純然たる誠実に告ぐ | ナノ

時は1981年、SPW財団はとある仮説に沸き立っていた。
世界中に点在していた不可解な事象を追ううちに、それらにあるつながりが見られることに気づいたのである。
"彼ら"には微弱ながら血縁の繋がりが見られ、そしてその人生の顛末に稀有な類似点が見られた。
もっとも"彼ら"の人種は様々であったが、いずれもSPW財団には"覚えのある"要因でこの世を去っていたのである。それを確証付けたのは、彼らの奇妙な人生だけではない。そのほとんどが美しい黄金色の髪を持っており、血色の瞳を持つ。幼年期から身体能力がずば抜けて高いことも要素の一つだ。全体的に短命で、そして決定打とされたのが、吸血衝動を持つ者が少なくはなかったという点だった。
つまるところ。それらのデータは、かつてジョナサン・ジョースターが倒したディオ・ブランドー、もとい、DIOという吸血鬼が子孫を残していた、という可能性を暗示していた。
もっとも、その短命という例外なき共通点が拍車をかけていたのか、その血縁は途絶える方向へ向いているようであったのが幸いだ、とSPW財団は考えている。
彼ら半吸血鬼の特徴は交配を重ねるごとに薄れていることが確認されていたうえに、彼らの血縁はほとんど絶滅していたといっても過言ではない。財団が最後に突き止めることの出来た、美しい黄金色の髪と血液の色をそのまま瞳に映した男は既に重度の紫外線アレルギーによる末期の皮膚癌を患っていて、吸血衝動に狩られる様子も無く、もはや半吸血鬼と呼べるほどの個体ですらなかった。その上。財団が突き止めた一週間のその後に彼は息を引き取った。
彼は財団が探しうる限り最後の生き残りであったから、彼が生前に残した子孫がいないかだけが問題であった。彼の最期の証言を知る者によると、十年ほど前に交際のあった女がいることが明らかになっており、それが財団の目下のリサーチ対象であったと同時に、研究の対象と設定された。
彼らは死力を尽くして男の足跡を辿り、そして、日本人であるとある女性の名を突き止めた。彼女は既に他の男性と結婚しており、二階堂という姓で暮らしていた。数年前に大きな事故にあったせいで言語障害を患っていたが、その夫の証言から財団は確証を得た。彼女は別の男との間に、子どもを身ごもり、出産していたのである。その女児は紅い瞳を持ち、(血縁上の)父親に似た容姿の、まったく子どもらしくない子どもであったという。夫はその子どもを少なからず恐れているようだった。しかし肝心の彼女の足跡となると、夫妻はその娘と数年前に離縁しており、彼らは現在の彼女の行く当てをまるで知らなかった。
育児放棄と取られるのが嫌だったのか、彼らがその先を全く語らなかったため、財団はその娘の居場所を捜し当てるまでにさらに数ヶ月という時間を要することになる。
彼女は数ヶ月という時を待たずに次々と里親に出されていたため、彼女の母を捜し当てる以上の手間がかかった。
そしてその間、財団が彼女に近づくにつれて、彼女への対処を討議することが必要とされた。財団は女児を取り巻く不吉な噂を耳にしないわけにはいかなくなっていたし、それによれば、彼女が吸血鬼化している可能性すら否めなかったのである。
そして迎えた1982年の秋。財団が死力を尽くして彼女の行方を追った労力に反比例するかのように、全く拍子抜けする程簡単に彼女の里親は彼女の引き渡しに合意した。
次に財団の前に現れた最大の問題は、彼女という個体をいかにして保有するか、であった。
吸血鬼化している恐れのある人間を安全に確保する方法、それは吸血鬼に対抗しうる力を持つことと全く同義である。
かくして、ジョセフ・ジョースターは、二階堂要という少女の身柄の引き取りも兼ねて、来日することとなった。
彼は丁度日本の大学に客員教授として講義を請け負うことが決定していたため、二つ返事で了承した。少女が自分の孫と同い年であったという理由も、若干含まれていたかもしれない。
しかし成田国際空港に降り立った彼は、じっとりとした日本の残暑の空気に、ウンザリだという風に顔をしかめていた。
彼のひとり娘が駆け落ちでもするかのようにして日本に嫁いでしまってからというもの、ジョセフはこの国のことがまったくもって大嫌いだった。



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