小説(blst) | ナノ

わたしの針路は未知の海へ向けられている。

 何はともあれ、やるべきことは分かりきっている。襲撃されて荒れたフロアも片付けなくてはならないし、移転のために荷物の整理もしなくてはならない。その上、一応は代理という形でキャストの位置に収まったのだからレッスンにも励まなくてはならない。
 closedの札が掛かった扉を抜けてエントランスを通り過ぎようとしたところで慌てたように走ってきた誰かに腕を掴まれた。視線を向ければセットされた銀髪に特徴的なピアス。銀星だった。そして明らかに焦った表情。
「やばい。お前、今日はしばらく隠れてろ」
「なんで」
 思ったままに疑問をぶつければ説明している暇もないとばかりに半ば引きずられるようにして裏の休憩スペースまで連れていかれる。何人かとすれ違うが止めるような人間もいなかった。
 休憩スペースには煙草を吸う晶と隅で眠るメノウの姿があった。
「あれ、2号ちゃん。どしたの」
 煙草を咥えたまま晶は器用に喋る。
「銀星に連れてこられたんだけど」
「へえ、そりゃ強引なことで」
「羽瀬山が来てるんだ」
 茶化す言葉を銀星はぴしゃりと遮った。
 羽瀬山、確か新しいオーナーの名前だったか。
「なら、挨拶とかした方がいいんじゃないの」
 普通はそうするものだと思って口にすれば首を横に振られる。
「あいつ、代理のキャストで女が来るって知らないんだよ」
「あー、確かにやめといた方がいいね」
 晶も銀星に続く。
「確実に目ぇつけられるでしょ。2号ちゃんはお兄ちゃんに似て美人だし? あのオッサン他の自分の店に入れたがるに決まってるって」
「ああ、そういうこと」
「そゆこと」
 だいたいは理解ができた。横暴な新しいオーナーは基本的に金稼ぎが好きらしい。どこに需要があってどうすれば経済が回るのかよく分かっているのだろう。スターレスもホストクラブになりかけたと聞いている。
「羽瀬山が来る前にお前もミカゲも休暇取っただろ。だからあいつそのあたりの事情知らないんだよな」
「じゃあこっちにいる時は常に男装してた方がいいね」
「ああ、面倒だと思うけどその方がお前のためだ」
 改めて今日の服装を見下ろす。ハイウエストデニムにデコルテが露出するトップス、足元はパンプス。どう見ても女しか見えない。以前までは特に気にしていなかったがこれからスターレスに通う時には変えていかなければならないようだ。それに髪も伸びた。休暇を取って半年近くが経つがその間一度も切っていない。兄に似せたミディアムショートの髪型の面影はもうない。
「髪も切らないと」
 そう言って一房掴んでみれば晶から惜しそうな声が上がる。
「えー、いいじゃん。伸ばしなって」
「晶が丸坊主にするなら考えてもいい」
「俺の犠牲でかすぎない?」
 けらけらと晶が笑い声を上げると隅で眠っていたメノウが身じろいだ。そして非常に緩慢な動きで体を起こす。
「……んー、レッスンの時間……?」
「お前も晶も今日は片付けだろ」
 寝ぼけたままのメノウにやれやれと銀星が言葉を返す。そうすればまたメノウの瞼がゆっくりと落ちる。相変わらずの眠たがりだ。
「ねえ、今日はレッスンのつもりで来たんだけどそれも参加できないの」
 隠れていろ、とはどの程度なのか。
「表に出なければ大丈夫だろう。あいつも好き好んでバクステには来ないしな」
「そう」
「でもな」
 そこで銀星は言いにくそうに言葉を濁す。
「ミズキがレッスンから逃げるかもしれない」
「どうして」
「さあな」
 脳裏に一人の顔が浮かぶ。口が悪くて態度も悪い。典型的な悪ガキ、とでも言えばいいのか。だが、レッスンから逃げていたという記憶はあまりない。何があったのだろうか。
「じゃあ、ミズキが逃げたらリンドウ、クー、真珠、私の4人てことになるね」
「だな」
「アンダーがいないとこういう時困る」
「まあそのあたりのキャストの再編はケイに任せておけよ」
 銀星の台詞は自信にあふれていた。それほどケイの行いに全幅の信頼を置いているのか。
「でもそれってつまりWから誰かPに行くかもってことだろ」
 晶の言葉はもっともだ。チームPから3人も新設されたチームKへと引き抜かれてしまった。ならばそこに補填は必要だ。過剰分を不足分へ回すのは自然の道理。
「スターレスも変わっていくね」
 思わず呟く。明日も今日と同じ日が続く、いつまでもそれは変わらないのだと期待し望んでいたとしても変わらないものなど何もない。緩やかだろうが急だろうか変化は必ず訪れる。
「2号ちゃん的には変わって欲しくなかった?」
「さあ。考えたこともなかったかな」