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Beating around the bush.

 何故こうも、まとまりがないのか。実に不思議というか不可解だ。仲良しこよしをしろというわけではないのに。信頼関係の出来上がっていない状況での衝突というものがどれだけ迷惑極まりないか分からないのだろうか。

 雑多な廊下を駆け抜け目の前の背中を追う。
「ミズキ、止まれ!」
「誰が止まるかよバーカ!」
 一瞬だけこちらを振り返ったミズキが歯をむき出しにして吠えた。
毎度毎度レッスンから逃げ出すのはいい加減にして欲しい。スタメンでリハーサルを通せないのは致命的だしこうして追いかける時間が無駄でしかない。そもそも、何故逃げる。自分の記憶の中の彼は少なくともリハーサルにはきちんと参加していた。狂犬ぶりは変わらないがそれでもステージは好きだと思っていたのに。
 追いかけっこは明らかにこちらが不利だ。体力も筋力もあちらが上で体格でも負ける。息も上がって限界が近づいたのを自覚する。しかし廊下の曲がり角に差し掛かった瞬間に現れた人影に流石のミズキもスピードも落とす。その隙を見逃さない。ラストスパートとばかりにペースを上げてミズキとの距離を一気に縮める。手を伸ばして腕を掴み肩を掴み、足を払って体勢を崩す。そのままマウントポジションをとろうと圧し掛かるが向こうも無抵抗なわけがない。全身を捩じり、手足をばたつかせてもがく。
「はっ、なせよ!」
 上半身のバネを使ってミズキが起き上がりその勢いのままこちらは後ろに突き飛ばされる。背中を強かに硬い廊下にぶつけ思わず顔をしかめた。ドタバタと騒がしい足音が遠ざかっていく。また、逃げられた。

「大丈夫ですか?」
 恐る恐るといった風な声とともに伸ばされた手があった。持ち主を視線で辿る。風見早希、ケイがスターレスへと連れてきた女性。本人さえも何故自分がここに呼ばれたのか知らないらしい。あまりにも、無防備で、無警戒で、ここには似合わない。
「問題ないよ」
 そう言って彼女の手を取ることなく起き上がる。
「キミこそ怪我は? ミズキがすごい勢いで走って行ったでしょう」
「平気です。でも、ミカゲさん本当に大丈夫ですか? 思いっきり背中打ってましたけど……」
 心配気に眉を下げられると、少し、調子が狂う。
「このくらい慣れてるから」
 そう言えば彼女は困惑の表情を浮かべる。何か悲劇的な背景でもあるのではないかと思われているのだろうが、そういうわけではない。けれど正直に話していいものか。この、ごく普通の、どこにでもいそうな、ずっと明るい場所で生きてきたような彼女に。
 さて、どう言い訳するべきかと考えていたところでタイミングよくリンドウが現れた。彼は早希へと軽く挨拶をした後にこちらを見る。
「ミズキは?」
「逃げられたよ」
「そうですか。すみません、いつも追わせてしまって」
 彼は申し訳なさそうに目を伏せる。
なるほど。“すみません”、ときたか。
「別に。彼がいないと困るしね」
 リンドウから視線を外してそう答える。
 レッスンから逃げるミズキを追いかけるのは最近のチームPでの恒例だ。別チームから移動してきた芝居ジャンキーのメノウまでもがそれに加わったのはかなり意外だったが、それでも滅多にミズキは捕まらない。引き摺ってレッスン場に連れて行ったところでまともな練習にもならない。おまけに、問題はそれだけではない。チームのナンバー2だけでなくシンガーまでもがトップとの衝突が絶えない日々が続いている。本当に、不可解だ。どうしてそんなことができるのか。
 あの、と会話を聞いていた彼女が控えめに声をあげた。
「リンドウさん、ミカゲさん怪我してるかもしれなくて」
「そうなんですか?」
 視線を合わせずに顔を横に振る。
「まさか。あれくらいで怪我なんてしない。早希さんが少し大げさなだけ」
「あまり無茶しないでください」
 窘めるようなリンドウの台詞に鼻で笑って返す。
「それくらいしないとミズキは捕まえられないでしょう」
「あなたに怪我をされたら困るんです」
「公演に穴を開けるような真似はしないよ」
 先にレッスン場に行くから、そう言い残してその場を去った。

 
「なんでこっちに来てるの」
 てっきりあのままリンドウといると思っていたのだが。
「えっと、すみません」
 気付けば風見早希がレッスン場の入り口からこちらを見ていた。関係者以外は立ち入りが厳禁なバックステージに出入りするイレギュラーな一般人という立ち位置であるが所作の一つ一つはありふれている。こちらを控えめに見つめる姿に文句を言うつもりはなく、そもそもさほど興味もない。邪魔さえしなければ何をしようが干渉する気もない。
「まあ、いいけれど。どうぞ中に入って」
 入り口で立ったままというのも『客』への不適切な対応だ。彼女に入室を促すと、そろりそろりと緊張の滲む様子で足を進めている。無理もない。ケイの思惑が何なのかは知る由もないが、彼女自身は思い当たる節もなく戸惑いの最中にあるのだろう。
「あの、背中大丈夫ですか?」
 先ほどと同じ問いを向けられる。返す言葉は変わらない。
「さっきも言ったけれどあれくらいどうってことない。公演に影響を出すようなことはしないから」
「あまり無理しないでくださいね。それにリンドウさんだって公演のことも勿論大事ですけど、ミカゲさんが怪我してないか単純に心配してるんだと思います」
 なるほど。彼女は本当に普通だ。変に捻くれてもいない。好意を好意として受け取り、悪意に苦しむありきたりな人間だ。
目の前に立つ彼女をじっと見つめる。
「だから?」
「え?」
 虚を突かれたような表情の彼女がきょとんと首を傾げた。
「それくらい理解してるよ。それが何」
 リンドウの人となりはそれなりに理解している。スターレス内での交流が最も多いキャストは彼なのだから当然かもしれない。いや、兄を介しての交流だ。リンドウの情報の大半は兄を経由して伝えられた。そこに事実との大きな齟齬はなかっただろう。
 だが、それはあくまでも兄とのやり取りにおけるパターンだ。
 誰を相手取るかによって対応を変えることは当たり前のことであり、つまり、私は兄と同じ待遇など期待できない。
「彼にしてみれば私はずっと“お客さん”なんでしょうね」
 兄の代わり。仮初のキャスト。名前のない誰か。
「だから受け入れられない。だから気を遣う。チームメンバーを探すなんて当然の行動に対して謝罪する。私が部外者だから」
「そんなこと、」
 思ってない、と続けようとしたのであろう彼女の言葉を遮る。
「そんなことあるんだよ、早希さん」