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それでも夜は取り返しもつかず

「誰も立候補しないわけ」
 舞台袖でのやり取りをしばらく見ていたが、これでは張り合いがない。
「オーナー、私もナンバー2争いに参加するから」
 そう宣言すれば驚きに染まった目がいくつかこちらを向く。唯一愉快そうな表情を浮かべた羽瀬山は機嫌よく口を開いた。
「へえ! ノリがいいやつもいるじゃねえか。よし、俺が認める。お前も加えて三つ巴だ」
 案の定あっさりと許可が下りる。周囲の視線には驚きの他にも非難の色が混じり始めた。予想ができたことなので特にこれといった感情も湧きはしない。
「……いったいどういうつもりですか」
 落ち着いたリンドウの声にも僅かに怒りが滲んでいる。それに対し平然と返す。
「こっちの方が客も楽しんでくれるでしょう?」
 キャスト対決の売り上げがよいことは周知の事実だ。好きなキャストを勝たせるために金を落とすということは客にとってもある意味娯楽であろう。キャストを人質に取られているとも表現できるがスターレスのような場所でわざわざ言うようなことでもない。
 別にスターレスの売り上げに貢献したいという気はさらさらないが、対決というものには興味がある。
 厳しい視線を向けるリンドウを見つめ返せば、別の声がかかるった。
「え〜。ずるいって〜」
 関西弁に近いイントネーションには聞き覚えがある。部外者だというのに最近頻繁にスターレスに出入りするようになった青年は不満げに口をとがらせている。さらに近くにいたホールスタッフ姿の青年も納得できていない顔だ。
 リンドウに体を向けたまま首だけ二人の方へと動かす。そして客に向ける用の媚びた笑顔を作り、あざとく首を傾げる。
「『オマエたちじゃ勝負になんないからぁ』」



***



 何度目かわからないステップを繰り返す。
 疲労でぐらつく体幹に鞭打つようにその場でキックターン。下がりそうになる腕を無理に平行で維持し、表情はそうとは気取られないように崩さない。
 しかしどれだけ細部にまで気を配ろうがケイの指摘は止むことはなかった。
 個人レッスンを申し込んだのは確かにこちらだ。指摘も的確で反論もできない。だが、不満がないわけがない。あの高圧的な態度を気に入ることはないだろうし、その指示に従わざるを得ない状況に苛立つ。
「そこまで」
 乱れた呼吸のまま立ち止まり、睨むようにケイを見返す。そうすれば彼の口元が僅かに弧を描いた。余計に目つきが険しくなった自覚があったが相手には全く効果がないことなど分かりきっている。
「自らの技術の向上に余念がないとは実に殊勝な心掛けだ」
「何が言いたいの」
「言葉の通りだ」
「どうだか」
 この男の言葉を額面通りに受け取るのは馬鹿げている。常に何か含んだような物言いを簡単に信用できるわけがない。彼にとって随分と大切な存在であるらしい“彼女”にさえそうなのだから。
「貴様は何故ナンバー2を目指す」
 今度は比較的直球な問いかけだ。
「それ、キミに関係あるわけ」
「こうしてレッスンに付き合ったからには貴様には答える義務がある」
 義務ときたか。だが、筋は通っている。店を実質回している男の時間をわざわざ割いてもらったのだ。相応の対価は必要だろう。
「そのほうが面白いでしょう」
「ほう? それは貴様がか?」
「まさか。“ミカゲ”なら面白がって首を突っ込むだろうから代わりに私が実行しているだけ」
「それだけか?」
「それ以外の答えが必要?」
 そう答えればケイは再び口元で笑む。何か、見透かされたような気分になり非常に腹が立った。
「いや、それで十分だ。今後もレッスンを怠るな、ミカゲ」
 去り行く背中を目で追う。どこまでも気に食わない男だ。ここまで自分を苛立たせる人間はそういない。
 だが、不思議と排除しようとする気にはならない。いや、違う。これは優先度の問題だ。ケイをどうこうするよりもやらなければならないことが他にある。それに比べれば大概のことはどうでもいいと言っていい。
 今、チームPのナンバー2争いに参加を決めた。ナンバー2という地位にさほど魅力は感じない。だが、そこに他者との対決の要素があるのならば話が変わってくる。
 競争こそ自分の人生だ。勝てば価値は急騰、負ければ急落。自分の価値を自身で決めることなどできないのだ。絶対評価などなく、相対評価で他人と競わない限りそこに価値は生まれない。勝って、勝って、勝ち続けたとしても一度の敗北が価値を暴落させる。
 血統書つきの良狗が負け犬になり下がる世界を知っている。そして競争を止めてしまえば負け犬にすらなれないことも。

