は今、とても腹が立っていて、しかも考えていたことは全てジョセフの掌の上で、まったくバカバカしくていられない、と思ったら、今度はジョセフと同じくらいの身長の大男が目の前に立ちはだかっていたからである。おまけに彼の肩の上には、転んだだとかでは到底出来るとは思えない傷だらけの青年。どうやらまったく、この男はまた面倒ごとを抱え込んできたらしいぞ、と本能的に察した。 「承太郎!それはどういうことじゃ!!」 「こいつは……DIOの手先だ。学校で襲われて、返り討ちにしたってだけだ」 承太郎は至極面倒くさそうに言う。しかしゴロンと畳の上に降ろされた男に、二階堂はどこか違和感を感じていた。この男の髪色を、どこかで見たことがあったような、そんな気がして、彼女の表情筋は息を忘れたように、ぴしりと固まる。 「ずいぶん酷くやりかえしたもんじゃのう」 ジョセフが呆れたような声を出した。それに苛ついたのか、承太郎は少し声を低くして言った。 「こっちは"命を狙われて"いたんだ、つべこべ言うもんじゃあないえぜ」 その傍ら、無表情だった二階堂はハッと小さく息を呑みこんで、彼女は自分の肺が膨れるのが、なぜだか分かったような感覚がした。彼女の右手が、ぎこちなくピアスに触れる。そんな、まさか。二階堂は必死に自分の予感を押さえつけようと必死で、苦し紛れに口を開いた。 「この人の名前は」 「花京院とか言ったな」 その名前に、二階堂は大きく目を見開いて絶句する。アヴドゥルがその二階堂に小さく首を傾げた。しかしジョセフはそんな二階堂の様子には気がつかないで、畳に転がされた花京院を覗き込み、だめだな、こりゃあ、と小さく呟いた。 「手遅れじゃ、こいつはもう助からん。あと数日のうちに死ぬ」 次の瞬間。二階堂は承太郎の胸ぐらを掴んで叫んだ。 「お前、何をしたッ!!」 「襲われたから返り討ちにした、と言ったんだ。……知り合いか?」 「……ッ!!」 今にも飛びかからんばかりの二階堂の目はますますつり上がり、ユノーが静かに牙を剥く。彼女の殺気が承太郎の肌をピリピリと刺した。承太郎は顔を顰めて二階堂を睨みつける。両者一歩も引かない剣呑な雰囲気が漂う。二階堂の異様な激昂に、ジョセフは違和感を感じつつも一喝した。 「やめんか要!承太郎のせいではない。こいつは確かにDIOの手先じゃ…」 その声がかろうじて耳に届いたのか、二階堂は苦い顔をしたまま、渋々といった顔で承太郎を放す。しかしユノーは未だに飛びかからんばかりに、その毛を逆立てて牙を剥いていた。 「見ろ、この男がなぜDIOに忠誠を誓い、承太郎を殺しにきたのか…?理由が…ここにあるッ!」 ジョセフが花京院の前髪を掻き上げる。その髪の下にあったモノを見て、二階堂と承太郎は眉をひそめた。それは大豆の粒ほどの大きさで、花京院の額にめり込むようにして存在していた。 「なんだ?この動いているクモのような形をした肉片は…」 「それはDIOの細胞からなる『肉の芽』……その少年の脳にまで達している」 ジョセフは至って冷静なようであった。既にこれが何か知っているらしい。彼曰く、この小さな『肉の芽』は、少年の精神に影響を与えるよう脳に打ち込まれている。つまり、この肉の芽は"ある気持ち"を呼び起こすコントローラーであるらしい。ある気持ち、とは、すなわち、 「カリスマ!ヒトラーに従う兵隊のような気持ち!邪教の教祖に憧れる信者のような気持ち!この少年はDIOにあこがれ、忠誠を誓ったのじゃ!!」 二階堂は目の前が真っ暗になるような衝撃を受けていた。彼は自分の知らないところで、きっと、あの優しい両親と、普通に、暮らしていると、思いたかった。 まさか、DIOの子孫である自分が彼に関わったから、彼がDIOに狙われたのでは。既に、原作を捻じ曲げて、彼の人生を奪っていたのだとしたら。今、二階堂の目の前で起こっていることこそが、彼女が今までの人生で最も恐れていたことに他ならなかった。 「手術で摘出しろ」 承太郎が冷静に言う。しかしジョセフは首を横に振った。 「この肉の芽は死なない。…それに、脳はデリケートだ。取り出す時こいつが動いたら、キズをつけてしまう」 その半ば死刑宣告のようなジョセフの台詞に、二階堂は力が抜けたように膝をつく。ユノーは影に溶けて見えなくなった。アヴドゥルが四ヶ月前、彼の身に起こったことを話しているのも、全く耳に入って来なかった。 「でなければわたしも、この少年と同じように『肉の芽』で仲間に引き込まれていただろう。『スタンド』をやつのために使わされていただろう……」 「そしてこの少年のように数年で脳を食い尽くされ、死んでいただろうな」 「死んでいた?」 承太郎が口を挟む。 「ちょいと待ちな。この花京院はまだ…死んじゃあいねーぜ!!」 おれのスタンドで引っこ抜いてやるッ!二階堂は承太郎のその言葉に、ハッと顔を上げた。承太郎の両手が花京院の頭を抱え、彼のスタンドが肉の芽を摘出しようとしていた。 「承太郎ッ!」 「じじい!おれに!さわるなよ…こいつの脳にキズをつけず引っこ抜くからな。俺のスタンドは一瞬のうちに弾丸を掴むほど正確な動きをする……」 必死で止めようとするジョセフやアヴドゥルとは対照的に、二階堂はただ承太郎の手先を見つめていた。は触手に突き刺されようと体内に侵入されようと震え一つ起こさないと彼の冷静さとそのスタンドの動きの正確さに、藁にでも縋るような思いだった。 そのとき、花京院の目がぱちりと開く。自分に起きていることがわからなかったのだろう、彼が呻くようにして声を上げたのを、承太郎は「動くなよ花京院」と静かに制した。その時彼のスタンドは肉の芽を既に摘んでいて、そしてその触手は彼の顔まで這い上がっていた。 承太郎のスタンドが、動く。肉の芽の針のようなそれを引き抜き、承太郎の体を這っていた触手も一気にずるりと引き出した。スタンドに引きちぎられたそれが、ジョセフの波紋疾走で焼き払われたのを見届けると、二階堂はユノーに目配せして、遠くの庭に落ちていた葉を一枚、本体である二階堂と入れ替えさせた。きっと彼女がいなくなったことには、誰も気づかなかっただろう、二階堂は静かに息をつく。 二階堂はその場に居たくなかった。 もっとも、花京院は今の二階堂を二階堂と思わないだろうけれど。 それほどまでに、自分はかつての面影を失くしていたから。 迷わず自室にたどり着いて、二階堂はもう一度、大きく息をついて、畳の上にへたり込んだ。まるで生きた心地がしなかった。ユノーが二階堂を労るようにして、その尾で体を包み込んでくれる。 右手はピアスに触れていたが、いつもと違った力が籠っていた。半ば抓るようにしながら、耳朶をこねくり回す。 二階堂はまだ、花京院とどう接したらいいのかわからなかった。 ← ▼ → ×
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