純然たる誠実に告ぐ | ナノ

花京院は自分の影のようについてまわる緑色のそれを、明かりに透かしてみた。きらきら光るそれは花京院の意思で動き回り、やがて繊維状にロープのようになってみたり、形を変えてみたり、ユノーと花京院のゲームで対戦中の二階堂の体にとけ込んでみたりした。こっそり溶け込んだそのまま触手を動かしてみると、二階堂のプレイしていたキャラクターはたちまち画面の隅に吹っ飛んでいって、ユノーは嬉しそうに宙返りした。

「ちょっ…何するんだ!」
「どうかしたのかい?」
「なんか体の内側をくすぐられたような、こそばゆいような感じがした」
「へえ…」
「……何か試すなら、あらかじめ言えよ。まったく気色悪いっての。無駄に驚くから、やめろ」

花京院は新しい発見に興味深そうな顔をしていて、珍しく声を大にした二階堂が不平を垂れたことには全く関心がないようだった。はあ、と大げさにため息をついて、二階堂は花京院の母親が淹れてくれた紅茶をすする。
二階堂は約束通り、花京院の家に遊びに来ていた。
台所のカレンダーに二重丸を書くくらいには、花京院の母親は彼の連れてくる見た目麗しい「友達」を楽しみにしている様子だったし、この日のために新しい紅茶を仕入れ、菓子を焼き、用意周到だった。そのうちに「夕飯をご馳走したらどうかしら」だなんて言い出したので、とうとう花京院はため息をついた。

「母さん、それじゃあ要の帰りが遅くなってしまうよ」
「じゃあ典明が送って行ってあげたらいいじゃない」

そんな会話も、記憶に新しい。当の二階堂からしてみれば、夕食を振舞われるのは(日頃録なものを食べていない二階堂にしてみれば)ありがたいことだったが、心遣いが重くないと言えば嘘になる。その旨を花京院に伝えると、花京院もだったら食べていけばいい、と頬を膨らませていた。ちなみにその頬袋はユノーの両手に潰された。
二階堂はユノーとの対戦に飽きたのか、図書館で借りてきた本をランドセルから取り出す。『星占術と神話の神秘』と書かれていた。現実主義たる二階堂にしては随分と形而上学的な本を、それも小難しそうな顔をして読んでいるものだと、花京院は首を捻る。

「二階堂って占いとか信じるタイプだったっけ?」
「いや、信じない」
「ずいぶんとオカルトな本借りてるみたいだけど、どうしたの」
「……」

二階堂はうーん、と首をひねった。こういう時は大抵、二階堂はどう説明したものかと悩んでいる時のポーズだった。二階堂はまるで大人がそうするみたいに博識だ、と花京院は思う。きっと彼女は『特別』で、だからこんなにも『違う』んだ、と花京院は幼心に納得していた。だからこうして噛み砕いて答えてくれるのもありがたかったし、そんな二階堂を親切だと思う。やがて口を開いた二階堂は、質問を変えた。

「花京院のそれって、何か名前は?」
「さあ…」
「この間、この狐、自分のことを『ユノー』だって言ったんだ」
「言った?喋れたのか?」
「いや、そういうわけじゃなくて、ノートの端に落書きされた」

二階堂はフィナンシェをかじる。上品な甘い味が口いっぱいに広がって、二階堂は紅茶でそれを流し込む。

「それってどういう意味なの?」
「ローマ神話では、女性を守護する女神。絶対神であるユピテルの妻で、最高位の女神。笑っちゃうだろ?大違いなんだ。孔雀がその聖鳥ってところも。こいつは狐だってのに……」

捕食者とエサほどの違いだ。だから『沈黙の厄(ヴォルペコーダ・ユノー)』って呼ぶことにした、と二階堂はシニカルに笑う。花京院ははじめてこの狐の名前を知った。自分のそれはいったいどんな名前なんだろう、と思ったけれど、いまいちぱっとしたものは思い浮かばなかった。

「だから『ユノー』について調べてるのか…」
「そう」

けれどからっきしだと二階堂は肩を竦めた。本の虫の彼女が言うからには、きっとどこにも載っていないものなのかもしれない。花京院は自分のそれを見つめた。

「僕たちのこれっていったい、なんなんだろうね」

緑色のそれの指先から、緑色の粒がこぼれ落ちる。それを拾い上げて、手のひらの上で転がしてみた。まるで宝石のエメラルドのような緑色の粒だった。

「君のは便利でいいよな」

長いから、いろんなところに手が届くし、なにより花京院に従順だ。二階堂は本を読みながらそういったけれど、花京院は一緒にゲームやってあそべるくらいの自我をもつユノーがうらやましかった。所詮となりの芝は青いという話なのかもしれない。

「これ、要にあげるよ」
「?」
「僕のって、こういう結晶もつくれるみたいなんだ」

なかなか綺麗だろ?花京院は笑う。二階堂は特に断る理由もなかったので、小指の先ほどの大きさのきらきら光る緑色の結晶を、小さく礼を言って受け取った。
冬の陽は既に沈んでいた。階段の下から、花京院と二階堂を呼ぶ声が聞こえる。どうやら夕食の支度が出来たらしい。
花京院の母の力作は、それはそれは美味であった。



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