濁った空を見上げて、口から溢れそうになったため息をなんとか呑み込んだ。特別ついていないッて訳じゃあない。極めていつものように、要はカッフェでエスプレッソとハムとチェダーチーズのパニーニを注文する。朝は手軽に済むものがいい、かといって、時間をかけるわけにも行かないから、極めて簡素なものでいい。晴れ間が見えたのは昨日までのこと、開いた財布に垣間見えた、愛しい家族と団欒したのはもう、三年も前のことだ。この三年で、自分の人生はまた、大きくうねりをあげて変わってしまった。思えばハルノ…今ではイタリアの学校に通うようになったから、便宜上、ジョルノ、と呼んでいる、あの彼と出会って、結婚してから数年が、いっそ一生分の『しあわせ』な日々というものを体現したような生活だったように感じられる。 財布に挟み込まれているのは、自分は大学の助手、夫は財団のエージェントになりたてのころの写真だった。あの時ですらジョルノにかまってやれる時間は限られていたが、けれど自分たちの心は確かに通じ合っていると、要は確信している。全寮制の中学へ行くと言い出した時も、きちんと話し合って決めたことだ。あの時はずいぶんと揉めたものだ。あの子はずいぶんと遠慮しがちなところがあるから、研究や仕事に追われる二人を気遣ってなんて、そんな気遣いはいらないのだと言い聞かせ、けれど初流乃もずいぶんと頑固だったりして。 (結果的には、それがよかったのかもしれないけれど) 彼が中学の寮へ行ってしまって、あのアパルトメントを去ってから、自分たちの生活は一変してしまったのだから。 自分に(義理の)弟が見つかり、親族の遺産相続その他諸々の云々に巻き込まれて大変な目にあったことから始まり、ちょうどそのタイミングで親友の娘が大熱を出したり、というのにあの大バカ者は日本の田舎にひっこんだまま出てこなかったり、その日本の田舎で回収したスタンドの矢を我々は追ってきたのだけれど、それに関しても調査が進み、フランスの友人と調査を共にすることが増え、いくつものやっかみごとに巻き込まれ、結果。要は公の場から身を隠さねばならなくなった。ここの三年間をハイライトにすると、そんな感じ。 日常、の二文字が、何よりも恋しい。自分の夫とも数ヶ月、電話すら交わしていない。完全に音信不通になりかけている自分がとても、みじめで情けなく思われた。 「二階堂、浮かない顔をしているな」 「ホームシックってやつだよ」 「……」 「微妙な顔をするんじゃあない、君にはわからないかもしれないけどね」 今では旧姓を使って生活している。自分の目の前で無表情に少し眉間の皺をとってつけたような、曖昧な顔をした男は、いわゆる同僚というヤツで、名はリゾット・ネエロという。"イカスミのリゾット"とは名付け親はいったいどういう神経をしているのかわからない、ひょっとしたら偽名かもしれないかった、気の悪いやつではない。要と同じように注文したエスプレッソを飲む姿は、実に上品で様になっている。整った容姿に、白銀の髪。新聞に目を通す様はそこらのビジネスマンに比べたらずっと、"ピシッと"している。しかしながら、と逆説がついてしまうのが大変残念ではあるが、彼はギャングだ。パッショーネという組織の、暗殺チームに属している。要とリゾットが知り合ったのも、いわば修羅場と呼ばれる部類の場面だった。同僚だからと言って、要がギャングであるかと言えば、微妙なところではあるのだけれど。目的を同じくする者は仲間といおうか、彼女が追っている男と、リゾットの追っている男が同一人物である以上、彼らは手を組んでいる関係であり、ゆえに、同僚。要はリゾットに、自分に流れてきた情報を無償でリークしていた。 それにしても、無表情の男女二人が、しかもそれがギャングと情報屋だっていうのに、朝からのんきにエスプレッソと朝食をいただいている様は、滑稽だろうと思って、要は薄く笑ってみる。別に面白くもなんともなかった。 「情報屋の二階堂がホームシック、ってのもおかしな話だな」 「人を人間じゃないみたいにいうんじゃあない。たかだか私の持っていた情報で、君の部下が何人死にそうになっていたことか」 「少なくとも二人は死んでいただろうな」 「感謝したまえよ」 冷めかけたエスプレッソを飲み干した、突然震えた携帯電話を握りしめて、要は一瞬だけ眉をひそめる。"この携帯"への電話は、普段決してこの時間にかかってくるものじゃない。この携帯へかかってくるチームの幹部は…最近死んで、その部下が後を継いだ。その遺産のありかの情報を買っていった男達が返り討ちにあった、という情報はいくつも届いている。彼の船出は順調なようだ。ゆえに取るか否かに迷いはしたものの、緊急事態の相手に非道になれるほど、自分は冷たい人間であるつもりもない。 「Pronto、ブチャラティ?」 「アンタが二階堂さん?」 聞き覚えのある声に、思わず携帯を取り落としそうになった。 「やっぱり、マードレですね。ぼくです、ジョルノ…いえ、ハルノです」 「……」 要は言葉に詰まったまま、真っ白になった頭でどうしたものかと新しい式を組み立て始める。しかし思考回路が通常の動きを取り戻すことはどうやら難しいらしい。脳内再生されたのは、『私が倒れて、旅に出るとかそういうことはあって欲しくない』そんなことを冗談めかして言ったのは、いったいいつのことだったろう。うわずった声で、続ける。 「どうしてこの番号を知ってるんだ」 「どうしてでしょう。何故だと思います?」 「おどけるんじゃあない、これは…」言葉に詰まって、要は小さくため息をつく。「ハルノ、アンタが掛けていい番号じゃない。どうやって知ったのかはわからないけれど、今すぐ忘れなさい」 「そんな必要は微塵もありません、って言ったら、どうします?」 要は小さく眉間に皺を寄せた。その時だった。目の前のリゾットの顔色が変わる。彼が背後の男から受け取ったのは、おそらくは本日朝一番で、自分が高値で取引した情報のはずで。 「まさか」 「その、まさかです」 息子の声は、ひどく上機嫌だ。嫌な予感に、冷や汗が垂れる。 「マードレ、僕はあなたを"助け"にきました」 背後から聞こえた声に、要はゆっくりと振り返る。ひどくゆっくりと。 そこにいたのは、髪色を金色に変えた、これまた奇抜な髪型の。 愛しい息子の姿であった。 須藤様 お待たせいたしました!エイプリル五部軸、ということで、いかがでしょうか!なんだかんだやっかみごとに巻き込まれて世間から孤立していた誠実主を ジョルノくんが助けに来る話でした。この場合暗チもブチャラティも生存ルート辿っています、おそらく。楽しんでいただけたなら幸いです。リクエストありがとうございました! ▼ ×
|