純然たる誠実に告ぐ | ナノ

二階堂は前世の分も含めて全く経験したことのないような高級レストランで、絶妙なバランスでぶら下がる豪奢なシャンデリアが今にも落ちてはこないかと不安に駆られながら、埃一つない紅い絨毯と肌触りのいいやわらかなクッションの椅子の上でかつてない自分の場違いさを感じていた。こういうところには普通、カクテルドレスというものなんかを着てくるのが求められるのではなかったかとドレスコードを勘違いしながら彼女はどうしてこうなったと思うばかりで、さっきから延々と続くくだらないジョセフの雑談はまったく耳に入ってきていない。車の中で彼はたしか晩御飯をご馳走しようと言った筈で、しかしこれは全く予想出来ない展開だった。

「お腹はすいておるかな?」
「……はい」

ジョセフが注文し、ほどなくしてウエイターが流れるような所作で配膳したものはどれも美味で、二階堂は初めて自分が生きてて良かったと思うほどだった。ジョセフの話は右から左にまったくの筒抜けと耳は機能していない様子だったが、舌は機能していて幸いだったと散漫になった思考で二階堂はぼんやり思う。鴨フィレ肉のカシスソースはとろけるようにして二階堂の舌をもてなしたし、香り高い茸のリゾットはチーズの絶妙な塩加減が絶品でいっそ震えるかと思った。ユノーは珍しくなにもせず宙を漂っていて、二階堂の図太さに呆れているのかもしれないが、二階堂はそれでも構わないと思うくらいに満足していた。
ジョセフはワインを一口煽ると、食後のジェラードをちょうど食べ終えた二階堂に口を開いた。

「要、君はどこまで自分の出生について知っておる?」
「……それは、どういう意味の質問ですか」

ジョセフは言葉の通りじゃよ、と英語で呟いた。二階堂も英語のままのほうが誤解が少ないと判断して、英語で続ける。日本語と違って単純な言語である方が、誤解を招くことも少ないだろうと判断した二階堂をジョセフは評価した。

「そうですね、自分の母が、父と結婚する前に身ごもった別の男の子ども、という予想はついています」
「正解じゃ。そしてその父親については?」
「知りません」
「そうか」

ジョセフは口を噤んだ。二階堂に事実をどう伝えたらいいのか分からなかったというのもあるが、彼はさっきから彼女の不自然な目線と雰囲気に、全く警戒していないというわけではない。彼は質問を変えた。

「最近、身の回りで奇妙な変化があっただとか、そういうことはなかったかね?」
「さあ…わかりかねます」

見えてない人間にヴォルペコーダ・ユノーの話をしても無駄だ。二階堂はハーブティーを飲みながら思った。この男はきっと、二階堂要について自らよりも詳しく知っているらしい、けれど奇妙なことに、この男はきっと、ヴォルペコーダ・ユノーのような奇妙な存在を知らない。
つまり、二階堂には、前世を持つこと、ユノーのような奇妙な存在が取り憑いていること、それともう一つ、他人には隠されるべき、ろくでもない秘密がある、ということなのだろう。

「アンタが多分知ってる通り、私はこれまで散々な人生を送ってきたから、だいたいのことは受け入れられる。アンタが私のことを『気遣って』いるのなら、無駄だよ、そんなん」

二階堂はそれを知らなくてはならないと思ったから、素直にそう言ったつもりだった。紅い瞳が、まっすぐにジョセフを見据える。このとき彼は目の前の少女が、彼の孫と同い年であるもうすぐ12歳になろう子どもであることをすっかり忘れていた。凛然とした雰囲気に気圧されるように、ジョセフはゆっくりと口を開く。

「君には……人ならざる者の血が流れておるといったら、どうするかね?」
「は…?」

二階堂は予想の斜め上を行く質問に、思わず疑問符で返答してしまった。ジョセフは洗いざらい喋ってしまうことを決めていたので、彼女の返答を待たずに言葉を続ける。かつて自分が闘った者、古代より蘇った"柱の男"と呼ばれる者たちがいたこと、その者たちが古代アステカ文明に遺した負の遺産である石仮面を造ったこと、そして自分が生まれるよりもずっと昔に、その仮面により吸血鬼と化した男がいたこと、そして自分の祖父がその吸血鬼と対決し、勝利を収めたものの、最期は共に大西洋の海底に沈んだことを語った。それは偉大な冒険譚であったし、ジョセフは所々端折って話していたものの、まるで映画や小説のように起伏にとんだ壮絶なストーリーであった。二階堂はそのストーリーの顛末が全く理解出来ないでいたし、そもそも意味をわかろうとできなかった。

「そんな現実離れした話……信じられるわけがない」

まるで漫画の中のような、そんな非現実的な世界があってたまるかと、彼女は今までの自分の人間としての生活が否定されたような気分になって憤りを感じざるをえなかったし、この男がふざけているのかと本気で思った。しかしジョセフはまっすぐに二階堂を見つめていて、ぐっと押し黙る。

「……それが、私にどう関係あるっていうんだ」

嫌な予感がした。ここまで話されたら、だいたいのことは予想がつく。これでわからなかったら自分はろくでもない馬鹿に違いないと二階堂は思いながら、しかし「何も関係が無い」という、さっきまでのジョセフのくだらない雑談の続きであることを期待せずにはいられなかった。しかしジョセフはその期待を裏切らなくてはならなかった。

「動揺する気持ちも分かる。しかし我々も、同じ気持ちじゃったよ。とうの昔に滅びた筈のあの吸血鬼に、子孫がいるとは思わなんだ」

ユノーが何も映さない瞳で、じっと二階堂のことをみつめていた。
そもそもこの狐がいる時点で全く非現実的な、まるで作り話のような世界に生きていたことを、二階堂はようやく思い出した。




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