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沈む暮れる泥む

 ケイに演技プランを見直すように要求された。
 
 既存の作品では常に先行して兄がいた。兄の代理として兄が演じた役を演じる。二重に仮面を被っているような状態でステージに立っていた。しかし今回は完全新作。参考に出来るものなどなにもなく、自身の中で兄をロールプレイし限りなく彼に近づいた役作りをしなければならない。ならない、はずだった。
 前回の公演から薄々感じていたことだが、今のチームPでは兄の演技そのままでは噛み合わない。メンバーが入れ替わったためにチームそのものが変わろうとしている。そこに兄の要素を持ち込もうとするとどうしても合わない部分がある。だが、頑なに兄の演技に固執するほど応用力がないと思われては困る。出来る出来ないの問題ではなくやらねばならない。ステージのクオリティを下げるような真似はしない。
 スターレスへと留まることを決めたのは最終的に自分だ。“ミカゲ”の名を背負っている限り、彼の評価を下げることはあってはならない。

***
 
「キミもそうやって行き詰まることがあるんだ」
 意外、という声色で話し掛けられ顔を台本から上げた。先ほどまで休憩スペースには自分しかいなかったはずだが気付けばクーがすぐ目の前にいる。
「そう? 今までと勝手が違うから仕方ないでしょう」
「確かにキミからすれば初めての当て書きの脚本になるね」
 そう言いつつクーは自販機へと近付く。それを横目に見ながら再び台本へと目を落とす。
「それで、どう?」
 ページを捲り文字を追いながら問いへと答える。
「どう、って言われても。やるしかない」
「プランは見えてる?」
「何パターンか考えてはいるけど、実際に合わせてみないと分からないかな」
 今回の新作公演で与えられた役は“医者”だった。人狼病を隔離する病院でかつて働いていた彼の回想という形で物語は進む。新作は「赤ずきん」と「ジキル博士とハイド氏」を取り合わせたような内容だが、医者である彼は「ジキル博士とハイド氏」でいうところの弁護士の立ち位置だ。複雑なストーリーを客に分かりやすく展開するため、ある種メタ的な役。マイカが心情を歌で語り、私が医者という立場で状況を説明する。
 そして、劇中で医者である彼は人狼病とその患者を憎みながらも恐れていた。患者であるルーやフレールへは嫌味と皮肉混じりの言葉を交えて接する反面、彼らの一挙一動に過敏に反応する。人狼病を誰よりも嫌悪しているはずなのに、彼らと最も関わる立場にいるという矛盾を抱えた人物だ。
 ケイはどうやらこの矛盾に対する私のアプローチがお気に召さなかったらしい。
「クーは私の演技どう思った?」
 自販機で購入した水のペットボトルを持ったクーが振り返る。やや困ったように眉を下げ、キャップを捻る。
「医者の抱えた矛盾のコントラストが弱い、かな」
「コントラスト、ね」
 なるほど、いい表現だ。今の演技では人狼病への憎悪ばかりが全面に出過ぎており、医者の抱える別の感情についての表現が弱いのは自覚している。
 しかし、忘れてならないのがこれが当て書きだということだ。これが自分に合わせられた役だと考えると面白くないものがある。あまりにも自分と重なる部分があれば、尚更。
 兄に当て書きされた役を演じる際には考えずにすんだ課題が今は目の前にあった。
「当て書きの脚本、どう思う?」
 手に持った台本を丸めて振る。クーは苦笑しながら答える。
「んー、ワタシはさておきキミはそういうの嫌いそうだね」
「そう見える?」
「どちらかと言えば」
 クーはどんな脚本であろうとも彼らしく演じてみせるのだろう。ステージへの向き合い方が分かっているのだ。私とは立ち位置が違う。
 丸めた台本を広げ直す。何度も読み込んでみたがやはりまだ役の解釈が薄く、役作りには改善の余地がある。“ミカゲ”としてこの役をどう演じるのかまだ考えなくてはならない。
 しかしそれは本当に周囲から求められた“ミカゲ”という人物なのか。
 幾度となく自分の中で繰り返されてきた問答だ。
 自分と兄は別人で、けれど今は妹である私が兄の代わりとしてステージへ立っている。今までは“ミカゲ”として演じてこられたが、代わっていくチームPの中で果たしてどこまでそれを保っていられるのか。
 兄のいなくなったチームPが変わらないなど認められない。けれど、自分が兄を演じることで彼の存在そのものを変質させることもまた受け入れられそうもなかった。
 矛盾している。変わって欲しいのに変わりたくないと思っている。
「あくまで個人的な意見だけど」
 しばらく黙り込んでいるとクーが言葉を続けた。
「自分で思ってるよりもキミ達はよく似ているよ」
「だから?」
「もう少し肩の力抜きな、ってこと」
「そう」
 はあ、と息を吐き出してから立ち上がる。見上げるようなかたちでクーと目を合わせた。そして一言だけ口にする。
「レッスン」
 クーが首を少し傾げた。
「付き合えってこと?」
「さっきの話の流れからしてそうでしょう?」
「そういうつもりじゃなかったんだけど。まあ、いいよ。行こうか」
 
 何にせよ立ち止まることなど出来ないのだ。足掻くしか道がないのならばそうするしかない。選んだからには逃げられない。