小説(blst) | ナノ

宿命は取り上げられることはない。それは贈り物なのだ。

『あんたって、不感症なのね』
 そう言っていたのは誰だっただろう。バイト先をころころ変えていた時、比較的続いた店のオーナーだった気がする。まるで餞別のようにバイトをやめる時に貰った言葉だった。別にトラブルがあったわけでもなく円満退職だったので本当に親切心で彼女はそう言ってくれたのだと思う。そしてその言葉はすとんと胸に落ちた。ああ、そういうことかと自分の現状をうまく言語化するものだと納得した。だからと言ってそう簡単にどうにかなることでもなかったが。
『何をしてもそんな風にしかなれないなんて可哀想に』
『きっと、よっぽどつまらない人間なんだわ』




 ケイ指導の下のレッスンが一通り終わる頃には額からは滝のように汗が滴り落ち、肩を大きく上下させる程度には息が上がっていた。横目で他のメンバーを見ると確かに誰もが疲労の色を見せているが自分ほどではない。その事実は仕方のないことであるので事実として受け止める。とりあえずは音を上げることなく最後まで着いていけたので及第点と判断した。辛うじて、ではあるが。
「別メニューにするか?」
 口許に笑みを湛えたケイが挑発的に問い掛ける。それに内心苛立ち舌打ちしたい衝動を抑えて無理矢理呼吸を整えた。
「そういった気遣いは無用」
「ならば精々励め」
 実に上から目線な激励だ。しかしどうもこの態度が彼の素であるようでこちらが慣れるしかない。おまけにケイの指導というものは恐ろしいほどに的確で文句の付けようがない。未だに目的の読めないこの男を信用はできないが現時点では素直に従っておくのがベターだろう。
 
 ばらばらと人がレッスン場から散っていく。居残って練習を続けようとする何人かと同様に再び壁の鏡と向き合う。自分の姿が写る。細い体、冷めた瞳、片割れと瓜二つの顔。兄を演じる妹。男のふりをする女。おかしな状況だという自覚はある。だが、スターレスに居続けることを選んでしまったのだ。
 振り付けに忠実にその場でターン。鏡の中の自分も回る。昔から兄よりも運動神経はよかった。ダンスは得意だし演技もこなせるが歌に関しては一生追い付けない。シンガーを兼任していた兄に完全に成り代わることは不可能だった。むしろ、兄のパフォーマーとしての役割を請け負うようになったのが自分だったのだ。代理を勤める回数が増えるたび兄はますますシンガーとして没頭していった。パフォーマーを担う妹とシンガーを担う兄。言ってしまえば二人で一人の人間、つまりは“ミカゲ”。その歪とも言える関係性は奇跡的にも成功していた。
 けれど、片割れはもういない。
「キミ、少し休んだ方がいいよ」
 鏡に写る自分の背後にクーが立ったのに気が付く。動きを一度止め、彼のゴールドを乗せた瞼の下の目と鏡越しに視線を合わせる。
「そう」
 提案の受理と肯定の意味、そしてそれは今ではないという意思を込めて一言だけ返した。
「そう、ってキミねえ……」
 やれやれとクーは溜息を吐き出す。
「もう少し自分に関心向けなよ」
「向けてるよ、十分にね」
「それで?」
 クーが片眉を跳ね上げた。 よくもまあそんな台詞を口に出来るものだと呆れた風に。そして言葉を続ける。
「なら食事はきちんと摂るべきだし睡眠も疎かにするものじゃないよ」
「普通でしょう」
「キミ、しばらく見ないうちに痩せたね。顔色もずっとよくない」
 そうなのだろうか。他人から見てそう見えるならそうなのだと判断した方がいいのかもしれない。
「確かにお前随分と動きが悪かったな」
 いつの間にかモクレンまでが会話に加わる。中性的な容姿ながら体格はしっかりとした二人と並ぶと自分の体の薄さが目立つ。まあ兄も似たようなものだったが。
「筋力と体力が落ちたのは否定できないかな」
「さっさとコンディション整えろ」
「ホント、モクレンからも言ってやって。放っておくとロクなもの食べないから」
「兄貴の方も似たようなものだったじゃないか」
「あっちは酷い偏食。こっちは拘りが無さすぎる」
 双子と言えど、いや、双子だからこそ趣味嗜好は異なるものだ。兄の偏食は酷いもので嫌いなものが多いと言うよりも食べられるものが少な過ぎた。今まで何を食べて生きてきたのか不思議なほどに。それに対して妹である自分は食にはいい加減で何でも食べるが何でもいいというスタンスなため3食おざなりになりがちだった。スターレスに通うようになりいくらか改善されたがこの数ヶ月ですっかり以前の食生活に戻ってしまったのは間違いない。
「お前ら本当に生きるのに向いてないな」
 モクレンが笑みにも似た表情を浮かべた。珍しい生き物でも見つけて面白がっているような顔だ。
「片方は実際に死んだから間違いではないと思うよ」 
 そう事実を言ってしまえば、ひっどい自虐…とクーが独り言のように呟いた。
「まあ、お前が生きようが死のうがどっちでもいいけどステージでの上では死ぬなよ。邪魔だから」
 実に自分本意な発言だ。けれど疑問も浮かぶ。
「一般論として、パフォーマーは舞台上で生きて死にたいと思うものだという認識なんだけれど。そこに共感は?」
「さあな。私の邪魔にならない範囲で勝手にして」
「キミ、本当に自分のことしか考えてないね」
 我関せずのモクレン。クーの苦笑。
 けれど、二人は同類。パフォーマンスをする人間を大きく2つに分類したときの同じ側、とでも言えばいいのか。うまく言語化することはできないが。
 それに対する自分はどうだ。兄は間違いなくあちら側だっただろう。けれど自分は、不感症な私はあちら側へは行けない。
 視線を鏡に写った自分の姿に戻せば、やはり、冷めた目をした人間がじっとこちらを見ている。ああ、本当に足りないものが多すぎる。欠落の多い双子が二人でようやく一人の人間になれたのに、片割れを失ってしまえばただの不完全な紛い物でしかない。
 けれどそんな歪な人間ばかりが集まったのがスターレスならば、まともな部類に入るのだろうか。今さら自分がまともな人間になれるとも思ってはいないが。