純然たる誠実に告ぐ | ナノ

門をくぐり、敷地内をしばらく歩いて、ようやく庫裡にたどり着く。玄関の引き戸をがらがらと開くと、修行のために住み込みで働く修行僧の一人がおかえりなさいと笑顔で迎えてくれた。

「今日は雨がひどいですから、心配しました」
「……傘を借りたんだ」
「干しておきましょう、明日は晴れるようですから」

彼はにこにこと笑った。そうか、彼はまだ入って日が浅いらしいと二階堂は思う。軽く礼を述べて、畳んだ傘を差し出そうとした、その時。狐が意味も無く引き戸をバシリ、バシリ、と幾度となく叩き付けた。不自然なその音に、修行僧の表情が凍る。一方二階堂は、「ああ、また。」そう思っただけだった。もう狐を睨みつけようとも思わなかった。
二階堂は傘を預けるのをやめて、無表情のまま軽く会釈をして、階段を上がった。
彼女の父親はこの寺の住職であった。人望の厚く、しかし厳しい人間であるとここでは評判の人物。けれど彼の妻は、数日おきにここに帰ってくる程度の人間だった。彼女は定職についていないから、つまりはそういうことなのだろう。二階堂は父親を不憫に思っていたが、彼女はこの住職と関わりを持つことは少なかった。彼の中での二階堂の存在はきっと、限りなく最悪に近いところにあるべき人生の汚点なのだろうと感づいていた。そして二階堂の母親が、その夫の自分への厳しさにつけ込んでいることも。
そのおかしな家庭環境はここの者たちには暗黙の了解と化していたものだから、二階堂は、彼女の父親にはまるで似ていないその容姿を含めて、全く望まれない存在だったし、二階堂自身、居心地は最悪だった。
そのうえ、彼女の狐がそうさせたのか、人の疎みがそうさせたのか、何がきっかけだったのかはもう定かでは無いが、修行僧の間には、狐憑きの噂まで流れていた。
だから二階堂は意図的に自己中心的な思考をもって、利己主義の立場に立って生きてきたつもりだった。そうでもない限り、彼女はこの環境に耐えられなかったのである。
彼女は何においても自立していなければならなかった。
ましてや二階堂に対してあらゆる面倒ごとを引き起こしてくるような狐だったから、そのためには彼女はあらゆる不誠実を切り捨てなければならなかった。彼女に非があってはならなかった。彼女のスタンスはいつだって誰とも永世中立的であることだったし、それは誰にも、どんな環境でも適用された。
彼女は他人に期待することを既に諦めていたし、不誠実な期待はやがて狐の色を濃くするばかりだった。
だから彼女は狐のことを、「沈黙の厄」と呼ぶことにした。狐をその名で呼ぶと、嫌そうに二階堂をじっと見つめる。そしてどこからかエンピツをもってきて、宿題のために開いたノートの片隅に、「Juno」と書き込んだ。
ユノー、つまり、女神。
ひどい僭称だと、二階堂は鼻で笑う。そして「VolpeCoda」とその前に込んだ。
ヴォルペコーダ・ユノー。狐の尾が生えた、みすぼらしい女神の贋作。
呼び寄せるのは厄ばかりだなんて、まるで貧乏神みたいで、ひどく滑稽だ。



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