純然たる誠実に告ぐ | ナノ

二階堂の吸血鬼化の進行とそれを止めるための波紋の修行は、直接的に二階堂にジョセフと過ごす時間が増えることを意味していた。忙しく世界中を飛び回るジョセフについてまわることも増え、静かな休日もジョセフの本当の意味での(つまり彼と彼の妻が居を共にする)自宅に滞在することが多くなった。万が一急激に進行して吸血鬼と化したとしても、ジョセフに処分してもらうという事実上の制約が伴っていたからだ。
だから二階堂はまったく気を抜くことなく生活することが出来たし、いつが『旅の始まり』かわからない二階堂にとってはより好都合なものだった。少々辟易としていた財団の実験材料としての生活から抜け出せていたからかもしれない。(ちなみにそれは、二階堂を実験材料にすることを苦々しく思っていたジョセフの厚意もあってのことでもあることを、二階堂は知らない。)
そして1984年のある日。二階堂とジョセフはアフリカ沖の大西洋で引き上げられた"例のもの"を引き取りに、エジプトを訪れていた。
波紋の力で吸血鬼化の進行を相殺しているとはいえ、軽度の紫外線アレルギーを持つ二階堂はエジプトでも黒の長袖のロングコートでいることを強要されていた。さながらカラスのような黒装束のもたらす熱さに早くもげんなりしつつ、紅い瞳で沈みかけの太陽を睨みつけていた。

「ジャパニーズ・ニンジャのようじゃの〜〜」
「コミックの登場人物と一緒にするな」

テンションの高いジョセフの軽口にもイラっとするくらいには、神経もすり減らしていたらしい。ユノーを使ってボトル入りのミネラルウォーターを取り寄せる。ジョセフはもうこの手の現象に驚くことはなくなっていたが、しつこくその仕組みを訊いてくるのばかりは二階堂の気に障った。
二階堂は面倒なので手品のネタはバラさないの一点張りで通していたが、その日もそれは例外でなく、むしろ煩わしいほどにしつこかった。とうとう嫌気がさして、ホテルに着くなり日が沈んだのを確認して、二階堂は口を開く。

「例の棺桶の引き取りは明日だったよな」
「ああ、そうじゃ」
「じゃあ今から、外に出ても大丈夫か」
「外に出て何をするんじゃ?ここにはお前が好きなゲームセンターはないぞ」

ンなことくらい分かってるっつの。二階堂は反抗期の中学生のような心境になって、それから自分がちょうどそれくらいの歳だったことを思い出して微妙な心境になりながら、沈み終えた太陽のあった、まだ濃い紫色の空を見つめる。二階堂は一刻もはやくここを抜け出して、さっき見かけた本屋に脚を運びたかった。

「…外の空気を吸ってくるだけだ」
「その様子だと本屋じゃな」
「……」

なんでもお見通しだと言うようなジョセフに、二階堂は小さく舌を打つ。ジョセフは丁度いいと言わんばかりになにやら書かれたメモを二階堂に差し出した。受け取ったところをみると、住所のようだった。

「ついでじゃ、お使いを頼まれてくれんかの〜?」
「……好きにすればいい」

素直じゃないのう。そういいながらどこか嬉しそうなジョセフに、二階堂は気恥ずかしさからかぷいとそっぽを向いた。二階堂はこの男が自分に寄せる信頼に対して誠実だったし、彼を愛称で呼ぶくらいには、彼を気に入っていた。というのも、ユノーが彼を嫌わなかったからというのもある。

「最近出来た、わしの友人だ。きっとお前さんにもプラスに……ってもう行ってしもうたか。やれやれせっかちな奴じゃ」

開け放たれた窓から熱を孕んだ空気が吹き込んでカーテンを揺らす。二階堂はジョセフの言葉を最後まで待たずに窓から外に飛び出していた。
日が沈めば、日光を気にせずにいられるためか、異常によく効く闇目のおかげか、二階堂の行動力は三割増ほど上がる。その様はまるで身体が暗闇を欲しているようで、二階堂は全く嬉しいとは思わなかったが、利便性が上がることに越したことはない。二階堂はモスクの影を通り抜け、ハンリーリの市場を目指すことにしていた。ジョセフの『おつかい』はどうやらその中のどこかの店を指しているらしかった。それまでの道にもきっと、さっき見かけた本屋もあったと思う。好都合だ。エジプトのカイロのダウンタウンは、ほんの十年かそこらの間に政治体制が大きく変化したせいで治安が悪くなりつつあったが、その前までは、知識人が集まっては道端で議論をするくらいに理知的な空間だったという話を聞いたことがある。本屋の内容も、まだまだ興味深く色濃いものが残っているはずだ。ユノーの正体の手がかりを探すには不十分であろうが、何か面白いものがあればいい。そう思いながら、二階堂はその脚に力を込めた。本は逃げないが、時間は待ってくれない。



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