寝台列車を利用すること二晩、ホテルに宿泊した日もそうでない日も、日中のほとんどを列車の中で過ごし、乗り合わせが無ければ数時間を照りつける日差しの中で過ごすことを余儀無くされた結果だ。当然といえば当然の結果かもしれない。シンガポール以来ぱったりと敵のスタンド使いに遭遇することこそなかったが、常に警戒は怠らなかった。心的疲労も、思えば目に見えていた。トドメとして昨晩の夕飯の食べ合わせが悪かったのだろう、と、二階堂は冷静な分析を下す。 「さすがのスタンド使いも、慣れない環境に、疲れが取れないまま置かれたら一度は倒れるさ。倒れないあいつらのほうがおかしいんだ、気にするようなもんじゃあない。ゆっくり休んだらいい」 「すまない…」 口を一文字に噤んでは眉間に皺を寄せ、ベッドに伏した花京院は苦虫を噛み潰したような顔をしていた。軽い食中毒を起こして倒れたのである。原因は昨日のサラダか、魚介類か、はたまたミネラルウォーターに入っていた氷か。 「みんなと同じものを食べてぼくだけ倒れるなんて、情けないな…要なんて、ぼくたち食べ物をほとんどシェアしてたってのに…」 「私は並の人間より多少丈夫に出来てる。毒すらだいたい効かない。それに、どうせ疲れが溜まってるのはみんな同じことだ、いずれにせよ、一度はゆっくり休むべきだった。謝ることもない」 「ジョースターさんたちは?」 「近くのスーパーマーケットに行った。酒盛りするとか言ってた」 「え、酒盛りって…大丈夫なのか?」 「アヴドゥルさんだけ反対してたけど、ジジイが乗り気だから……まぁ、たまにはいいんじゃあないの」 そんだけ疲れてるってことさ。そう付け足して、二階堂は肩をすくめて見せた。そうか、と相槌を返す間もなく喉までせり上がってきた吐き気に耐えられず、血相を変えて花京院はトイレに駆け込んで行く。二階堂はそれを滑稽に思って、ふっと小さく吹き出した。 高熱と腹痛、それから凄まじい吐き気。腹を下していないところをみると、症状はまだ軽い方だろうか。ウイルス性じゃあないことを祈るしかない。隣のベッドに腰掛けていた二階堂は、飲み水はまだあっただろうかと部屋に備え付けられた小さな冷蔵庫を確認することにして、立ち上がる。苦しそうな声とざばざばと胃液を吐き出す音がバスルームの方から聞こえてきた。さっきから、飲んだ水しか出てない。そろそろ脱水症状を起こしてもおかしくない頃だろうから、経口補水液を作っておくべきだと思って、二階堂はジョセフの置いて行ったトランクを開く。応急手当用の薬箱の中の中身を彼女は知っていた。 冷蔵庫にあった500ミリの瓶に粉末を溶かしていると、一通り吐き終えたのだろう、バスルームから顔を見せた花京院の顔色は最悪だった。口の中を濯ぐついでに顔も洗ったのだろう、前髪が濡れそぼっている。フラフラとおぼつかない足取りでベッドに半ば倒れ込むようにして横になった。二階堂はベットサイドに腰掛けると花京院の額に掌を充てる。「38.4…いや、3くらいか。下がったな」呟いて、冷えて結露し始めた硝子瓶を額に押し付けた。 「飲め」 「待ってくれ、飲める気がしない。飲んでもすぐ吐いてしまいそうだ」 「少しずつでいい。水分補給した方が、多分ずっと楽になる」 「わかったよ……けど、なあ、これ、ひどい味じゃあないか」 「経口補水液だからな。寝るなら横向けよ、寝ゲロで呼吸困難になったら危ないし」 「……ああ。これでもだいぶ良くなってきた方なんだ」 「きっと明日の朝までにはよくなる」 はぁ、と大きなため息をついて花京院は目を閉じる。眉間には皺が寄っていた。 「ぼくは…まだまだ弱い」 二階堂はぱちりと瞬く。「……これまた、ずいぶんと弱気じゃあないか」物珍しそうな声だった。花京院は目を閉じたまま、半分眠る体勢に入っているようだった。昨晩ほとんど眠れなかったせいだろう、本当は会話もせずに眠った方がいいくらいだ。 「ぼくは……ぼくは、君を守るためにずいぶん努力してきたつもりだったってのに……君ときたら」 「……」 強くなりすぎてわるかったな、とも、人間をやめかけてわるかったな、とも、皮肉を返すことも出来ず。返答に困って言葉を詰まらせている二階堂の手を取って、花京院は自嘲気味に笑う。 「冷たくて、気持ちいいな」 「好きに使ってろ」 二階堂は空いた方の右手で頬杖をついて、額に充てたり頬に充てたりされる自分の掌を眺めていた。 「これでチャラだからな」 「何が?」 「前私が倒れた時、側にいてくれた分」 「ああ、そんなこと、いいのに」 花京院は薄く笑って、最後に指を絡めて、そのまま眠ってしまったようだった。 武骨な掌は、かつてのもみじのようなそれとは程遠く、しかし変わらぬ暖かさで、無表情だった頬が緩む。 二階堂は、花京院を弱いとは思わない。そして、 「変わっていたのは私だけじゃあない、らしい」 守りたいのは、私だけじゃあなかった、らしい。 「しかし君も物好きだよな……こんな人間を辞めかかってるような、意味のわからない生き物を、守る、だなんて」 君はこの旅で、命を落としかねないってのに。 口角が上がる。 心臓が熱い。 笑いたいような心地がして、それから少し、泣きたいような気がした。 ×
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