純然たる誠実に告ぐ | ナノ

結局、最初にあてがわれた母方の叔母の家には一ヶ月もいなかった。きっと二階堂の知らないところで動いた金があったのだろう、叔母は渋々と言った様子で受け入れてくれたようだったし、全く歓迎された様子ではなかった。その叔母は修行僧の何人かと交流があったせいか二階堂を気味悪がったというのもあったし、なにより二階堂の母親は親戚中でもなかなかに疎まれる存在だったようだ。二階堂は今となってはその母親すら不憫に思うくらいの嫌われようだったことを知ったのもその時だ。
その先は祖父母の家、母親が勘当されていたにもかかわらず叔母の頼みもあって渋々といった様子で受け入れてくれた。二階堂は彼らに今まで会ったことがなかったから、心なしか期待していた節もあったかもしれない。しかしながら彼らは田舎のほとんど閉鎖されたコミュニティで生きる部類の人間で、彼らとはまるで似つかない二階堂の赤い瞳と異国風の風貌を気味悪がった。ユノーが転入した小学校と子ども会の集まりで騒ぎを起こしたため、そこは三ヶ月程で去ることになる。二階堂もユノーもゲームセンターのない街には辟易としていたから、むしろちょうど良かった。
その次は資産家であった大叔父の家、珍しくその男には可愛がられたが、海外赴任に付き合わされた。遥か昔の記憶をなんとか引っ張り出してきて、いくつか外国語をマスター出来たのは収穫だったが、大叔父はいわゆる異常性癖者、ペドフィリアというやつで、性的虐待をユノーを使って避けていくうちに次の引き取り手が決まっていた。
次はその娘夫婦の家、その先はもう覚えていない。
最長は大叔父の八ヶ月、最短は覚えていない女の二週間。どういうつながりなのかすらわからないような親戚の家に、まるでリレーのバトンのようにして押し付けられる日々が四年ほど続いていた。二階堂の荷物はだんだん少なくなっていき、最近では両手に抱えた段ボール一箱にすら空きがでるようになっている。二階堂が自分でも旅人かと思うレベルだった。
ユノーは時を経るごとにひどく荒れるようになっていき、もういたずらで済まない程度に暴れるものだから、二階堂もすっかりフォロー出来ずにいた。小学校に転入すれば、その初日に窓は破れ机はひっくり返り花瓶は砕けるなんてことはしょっちゅうだったし、二階堂の容姿が五年の間にますます異国風の顔立ちに、そして髪の毛先が金色に変化していくにつれて悪目立ちしやすくなったせいもあるのだろう、そのほとんどが自然と二階堂の仕業ということにされるようになっていた。なにより二階堂は否定しなかった。ユノーのフォローしきれないそれくらいは、自分で被らなくてはならないというのが彼女の誠実だったし、否定するのも面倒だったというのもある。
他に理由があるとすれば、二階堂が問題を起こした方が引き取り手は二階堂名義の口座の預金を切り崩そうとしなかったし、場合によっては箔を付けて次の引き取り手にバトンタッチするようになっていた、というくらいだろうか。二階堂の母親方の人間は金に欲がくらんだ人間が多く、そして多くは金で物事を解決出来ると考える人種だったということだろう。

11歳の二階堂は、夏休みにまた一つ引っ越しを済ませた。今度は都会の片田舎、酒癖の悪い男性と不憫を通り越して性格のキツくなった女性の夫婦に渋々というパターンで、いつまでいられるだろうか、というのが本心だ。二階堂はユノーを撫でながら、うだるような熱さにため息をつく。
長くなった髪を掻き上げて一つにまとめると、彼女の右耳で緑色の石のピアスが煌めいた。
いつだか花京院にもらった結晶を、資産家の大叔父が親だったときに加工してもらったものである。
二階堂が自分への戒めとして開けたピアスのつもりだったが、皮肉なことに彼女はこの緑に支えられ、そして慰められていた。



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