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某都某区、この水族館が近隣で唯一オニイトマキエイ、すなわちマンタを飼育している水族館であったわけだが、この水族館の見所は、マンタだけではない。熱帯の淡水魚から常闇の海に潜む深海魚、はたまた世界中に生息するヒトデコレクションまで、幅広くかつ深く展示されているのが特徴だ。花京院夫妻からの突然のオファーにもかかわらず承太郎が行く気になったのは、この展示の幅広さと質の良さありきのことである。そして彼が水族館の裏側の人間達に多少なりと顔が広かったものだから、それをいいように使われ、今回のプランニングを要に任され、挙げ句の果てにはマンタの餌やり体験の予約にまで奔らされることになったわけだ。
つい先ほどまで初流乃と一緒にペンギンの親子の前で大興奮していた徐倫は今、典明を連れ回して世界中のクラゲが集められた水槽群の前できゃっきゃと騒いでいる。クラゲの詰まった水槽越しに徐倫と写真撮影に付き合っている典明とは対照的に、初流乃を抱き上げた要は少し手前の離れた所で、二人してもっとも危険な刺毒魚として有名なオニダルマオコゼとツノダルマオコゼを興味津々に眺めていた。マイペースなこの親子に承太郎はいつもの口癖を呟かずにはいられない。

「僕これ、まえに本で読んだことがある、英語だとStone fishっていうんだ。毒性を調べた研究によると、オニダルマオコゼ1尾から採取される毒でマウスが一、二万匹も死ぬんだって」
「博識だな初流乃」
「ツノダルマオコゼが多く生息しているオーストラリアでは、万が一人間が刺されても、迅速な治療が出来るように抗毒素が作られている。世界で200以上の種が存在する刺毒魚で抗毒素が作られているのは、ツノダルマオコゼだけだ」
「…承太郎、いつの間に」
「テメエの旦那がさっさと先に行っちまってる」
「徐倫もだろう、典明のせいにするなよ。……初流乃、そろそろ行こうか」
「マードレ、僕ピラニアが見たい」
「承太郎」
「……ピラニアは地下にあるぜ。だがその前に、巨大水槽と水中トンネルもある」
「マンタが見れる!」
「ああそうだ」

要の腕から降りて、徐倫と典明の方へ駆けていった。「承太郎、君のせいで初流乃にフられちゃったじゃあないか」「花京院みたいなこといってんじゃねえ」帽子の鍔を握った承太郎に、乾いた笑い声を漏らす。

「全く…相変わらずだな」
「その言葉、そっくり君に打ち返そう。奥さんから聞いたよ。最近また、長く家を空けてばっかりだったんだって?」
「…」
「いずれ愛想つかされるぞ、とか、冷やかしはさておいて、も、だ。……確かに、スタンドを発現していない徐倫達を大事に思う気持ちはわかるけれど、君は圧倒的に、言葉が足りないことが多い」
「テメエにその言葉、そっくり打ち返す」
「打ち返されてもいいさ、典明はそれでもいいっていって、私と一緒にいてくれるんだから」

要は透き通ったエメラルドグリーンの水槽に浮かぶ魚影をなぞる。承太郎は半ば呆れたような視線を向けて、「のろけんな」呻くように呟いた。要は苦笑いとも照れ笑いともつかない声を唇の端から漏らしてから、承太郎の瞳を覗き込んだ。

「ともかく、君の奥さんのママ友として意見させていただくよ。もし彼女を悲しませたら……私は君が泣くまで殴るのをやめないからな」

その声は静かで、いつもの無表情だった。きっとジョークなど一ミリたりとも含まれていない、本気なのだろう。承太郎は長く美しい髪を持った、何にも代え難い彼の愛妻を思って、それから自分の行動を顧みて、一連の悶着にはどうやら自分に非があるらしいぞと、ため息をつきたくなる。要と妻は、ひどく仲が良い。長く承太郎を見てきた、という意味で、通じるものがあるのかもしれない。重ねて言えば、彼女の旦那にも、そういえば似たようなことを言われたような気がする。
と、要はずらした視線のさきに、「……あれ、典明」承太郎も振り返ると、どこか焦ったような表情の典明が二人をめがけて真っすぐ歩いてくるところだった。

「ああ、やっぱり…徐倫、来てない?」
「徐倫?一緒じゃあなかったのか」
「おい、どういうことだ」
「三人が遅いから呼びにいくって、徐倫が走って行っちゃってね。呼び止めようとおもったんだけど、そこにちょうど初流乃がきて、すれ違っちゃったみたいで」
「初流乃は?」
「徐倫を探しに行ってる。もちろんハイエロファントといっしょだ」
「『ベルヴォルペ・ユノー』」

要の肩から飛び出した狐は、要をちらりと見やってから駆け出すと、やがて人ごみの中の影に溶けてどこかへ消えた。きっと初流乃達に追いつくまで二分とかからないだろうし、ひょっとしたら、先に徐倫を見つけてしまうかもしれない。うまく誘導してくれるといいんだけれど、と要は息を吐いた。

「僕たちも手分けして探そうか」
「子供の足だ、遠くまでも行けないだろう。じき見つかるさ、承太郎。だからそんなこわい顔するんじゃあない」

呆れたような顔で要は呟く。承太郎は帽子の鍔を摘んで、不機嫌そうに目元を翳らせた。きっとスタープラチナの射程範囲を恨んでいるのだろう。



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