純然たる誠実に告ぐ | ナノ

そうか、彼が、『ジョジョ』だ。
二階堂は頑強な鉄格子の前で本能的に察していた。エメラルドグリーンの海をそのまま映したような瞳に、言いようのない美しさと気高さを感じて、二階堂はその美しい獣を閉じ込める鉄格子をひどく煩わしく感じた。獣はじっと二階堂を見つめている。音もなく突然現れた二階堂を蝋人形や彫刻のように思っているのだろうか、しばらく二人は、じっと息を殺すようにして互いを観察していた。
やがてユノーが二階堂の影を伝って鉄格子の向こう側へと入り込み、留置所の中というには酷く乱雑な床に落ちていた本に触れる。それをいいことに二階堂はその本と自分を交換した。ユノーに気づかなかったのか、獣はひどく驚いたような顔をした。
そこで二階堂は初めて口を開く。

「むかえにきたよ、空条承太郎」
「……」
「君が牢屋に入れられたなんていうから、まったくどんなものかと来てみれば……なかなか快適そうにしているじゃないか」

ベッドは堅そうだけれど。足元に落ちていた本を一冊拾い上げながら、二階堂は呟くようにしていった。禍々しい文字で死海文書と書かれていたそれを、興味なさそうに本が数冊詰み上がっていた場所に放る。そんな予期せぬ訪問者に、承太郎もようやく口を開く。

「ここには誰も入れない筈だ……テメエ、何者だ」
「君を檻から出すようにと言われている者だ」
「俺は何者かを聞いたんだぜ、役目を訊いたわけじゃあねえ」
「そうか、それは悪かった。私の名前は二階堂要。君の祖父にあたる、ジョセフ・ジョースターの義娘だ。話にはきいてるだろ?君の家に居候させてもらう予定だった、留学生ってやつだ」

そういえば、ホリィさんとは、義理の姉妹にあたるというわけか。二階堂は今気づいたかのように付けたした。承太郎はうさんくさそうなものを見る目で、二階堂を頭の先から足の先までをひとしきり眺めると、気が済んだのか自分が読んでいた雑誌に目を落とした。

「フン、お呼びじゃあねえな。なにより、俺をここから出すと、テメエは後悔することになるぜ」
「どうかな」

わざとらしく肩をすくめてみせた二階堂を承太郎は睨みつけた。まったく鋭い眼光だと、二階堂は無表情なまま感心した。

「……俺には悪霊が取り憑いてる」

至って真面目な顔でそう言い放った承太郎に、二階堂は呆れたように眉間に皺を寄せた。

「悪霊…?お前、馬鹿なんじゃあないのか」

瞬間。二階堂の頭に、誰のものとも思えない拳が降ってきた。それを自分と一体化させたユノーの右手でいなしながら、左手でその手首をつかんで引きずり倒す。二階堂は引きずり出した承太郎の"それ"を見つめ、そして満足したように鼻で笑ってみせた。
承太郎の目が見開かれ、二階堂を凝視した。不自然に口角を釣り上げて、二階堂は言う。

「君のそれが悪霊なら、私はエクソシストってか。笑わせんな。ジジイのコミックじゃあねぇんだからよォ」
「テメエ…」

承太郎の額にピクリと血管が浮かぶ。彼は立ち上がろうとしていた。が、また。気づけば二階堂は鉄格子の外に立っていて、彼女のいた場所にはただ一冊の本が落ちていただけだった。どういうことだと眉間に皺が寄る。とんとんと踵を鳴らしながら、二階堂は気怠げに言った。

「やろうと思えば一瞬で君のことなど外に出せるわけだが、君が自らここを出ようと思わなければ、そんなん全くの無駄だろう」
「……」
「そして君はこう考えている。『この女、一体何者だ。もう一度この鉄格子を越えるようなら、今度こそやっつけて正体を明かしてやろう』ってね」
「分かってんじゃあねえか」
「無駄だよ、そんなん……思っていたよりも君は『大したことがない』らしい。私がやるまでもない。無駄なことは嫌いなんだ」

やれやれと肩をすくめながら、無表情な二階堂は続ける。少し故意におちょくってみたが、どうやら彼は動かないらしい。二階堂は少しの沈黙のあとに、もう一度口を開いた。

「……明日にはジョジョが来る。私は彼に任せるよ。なんたって君みたいのと本気でやりあうのは骨が折れる。文字通り骨が折れちゃあ、久しぶりの日本のゲームができない」

なにより、主人公級の人間と関わるとろくなことにならないってのが物語の定石だ。二階堂はわけのわからないことを言い残して、踵を返して歩き出した。承太郎はその先をずっと見つめていたが、その黒コートの後ろ姿はいとも簡単に暗がりに消えて、重い扉が閉じる音だけが響いた。

「……アレが叔母だってか。やれやれだぜ」

承太郎は、深く帽子を被り直す。彼のいうところの『悪霊』に勧められたよく冷えた缶ビールを、また一本煽ることにした。牢屋の中は彼が持ってきてくれた物で、あふれかえりつつある。承太郎はなんとなく、週刊少年ジャンプが読みたいと思った。きっと悪霊は、持ってきてくれることだろう。

「まったく、悪霊だってさ。笑っちゃうよな、全く」

二階堂は街灯に照らされた道路を歩きながら無表情でそう言って、鉄格子のついた窓を振り返る。ユノーに向けてつぶやいたセリフだったが、彼女の狐はいいように酷使されたことをよく思っていないのか、姿を透明にしたままだった。

「自分の昔話を棚に上げるようだけど、おかしな話だ」

だってこれは、そもそも、作り話なんだろう?
二階堂は星の見えない空を見つめながら、落とす様にしてつぶやいた。
やがてホリィが夕食を作って待っているであろうことを思い出して、一人で夕食を摂らせるには申し訳ないと二階堂は家路を急ぐことにした。




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