小説(blst) | ナノ

天は永遠なる栄光を示しながらあなたの頭上を回っている。

「早希さん」

 スターレスの入り口の前で聞き覚えのある声に振り返ると、見覚えのない人が立っていた。黒のミニドレスにストラップ付きのピンヒールサンダルを履いた若い女性は小さなハンドバッグを手にこちらを見ている。ふと、スターレスに初めて来た日のことを思い出す。あの時も見知らぬ女性に絡まれ訳も分からぬまま追いかけられた。
「あの、どなたですか」
 恐る恐る問いかけると目の前の女性は首を傾げる。
「私、2号」
「えっ!?」
 スタッフからは2号の通称で呼ばれている女性キャストの存在は早希も知っている。けれど記憶の中の姿とあまりにも印象が違う。彼女はステージに立つ時やフロアスタッフとして働くときには男装しているのは勿論のこと、それ以外にも店にいるときはわざと性別が分かりにくい服装をしていた。化粧がさらにそれらしく施され、中性的な容姿は危うげで美しく同性ながらドギマギさせられる。けれど今日の彼女は完全に夜遊びする女性の姿そのものだ。
「ミカゲさんだったんですね。すみません、いつもと雰囲気が違っていたので」
「まあ、今日はオフだから。スターレスの客ならこういう方がいいかな、って」
 そう言って軽く目を伏せると真っ赤なルージュの塗られた唇に指先を添える。仕草の色っぽさに少しどきりとする。
「あの、すっごく似合ってます。素敵です」
「そう」
 思ったままを口にすると彼女は小さく笑った、ようにも見えた。仕事中はお客さん相手に愛想を振り撒いてはいるが素はかなりダウナーで感情は読みにくい。
「行こう、早希さん」
 そう言いながら腕を優しく掴まれ、距離を縮められる。少し見上げる位置に彼女の顔があって目が合う。瞼に乗せられたゴールドのラメと際に塗られた黒いアイラインが官能的で思わず身を引いてしまう。
「嫌だった?」
「いえ、ちょっと驚いちゃって」
 よく考えてみれば同性同士ならなくはない距離感だ。少し、羽目を外してもいいかなと思い少し緊張しながら彼女と腕を組む。いつもスターレスに来るときは男性にエスコートされるのが殆どで、女の子同士で店に行くのは初めてだった。客層を見る限りほとんどのお客さんはそういうパターンが多い。それを見て少し淋しさを感じてしまったことをミカゲの前で思わず呟けば「なら私と一緒に行こう」と何のためらいもなく言われた。そして、今日にいたる。
「今日はチームKの公演でしょう? 早希さんは誰を推してるの?」
「うーん、難しい質問ですね。皆さん素敵なので」
「箱推し、って言うんだっけそういうの」
「ミカゲさんは推している人いないんですか?」
「いや、私は同僚みたいなものだから。そういう対象じゃないかな」
 今までになかった新鮮な会話をしながらエントランスへと足を踏み入れるとスタッフに出迎えられる。
「オトモダチ連れとは珍しいな」
 黒曜が早希とその隣を見ながら珍しそうに話しかける。早希はミカゲと顔を見合わせそしてくすりと笑った。
「黒曜さん、この人ミカゲさんです」
 そう言って組んでいた腕を引き寄せると目の前の男は目を見開く。
「は?」
「意外に気付かないものだね」
「そうですね。普段の印象が強いのかも」
 悪戯が成功した気分だ。黒曜はミカゲを頭のてっぺんからつま先まで何度も往復するように見て、マジか……と小さく呟いた。
「黒曜、仕事。私たちを席に案内して」
 いつもの調子でミカゲが言えば黒曜は苦虫を噛み潰したような表情で唸る。
「うるせえよ。――おら、早く来い」
 早希はミカゲと腕を組んだままそれに着いていく。自分より背の高いにミカゲにもたれるようになるのは仕方がない。一度振り返った黒曜が「何だそりゃ」と心底理解できないとでも言いたげにぼやいたのが聞こえた。
 案内された席はいつものようにショーがよく見える場所だ。黒曜からメニュー表を受け取り二人で覗き込む。
「ミカゲさん何にします?」
「どうしようかな。折角だし甘いもの、とか」
「いいですね!女子会しましょう」
 お洒落なデザインのページをめくる。かわいい一口サイズのフィンガーフード、フルーツとクリームたっぷりのパンケーキ、期間限定のパフェ、カラフルな甘いカクテル。これがいい、あれがいいと指さしているとただの友達と過ごしているようで自然と気分も上がる。
「ご注文はお決まりですか」
 オーダーをしようとしたタイミングでリンドウが現れる。笑みを浮かべて早希を見て、そして隣に座るミカゲを見た。
「今日は彼女と来ていたんですね」
「リンドウさん、ミカゲさんって分かるんですか?」
「以前こういう服装をしているのを見たことがあるので。でも、一瞬誰か分からなかったです」
「じゃあこれで2勝1引き分けですね」
「何がですか?」
 リンドウが首を傾げた。早希は何故が少し誇らしげに返す。
「私、ミカゲさんだって気が付かなかったんです。あと黒曜さんも。リンドウさんは、惜しかったです」
「なるほど。だから2勝1引き分けなんですね」
 ということはつまり、スターレスの男性陣はあまり彼女のこういう姿を見たことがないのだろうか。ちらりとミカゲを見れば、やはりいつもと全然印象が違う。髪がまとめ上げられ露わになった項も、剥き出しの肩も、スカートから伸びたすらりとした白い脚もこうして見られたことがとても幸運なことのように思える。
 早希の代わりにオーダーを済ませたミカゲは挑発的に脚を組むと目を細めてリンドウを見た。
「今日は私と早希さんのデートだから邪魔しないでね」
「ほどほどに」
 苦笑してリンドウが去っていく。
「デート、ですか」
 早希が聞き返せばミカゲは薄く笑みを浮かべた。
「ここが嫌なら場所変えてもいいよ。抜け出しちゃう?」
「そんなことないですっ」
 ぶんぶんと頭を振って答えるのとホールの明かりが絞られるのは同時だった。アナウンスがショーの開始を告げるとあちこちで黄色い悲鳴が上がる。演目はチームKの新たなスタンダード。シンガーはケイだ。重厚な音楽にケイの堂々とした歌声が重なり空気を震わせる。フロアの空気が一瞬で支配された。このステージに魅入られない人間などいないだろう。早希もただ一心に見つめると不意に視線がケイと合った気がした。ファンサービスの一環だろうか。
 ふと間近に気配を感じたかと思えばミカゲの顔がすぐ近くにあった。頬と頬が触れそうなほどの距離だ。
「今、ケイがキミを見てた」
 耳元に囁くような声と吐息がかかる。
「あ、あの」
「ねえ早希さん、このままキスしていい?」
 そう言って、彼女の細い指が顎に添えられ持ち上げられる。蠱惑的な表情を浮かべたミカゲの瞳に釘付けになり体が動かない。
「っ、ミカゲさん……!」
 小さく悲鳴染みた声を上げればミカゲはあっさりと早希を開放した。そして愉快そうに肩を震わせる。
「ごめん、ケイへ嫌がらせしたかっただけ」
「もう!」
 思わず頬を膨らませると白い指でつつかれる。
「でも早希さんさえよければいつでも続きしたいな」
「またそうやってからかうんですね」
「早希さん可愛いから」
 スターレスにいる人達はこういう人達ばかりで本当に心臓にわるい。