純然たる誠実に告ぐ | ナノ

残暑もこの雨でひと段落着くだろう。秋雨前線が日本列島に差し掛かったという予報を思い出しながら、二階堂無言のまま玄関をくぐった。日に日にユノーが機嫌を悪くする期間も折り返しにさしかかった頃だろうか、しかし今回の里親との関係は最悪ではない。二階堂自身はそう評価していた。

「引き取り手が見つかったよ」

だから何度目かもわからないその言葉に、二階堂はリアクションの取り方がわからなくて、ハア、と気の抜けたような返事をした。引取先は「ジョセフ・ジョースター」というニューヨークの資産家だそうだ。今まで何人かは海外に顔の広い人間だったから、そのうちの一人の親戚だろうと言われたが、二階堂は何か違和感を感じざるをえなかった。その名前を、どこかで聞いたことがあるような気がする。しかしどこだったかすっかり思い出せないでいた。
彼は今、大学の客員教授を務めているらしく、その講義が一通り終わるまでは日本に滞在、それからは二階堂も彼の祖国であるアメリカに住民票を移すとのことだった。海外に渡ったことは何度かあったが、住民票ごと移すのは初めてのことだ。二階堂はあらためて自分の人生を稀有に思った。

「今度はお前が気にいるくらい、ましな相手だといいんだけど」

荷物をまとめながら、ユノーに向けて呟いた。狐の宝石の様な目は乾ききった血の色のようにとうとうドス黒く染まって光は反射しないまま、もう二階堂はかつての赤い色を思い出せないでいた。二階堂の瞳の色に近かったことを覚えている。とうとうどこに目があるのかもわからないな、だなんて二階堂は笑ったが、鈍く発光してみせたあたり、ユノーが不機嫌であることがわかった。
インターホンが鳴らされる。どうやらその「ジョセフ・ジョースター」がやってきたようだ。里親は英語がわからないから、自分が対応する必要があるだろうと思って階段を降りると、壮年だが顔の整った背も高く体躯のいい男の対応に、案の定里親があたふたしている様子が伺えた。

『君が二階堂要さんかな?』
『はい』

生粋のニューヨーカーとも、イギリス訛りともつかないような発音の英語だった。ジョセフ・ジョースターは上質なフェルト地の洒落た帽子を脱いで、にこりと笑ってみせる。二階堂は無表情のままだった。

『わしが君を引き取ることになった、ジョセフ・ジョースターじゃ』
『伺っております。わざわざ米国から、御足労ありがとうございました』
『なんだ、英語が話せるとは聞いとらんかった!』

はっはっはと大男は豪快に笑ったが、二階堂は一度だけ瞬きをしてみせ、にこりともせず無表情なままだった。こういう人種の人間に出会ったのは初めてだと思いながら、しかし二階堂は彼にどこか見覚えがあるような気がしてならなかった。試しにユノーを男の目の前にちらつかせる。どうやら見えていないところをみると、普通の人間であるらしい。ただの思い過ごしか、他人のそら似だろう。二階堂はそう結論づけて、ユノーを影の中に戻るように語りかける。
ジョセフはひとしきり笑って気が済んだのか、少しだけ真面目な表情になって、帽子を被りなおしながら言った。

『これから少しばかり、時間を割いて頂けるかな?君の人生に関わる、重要な話がしたい』
『構いません』

里親は目を白黒させて二階堂とジョセフの顔色を伺っていたが、二階堂が少し外に出て話をしてくるという旨を伝えると、どこか安心したような顔で了承した。何の躊躇いもなく二階堂の口からそれなりに流暢な英語が飛び出したのが不気味だったのかもしれない。これで厄介払いにも拍車がかかるな、と、二階堂は他人事のように思った。
高そうな傘をさしたジョセフの隣で、ビニール傘を広げ、玄関のドアを閉めた時、ジョセフがニヤリと笑って言った。

「すぐそばに車を待たせておる」

その口から飛び出した流暢な日本語に、今度は二階堂の表情が引き攣った。

「今度は驚いとるようじゃな?」
「……ええ、まあ」

話せるんなら最初っから話せよ。二階堂は心の中で盛大な抗議の声を挙げたが、そんなことは知ったことでなないという風に、当のジョセフは上機嫌だった。

「娘が日本に嫁いでな、それ以来勉強せざるを得なんだ。まだまだ語彙が少なくて困っとる、日本語はムズカシイの〜〜」
「そうですね」
「そうじゃ、ちょうどいい。この老いぼれに日本語を教えてはくれんかね?」
「ハァ…」

二階堂は何とも言えない表情で返事をした。どうやらこの男は日本人が嫌いらしいと二階堂は直感的に察したからである。娘が嫁いだからというからには、きっと重度の親ばかというやつで、日本人に逆恨みしているとみた。だからこの男はわざと英語で話しかけてきたのか、そう思うとげんなりした。二階堂はこの閉鎖的だが衛生的にも治安的にもなかなか快適な国を別段嫌いだとも思わないからである。最初に英語で対応したのは間違いだったかもしれない。
そのうえ、さっきからユノーがジョセフの足元に石ころを散々転がすというとても地味な嫌がらせをしているというのに、この男がそれに引っかかる素振りも、気づいているという素振りも全く見せない。それどころか、二階堂に耐えず話題を振ってくる。気に入られたのかと思うとますます微妙な心境だった。あれやこれやと話しかけてくるジョセフは二階堂に以前絡んできたイタリア人のナンパ男を彷彿とさせた。そういえばユノーは、同じような嫌がらせを以前その男にけしかけていたような気がする。

「ま、そんなくだらんことはさておいて……君とは話さねばならんことがたくさんある」

ジョセフは二階堂の目をまっすぐ見つめて言った。そんな真摯な視線を浴びたのはずいぶんと久しぶりだったからかは分からないが、どことなくその目が苦手だと思った。



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