 食うか食われるかの世界でしか生きることができない。

 兄の代わり、兄ならそうするだろうという大義名分のもと自分の欲求を満たそうとしている。
 それは、兄に対する冒涜だろう。自分勝手な行動だろう。兄の存在を歪めるだろう。だが、そうしなければ自分は生きられない。兄のために自分を殺すことを許容するつもりはない。
 この選択が正しいとは思わないし、そもそもがそういう問題ではない。
 兄と自分では在り方が違い過ぎたのだ。まるで二人で一人のようであったあの奇跡のような時間はもう戻ってこない。
 そう、割り切ろうとする。しかし、上手くは行かない。
 自分は不器用な人間ではなかったはずなのに。自分の価値のために他人を食うなどなんとも思わないという前提は変わらないまま、兄のことに関してはうまく飲み込めない。
 変化を望んでいるのに変化を拒んでいる。矛盾している。
 兄などどうでもいい。だが、兄のいないチームPが変わらないことを認めない。けれど自分が演じる兄の変容は認められない。
 執着と拒絶が綯い交ぜになった感情はもはや自分ひとりで処理できるものではなくなった。

 無意識に床に向いた視線を上げる。そしてなんとなく入り口へと目を動かす。僅かに開いた扉の隙間からこちらを見る人影が確認できた。
「何か、用事」
 そう言葉を投げかければゆっくりと扉が動き、真珠が顔を覗かせた。
「えっと、まかない出来たって。2号見当たらなかったから呼びに来たんだ」
「そう」
 一言だけ口にする。そして真珠に背を向け、壁際の鏡と向き合う。
「後で行く。取っておいて」
「あ、うん。わかった」
 そこで会話は止まった。しかし真珠が動く気配もない。鏡を見ながら振りを確認する作業を続けるが、背後から無言の声が聞こえるようだった。一度立ち止まり振り返る。
「煩いんだけれど、視線が」
「ご、ごめん」
 真珠は分かり易く眉を下げた。申し訳ない、という気持ちの他にも別の感情が見え隠れする。
「何? 私がナンバー2争いに割り込むのがそんなに気に食わない?」
「そんなんじゃない」
「ふうん。じゃあ、何」
「どうしてナンバー2対決に参加しようと思ったのかなって」
 先ほど似たような問いかけをした男の顔が浮かび、すぐにかき消す。そして決まった回答を口にした。
「その方が“ミカゲ”らしいでしょう」
 ミカゲらしい、と真珠は小さく言葉を反芻する。だが、どこか納得のいかない様子だ。
「2号は? 2号はやりたいと思ってるの?」
「ステージに関して私の意思は意味がないから」
 しかし、今回に限って言うならば。
「ただ、対決の機会があるならそれを無視する気はないけれどね」
「なら、2号もその気ってこと?」
 是も否も口にしない。けれど真珠はそれで何か納得したようでいつもの快活な表情に戻る。
「そっか! じゃあ先にまかない食べに行ってくる! あ、モクレンが2号のぶん狙ってるから早く来た方がいいよ!」
 騒がしさの塊のような青年が駆けて去っていくのを見送る。
 先ほどの言葉は敵に塩を送るような行為だっただろう。真珠は感受性豊かで、その精神面がパフォーマンスにも影響が出やすい。よくも悪くも。
今回の一件ではなぜ私がナンバー2争いに首を突っ込んだのかが分からず悩んでいたのだろう。“ミカゲ”らしさを求めた2号は自分を殺した振舞いをしているのではないか、といったところか。
 けれど食い合いで相手が弱くては勝ったところで達成感は薄い。食うか食われるかの条件でなければ生きていることなど感じ取れないのだから仕方がない。多少の言葉をかけるくらいはする。

 まあ、他の悩みもあるようだがそれに関してはこちらから言うことなど何もない。勝手にすればいい。