二階堂の朝は、瞑想から始まる。それはたとえニューヨークの自宅にいようと、ジョースター邸に帰宅していようと、どこにいようと場所を選ばない。二階堂は太陽が昇る一寸前に起きて、顔を洗い、歯を磨き、そして朝食までの一時間ほどの時間を、朝日を浴びながらの瞑想に費やす。一定の呼吸のリズムを刻むことで自分の中に正しい波紋を練る。ゼンマイのねじを巻くようにして、わずかにでも狂っていたかもしれない呼吸の誤差を正し、身体中に波紋を行き渡らせるのだ。吸血鬼化の進行を遅らせることを目的とする、ジョセフが考案した習慣だったが、彼女はこれをとても気に入っていた。 呼吸を整えて、意識を深く深く沈めていく。身の回りの雑音を消し、視界を意識せず、ただただ呼吸をすることだけに集中する。肺が膨れ、萎む。一定のリズムで鼓動する心臓の音に沿って、一定のリズムで呼吸を整える。吸って、吐いて。吸って、吐いて。二階堂は波紋の呼吸を整える。体の中で熱をもつものに水をひたすように、凍っていくものに湯をかけるように、暴れる獣をなだめすかすように、息絶えそうなものが息を吹き返すように。慎重に、慎重に、ただ単調な息を繰り返す。 しかしその日。二階堂は、どこか感じた違和感に目を開いた。 深い深い意識の中で、何かが自分を見つめたような気がして、ぷつんと集中の糸が切れてしまったかのようだった。 何かに見られた、という感覚だけが残って、二階堂は心臓の端が痒いような心地悪さを感じ、眉間に皺を寄せる。 こんなことは初めてだ、と思った矢先のことだった。 「オ────ッノ────ッ!!!」 ジョセフの大袈裟な叫び声に、二階堂は小さく肩を跳ねさせる。どういうことだと階段を降りてリビングに向かえば、ジョセフが大げさなポーズで頭を抱えていた。そういうところが本当、アメリカ人らしいというかテンプレートというか、と半ば呆れながらどうしたのかと二階堂が怪訝そうな顔でいると、ジョセフは二階堂に気づいて、ちょいちょいと指でこっちに来いと合図した。 彼の手元には、つい先日購入しては年甲斐もなくはしゃいでいた、日本製のポラロイドカメラの見るも無残な姿があって、二階堂はますます眉間にシワを寄せる。 「どうしてそうなった」 「……ワシにもスタンドが発現したようじゃ」 こっそりと耳打つようにしてジョセフが言う。二階堂は目を見開いた。 「ちょっと前から、お前さんの、その、…狐?は見えておったんだが」 ジョセフがそれを黙っていたことに無言で抗議の視線を向ける二階堂に、ジョセフはすまんすまんとなだめるように謝って、それから「スージーQにはばれないようにしとくれ」と、声を潜めて言った。彼は彼の愛する妻にいろいろ隠し事をするきらいがある。 「不可抗力だったんじゃ、ワシのスタンドが…」 彼の右手に、絡みつくような茨が現れたのを二階堂は目視して、どうやらボケなどではく本当にスタンドが発現していることを確認した。どうやらそのスタンドが、ポラロイドを叩き潰してしまったらしい。やれやれと思いながら残骸を片付けようとカケラを拾おうとした時、二階堂はそのカメラの残骸がポラロイドを吐き出していたことに気づいた。 「……ジョジョ、一体何に向かってシャッターを切ったんだ」 僅かに上擦った二階堂の声に、ジョセフは眉を顰める。 「わしは何もしとらん、茨が叩き潰してしまっただけじゃ」 「じゃあ、これは……」 二階堂が差し出したのは、暗闇に浮かぶ一人の男の後姿だった。 鍛え上げられた半裸の上半身は、ただただ一言で美しいと形容できる。陶磁器のように白い肌はこの男が長く暗闇の中で生きてきたことを暗示していた。二階堂のそれによく似た、透き通るような黄金色の髪に、こちらを睨みつける猛禽類のように鋭い目から覗く赤い瞳。まるで一等品の絵画でも観ているような気分だ、と二階堂は思う。きっとこれがそのまま絵画の世界であったら、その首に掛けられた茨のような傷痕が、きっと人を惹きつけてやまないことだろう。しかしそんな思考に相反するように、二階堂の鼓動は漠漠と脈打って、息をするのも苦しいような錯覚に囚われていた。目が離せない。自分は確かに、この男に見られたような気がするのだ、そう思うと、背中に冷や汗が伝った。 「こいつは…!」 ジョセフは息を呑む。彼がその目に見るのは初めてだったが、彼はこの男を100年も前から知っているような気がして、そしてその美しい彫刻のような身体の、首元に浮かぶ星型のあざに目が釘付けにされていた。 「DIOだ」 二階堂はポツリと落とすように言った。どこに確証があったわけでもない。けれどじわりと耳の奥が疼いたような気がして、本能がそれを肯定していることを、どこかで冷静に察した自分がいた。 ← ▼ → ×
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