純然たる誠実に告ぐ | ナノ

暗闇に浮かんだ月の光だけで、二階堂はだいたいのものを認識出来るが、カイロの街は屋台から漏れる光でぽつぽつと明るい。より心地よい鮮明な街の景色を眺めながら、二階堂は出来るだけ人通りを避けながらホテルへの道を進んだ。途中で誰かに絡まれたら厄介だからだ。
そして、ほとんどホテルに到着したと言っても過言ではなかった頃。二階堂は自分がホテルの中にカードキーを、そして先ほど買ったばかりの本をアヴドゥルの店に忘れて来たことを思い出して、一気に気が滅入らずにはいられなかった。きっとジョセフに言ったら爆笑されると思いながら、自分が滞在している部屋の窓を見上げた。
電気はついているから、きっとジョセフはまだ起きている。
窓まで駆け上がってそこから帰るだなんて、とうとう自分も人間離れしたものだと二階堂はため息をつきたくなった。

「その顔を見たところ、収穫はあったようじゃの?」
「……」

窓から帰ってきた二階堂を特に咎めるでもなく、ジョセフはにやりと笑って言った。機嫌良さそうに鼻歌なぞ歌いながら、コーヒーを淹れようと腰を上げる。二階堂が自分のカードキーを忘れて行ったことに気づいていることを察してか、不機嫌そうな顔の二階堂に何かルームサービスでも頼むかとジョセフは訊ねたが、不機嫌を体現した声でいらない、と小さく答えただけだった。

「どうした、元気がないのう」
「べつに」

二階堂はテレビに電源を入れる。気を取り直して自分のトランクからいそいそとファミコンを取り出して、変圧器と接続した。こういう時はゲームで憂さ晴らしをするに限る。かつての彼女の教育担当だったゲーム好きのSPW財団イタリア支部所属、ラッポラという青年が、財団の日本支部と掛け合ってF-MEGAの最新作を手に入れたといって二階堂に一本横流ししてくれたものだ。発売日から一ヶ月も経っていない最新作だから、二階堂自身もやりたくてたまらなくて二階堂はわざわざファミコンごとこの旅に持ち出していたのである。
ガチャガチャとあれやこれやと配線を弄くりながら、二階堂はコーヒーを飲みながらアメリカの新聞の朝刊を読んでいるジョセフに言う。

「……『危険はまだ訪れない』と言っていた」
「そうか、それは良かった」

しかし結局電源はつかなかった。変圧器がおかしいのか、二階堂のゲーム機が壊れたのか、それともテレビのコードのジャックがおかしくなっていたのか。おそらく最後の要因だと思われるが。二階堂は二つの意味で信じられないといったような顔つきでジョセフを見上げた。

「……まさかとは思うがジョジョ、アンタは占いだなんて女々しいものを信じるタチだとか言わないよな?」
「わしは嘘は信じんよ」
「……へえ」

含みのある返答に、二階堂はぐっと眉間に皺を寄せて、つかなかったF-MEGAはそのまま、ベッドに倒れこんだ。最後の最後の慰めだ。しかしふかふかとは言えなかったその肌触りに、彼女のテンションはますます急降下した。ユノーがファミコンをいじくるのも目にいれず、抱き寄せた枕に頭をうずめて二階堂はぼそりとつぶやいた。

「私は何が足りないんだろうか」
「何か言われたのか?」
「……あまりにも『幼い』と言われた!」

不貞腐れたような声を上げた二階堂に、ジョセフはおかしそうに小さく吹き出した。何がおかしいとジョセフを睨む二階堂に、いやいやお前さんはよくやっておるよ、と言って、コーヒーを勧める。

「いらない。さっき紅茶を飲んだばっかりだ」
「そうか、そうか」

だいたい何を返しても、ジョセフはにこにこと笑っていることが多い。二階堂はそんなジョセフがどこか気に入らない気がしてならない。彼の奥方であるスージーQも二階堂のことをあれやこれやと猫可愛がりするものだから、更に居心地の悪さを感じる。けれどそれは今までの人生で感じて来た『居心地の悪さ』とは全く質の異なったもので、二階堂の照れくささと不慣れさからくるものだった。
横目でユノーを見つめる。あれとどう向き合えというのか、二階堂はさっぱり見当がつかないでいた。

結局二人は何事もなく鉄製の棺桶を引き取ることが出来た。出来たものの、ジョセフは終始深妙な面持ちを崩さなかったし、二階堂は憎々しげに棺桶を見つめていた。ユノーはいつものように二階堂の周りを跳ねていたから、きっとユノーにはその箱が意味するところを分からなかったのだろう。その鉄箱を目の前にしても、おかしそうに目を細めただけだった。しかし二人はこの中に何が居たのかをまざまざと思い知らされ、そしてそれが意味することを突き付けられたようは気分でいた。

(いずれにせよ、あと二年か、そこらだ)

右手はいつものようにピアスを弄くっていた。あのシーンでの花京院は学生服だったからにはきっと、『ジョジョの奇妙な冒険』はそれくらい先に始まるのだろう。それまで二階堂は『処分』を避けるためになんとか吸血鬼化を遅らせ、ひたすら必要な知識と能力を吸収し、あとはただその時を待てば良い。しかし二階堂は今、自分が次のステップに進むために何をすべきなのか、分からないでいる。




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