30000!! | ナノ


二階堂要は空を見上げる。雲に覆われた空は、それでも少し眩しかった。カラスの濡れ羽色の髪がさらさらと風に流される。くせのない真っすぐなそれだけが、この国の人間であるという唯一の証明だ。それほどまでに彼女は異国風の顔立ちをしていたし、赤い目はなにより人の視線を浴びる原因だったように思う。色素欠乏症かと疑ったこともあったが、しかしこの黒髪である。不自然だが、異国の血が混じるということは時々こういう効果をもたらすらしい。昔かかった医者がそう言っていた。もう何年前だったか、覚えていない。一人暮らしをする前の、たらい回しにされ続けた生活のことはもう、ほとんど覚えていても仕方ない記憶と認定されていた。思い出すだけ、無駄だからだ。
名目上の親や後見人はたくさんいた。しかし二階堂は今まで、一人きりで生きてきたつもりだった。自分が生きる上で誰も助けてくれないし、どういうわけか、二階堂が不気味な黒い狐の影をもっていたからなのか、人は自分を嫌う傾向にあったからである。だから彼女は歳を経るごとに人に対して無関心になっていたし、狐のおかげで別段こまったことも無い。高校に入学してからは一人暮らしを始めたせいもあって、人嫌いには拍車がかかっていた。友だちなんていらない、家族なんて無駄だ。社会の構成員として明らかに異端とされる自分はきっと、死ぬまで一人ぼっちで生きていくんだろう。そう思っていた。ついこの間までは。

「やあ、承太郎。サボりか?」
「テメエも相変わらずだな」
「いいんだ、私はもうだいたい知っているから」
「提出物出さねえと成績はヤバいだろう」
「単位さえ落とさなければ問題ないさ」

空条承太郎に出会ったのは、たまたま彼が不良に囲まれていたからで、たまたま相手が武器を持った十人くらいで、たまたま二階堂がそこに居合わせたからという偶然の寄せ集めだ。彼は二階堂の通う高校の、一つ上のいわゆる先輩にあたる人物で、不良と名高く、しかしながらとにかく女生徒にモテる。きっとクラスの男子全員分の人生のモテ期と天秤にかけたって、彼には敵わないかもしれない。だいたい常に女の子につきまとわれていて、それをうっとおしそうにしている。媚びる女は好きじゃないらしい。そんな話はさておき、二階堂がどうして承太郎にまで心配されるような仲になったかという話に戻ると、先に述べた偶然の寄せ集めたる喧嘩に居合わせた二階堂が、承太郎を助けたからである。承太郎を助けたといっても、彼女が不良をとっちめるのを肩代わりした、という話ではない。承太郎の『それ』が『やりすぎる』のを止めた、ただそれだけの話。二階堂はそのとき、名乗りもしなかったし、ただ折り重なるようにして倒れ臥していた男達の中にずかずかと入り込むと、承太郎を一度だけ、それはそれはしたたかな拳で殴りつけた。承太郎の後ろに浮かんでいた緑色の人形が不良に更なる追い打ちをかけようとしていたのを止めて、二階堂をくるっと振り返る。二階堂と目が合って、とたんに殴り掛かってきたその拳を払いのけ、もう一つの拳をバシリと受け止める。赤色の瞳はじっと悪霊を見つめていた。どういうわけか、敵意がないことがわかったのか、緑色の悪霊はそれ以上攻撃をすることはやめて、すっと透けるようにして消えてしまう。赤い宝石のようなものが埋め込まれた狐が、承太郎の手を引いて、そして承太郎ははじめてこの女にはあの悪霊が見えていたこと、そしてこの狐が女に取り憑く悪霊ではないかという仮説を立てた。
その当時は名乗ることもせずその場を去った彼女と、承太郎が再会したのは、つい二ヶ月ほど前のことだった。立ち入り禁止の屋上で、うとうとしていた二階堂に、承太郎が声をかけたのがきっかけだった。
承太郎は煙草の煙を吐き出した。ゆらゆらと揺れる白い煙を、二階堂の狐が掻き消す。煙の向こうにいた二階堂は、苦い顔をしていた。

「未成年の喫煙は体によくないな」
「フン、知ったことじゃねーぜ」

もう一度吸い込んで、今度は二階堂の顔に吹きかける。二階堂はその整った顔をますます歪めた。承太郎はフッと笑い声を漏らす。承太郎には、二階堂やその狐に関して、わからないことがいくつかある。けれど彼はあえてそれを問うことはしない。いちいち説明されるのも面倒だし、だからといって彼に得になるかといえばそうでもないことが大半だからだ。こうしてたまに、屋上で授業をフケっている間、承太郎が声をかけてくることは、ほとんどない。けれど彼は二階堂をみつけては、隣にどっかりと腰を下ろし、今日のように煙草をふかす。ただ隣に座って、同じ景色を眺めているだけだ。
けれど二階堂はそんな承太郎の語らない、飾らない態度が好きだった。



匿名様 もし主人公の相手が花京院ではなく承太郎だったら、というリクエストでしたが、趣向に沿えていたでしょうか…!この場合、誠実主は幼少期のうちに花京院とは出会わず、吸血鬼化するきっかけもなく、ただたらい回しにされてジョセフに引き取られずに流れに流れ、東京の高校に入学すると同時に自活を始めるという設定でした。(ちなみにこれは朽碌が連載初期にもう一個考えていたルートでしたので、書けて嬉しかったです) リクエストありがとうございました!


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