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「要、君は何か、懐かしむ過去というのを持っているかい?」

マグカップを置いて口を開いた花京院に、二階堂は眉を潜める。

「どういう文脈で、そういう話になるんだ」
「ちょっとね、今日の帰り道、子供たちが駆けているのを見て、ぼくは昔が懐かしくなったんだ。自分にもあんなころがあったんだ、と思うとね」

花京院は「ぼくも老けたもんだ」と苦笑しながら言う。眉尻の下がった笑みは、自分の知っているそれとなんら変わりない。いつだって彼はこうして困ったように笑う癖があったように思う。彼は何も変わっちゃあいないというのに、時折こうして、過去を振り返って、感傷にひたるような仕草をみせることがあった。

「君には友だちなんていなかったじゃないか」
「君はそんなぼくと友だちだったじゃないか」

それで?どうなんだ?と訊かれて二階堂は、「さてね、どうだろう」茶を濁すような返事をする。彼女の覚えている限りの『人生』というものは彼の持つそれのような『通常』よりもずっと長いせいだった。それらは、ジョセフに出会うまで、懐かしんでばかりだった様な気がする。だいたい常に薄暗いような場所から始まる今の人生は、あまり振り返って気のいいものではない、というスタンスは、今でも変わらない。花京院はそんな二階堂の心境を知ってかしらでか言葉を続けた。

「ぼくは何度だって『懐かしむ』よ。だって、何度も言うようだが、君に出会って、ぼくの人生は大きく変わったんだ」
「それは……私だってそうだ」

昔も今も、二人でこうして、放課後、花京院の家でゲームをしながら、お菓子や紅茶をつまんだり、時によっちゃあ夕食までごちそうになったり。こうして二人でいること自体が、懐かしむという行為なのかもしれない。だとすれば、「君といること自体が『懐かしい』からなのだろうか」居心地のよさがどこから来るのか、二階堂はそれが懐かしいからなのかと考えついて、ぽつりと漏らした。「どうなんだろう」今度は花京院が、曖昧な返事をする番だった。

「なんだか、価値観の話みたいになってくるな。こういう話は」
「ずいぶんと飛躍するね」

花京院は笑う。そして、「じゃあどうして宇宙が出来たのか、みたいな話にしよう」と茶化すように言った。「突拍子もない」一蹴して、二階堂はまだ口を付けていなかったカップの中身を口に流し込む。

「それじゃあ話を戻けど、人間はきっと懐かしむために過去を持っている、というのがぼくの持論だ」
「ふうん」
「懐かしめるような明るかった過去がないと、人間は生きていけなくなる。生きていたいと思わなくなる」
「懐かしんでばかりの人間だって生きていたいと思わないだろう」
「懐かしんでばかりの人間はきっと、懐かしめるような過去じゃあなくて、自分の栄光という名の妄執に取り憑かれているんだ」
「君が持っているその『懐かしめる過去』というのは妄執とどう違うんだ?」
「今を生きる覚悟を持っているか、未来に目を向けていられるかどうかの個人的な視点の問題かな」
「目的観の違いか」
「そうともいえる。過去があるから、現在が出来る。そして、未来を見据えることができると思うんだ」
「だから過去を振り返ることはマイナスじゃあない、と」
「"History is always young."って言葉を知ってるかい?」
「『歴史は常に若々しい』……ドイツの哲学者の言葉だったか。人間は過去を見つめる視点を変えては新たに学び、未来を見据える。だから歴史は常に『若い』というやつ……で、それが個人にも当てはまる、と、君は言いたいわけだ」
「そうだね、そうなるかな」

僕が言いたいのは。花京院はそう言いかけて、言葉を切る。ユノーがゲームを放棄して、二階堂のもとへ戻ってきたからだ。「続けろよ」二階堂はユノーを軽くあしらいながら言った。この話を中断されるのは好ましくないらしい。それを笑って、花京院は口を開く。

「僕は懐かしむから、君のことを今までもこれからも、ずっと想い続けるんだと思うよ」

二階堂は少し眉間に皺を寄せた。「不確定要素の強い未来の話は嫌いだ」花京院はすこし驚いたような顔になった。

「昔はそんなこと言わなかったのに」
「良く憶えてるよな、そんなこと。昔もそう、突拍子もないことばかり言っていたものだ。だけど君はもう、あの頃みたいに、子供じゃあない」
「きみだってそうさ、昔を良く憶えているよ。要はぼくが言った、あの突拍子もない約束を、ずっと叶えるつもりでいたじゃあないか」
「私はいつだって、誠実でいたいだけだ」
「ならぼくだってそうさ。だったら不確定要素は弱い、僕も君も、懐かしむ限り、どういう視点に立っていたって、お互いを想い続けるような過去を持っているんだからね」
「君はまったく…よくそうもこっ恥ずかしいことが言えるよな」

二階堂は少し頬を膨らませて目を伏せた。否定はしないからには、図星が恥ずかしかったのか、それともはたまた別の意味なのか。花京院にはわからなかった。カップの中のホットチョコレートはまだ半分も残っていて、口の中には甘ったるい味だけが残っていた。



匿名様 大変長らくお待たせいたしました。花京院と誠実主が幸せな話、というリクエストでしたが、いかがでしたでしょうか。番外に入れるべきなのかIFに入れるべきなのかわからない話でしたが、時間軸がどこにあるのかを不明瞭に書いているので原作後なのか番外なのか、それとも未来の話なのかは読者樣方の想像にお任せいたします!楽しんでいただけたなら幸いです。リクエストありがとうございました!



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