純然たる誠実に告ぐ | ナノ

十年一昔、とはよく言ったものだ。二階堂はすっかり変わってしまった町並みを眺めながら、それをさながら生き物のようだと思った。
かつて通ったゲーセンにも足を運んでみると、真新しい台が並び、種類も増えたようだった。中には遠い昔に見覚えがあったような型があったりして、二階堂は妙な既視感に襲われて、二階堂は苦笑した。よくプレイしていた型のゲーム機の姿がなかったのは残念だったが、後継機があったのがせめてもの救いだろうか。しかし結局何もプレイする気にはなれなかった。
ここ十年で開発が進んだのか、駅前の通りはずいぶんと新しくにぎやかになっていた。昼を過ぎて長くなり始めた影からユノーがぴょこぴょこと頭を飛び出させる。飛び出したかと思うと、二階堂の半径十メートルほどを駆け回った。かつて暮らした街が懐かしいのかもしれない。小学校の前に差し掛かったものの、それが自分の通っていた場所とは似ても似つかなかった。校舎が老朽化していたために建て直されたのだろう。真新しく白く輝くそれを、まるで病院みたいだなと思った。
学校を通り過ぎて図書館、いつもここで本を読んでいたのを覚えている。自分がかつて巨大な建物だと思っていたそれは、ひどくこぢんまりした建物だった。ああ、こんなところだったのか。自分が見ていた景色は酷く狭く、小さいものだったのだ。何も知らなかった、狭い世界でじっと目を凝らして、大人たちの勝手な都合や子どもの純粋な残酷さがもたらす自分への不誠実を見抜いて、それに耐えるだけの日々だった。自分はそんなちっぽけなものにすっかり窒息してしまったような気分でいたのだ。それがばかばかしくなって、自嘲気味に小さく笑う。ノスタルジックな気分になっているのだろうか。二階堂は自分で自分の心境を掴めないでいた。

「ここか」

二階堂はいつもこの交差点で待っていた少年と一緒に、小学校までの道をともにした。屈託の無い笑顔を今でも覚えている。右手がピアスを弄っていた。確か傘を借りたのが、一番最初で、あの雨の日もここで分かれた。そして、ちょうど同じ冬の季節だっただろうか。最後の日も、二人はここで変質者に襲われて、二階堂は彼の血に逆上して、相手をひどくボコボコにぶちのめしてしまって、それで。
そこは未だに人通りの多くない場所だった。そういえばあの後、彼はどうしたんだろう。と、今まで考えないようにしてきたことを思い返してみる。じくり、と肺の奥が痛んだ気がした。

「……要ちゃん、かい?」

ぼうっと立っていたから、自分の名前が呼ばれたことに、二階堂は全く気づかなかった。肩を叩かれてその声の主を見やれば、彼はまったく驚いたという表情で、しかし二階堂にその壮年の男には見覚えが無い。どういうことだろうと自分の記憶をひととおり洗いざらっていると、男はああ、と申し訳なさそうに両眉尻を下げて言った。

「私は、君が小さい頃から、あの寺でお世話になっている者だよ。わからなくて、当然だろう。君はすっかり大人になったね」

ああ、そうだ。この男は私がいなくなる少し前にやってきた修行僧、だと思う。名前は覚えていないが、やわらかな微笑みに見覚えがあった。

「本当に、すっかり美人さんになったものだ……」

彼はまったく感嘆の声を上げる。二階堂は何を返すでもなく、黙って相手を見つめていた。二階堂には彼に何も話すことがない。けれど僧は、昔を思い出すような口調で言った。

「君はあの頃、私たちのような者どもの心ない言葉に、傷つけられていただろう?私はそれが、酷く残念でね。あれから、私たちは、ずいぶん揉めたんだ」

あれは本当に、人として正しい行いだったのか。心に巣食う邪心に捕われてはいなかったか。そして彼は、それを悔いたという。一人の幼い女の子に、酷く暗い影を落としたことを。男は今にも泣きそうに、目を細めた。二階堂は若干驚きつつも反応に困って、口を噤んだまま聞いていた。

「今でも、親戚のうちにお世話になっているのかい?それとも帰ってくることになったのかな?」
「いいえ、少し近所まで来たので、足を運んでみただけです。邪魔しないうちに、帰るつもりで」
「そうか、そうか……住職さんにはもう会ったのかな?」
「いいえ」
「そうかい、じゃあ私が一番乗りだね」

男は微笑んだ。二階堂は曖昧な顔をして、頬を掻く。どうやらこの男の中では、私があの夫妻に会うことは決定事項らしい。「帰るつもり」を勘違いされたのだろうか。二階堂のそんな心境を知ってか知らずか、しかしこの男は思い出したようにああ、と口を開く。

「そうか、なんてことだ…運が悪い……今日は、住職さんは外に出てしまっているんだ……入れ違ってしまったんだね」
「そうですか」
「ああ、でも、君のお母さんがいるだろう。そうだ、昨日こしらえた団子がある。おやつに、食べていったらいい」
「……お邪魔するのは悪いですので、遠慮します」

二階堂はやんわりと断ることにした。もとからそのつもりはなかったし、それが目的で来たわけではなかったからだ。自分の過去を掘り下げるつもりもない。しかし男は二階堂の手を握り込んで、二階堂の紅い瞳をじっと見つめて、真っすぐな声で言った。

「君はもう、我々のことなんか、どうとも思っていないかもしれないね。けれど、我々はこの機を逃すわけにはいかない、今度こそ受け止めなくちゃいけない。その、義務があるんだ…」

二階堂はその強い瞳に気圧されて、頷くことしか出来なかった。
久しぶりに通された庫裡は、自分の知っていた姿と差して変わらない。よく手入れが行き届いているせいだろう。二階堂は玄関の戸をくぐりながら、木の匂いと線香やら煤やらの匂いが混ざったような、独特の空気で肺が満たされるのを感じた。ぎしりと板張りの廊下が軋む。二階堂はこの階段を登ったところにある小さな部屋で、いつも一人でいたのを覚えていた。懐かしいな、と思いながらその先を見つめていると、先に行っていた修行僧が振り返る。彼は居間へどうぞ、と一言のこして、そそくさとその場を去った。

「お前は憶えてるか?」

ヴォルペコーダ・ユノーは何も映さない濁った宝石の目を体中這いずり回せて、くるくると二階堂の周りを駆け巡った。居間に入って一番下座の席に腰掛けると、時折壁や柱に遺された傷跡を叩いて、二階堂の気を引こうとする。ここは自分がやったものだという主張だろうか。二階堂はゆるりと笑った。




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