小説(blst) | ナノ

吹きすさぶ風の中で

「どうして、2号は大笑いしてたの?」
 珍しいよね、と続けられたメノウの言葉にリンドウは咄嗟に返すことができなかった。
 千秋楽のあの日、舞台の裏側で彼女は確かに笑っていた。露悪的ですらあった態度をリンドウはあえて真正面から窘め、彼女の在り方を否定した。
 それは彼の台詞ではない、彼の代わりなど望まない。
 そして、何かしら彼女からのリアクションがあるとは期待していなかった。彼女はいつも冷めた目で世間を見ている。くだらない、と瞳が雄弁に語っている。
 けれど、予想を超える結果が訪れた。彼女は笑ったのだ。今まで見たこともない表情で、挑戦的に唇を歪めて。

 ちらりとホールスタッフとしてテーブルの合間を行き来する彼女に目を向けた。甘えるような愛らしい笑顔で客に話し掛け、優雅な所作で接客する姿はやはり彼と重なるものがある。
 彼女はスターレスで兄を演じている。今も昔も。そして、そこには決して単純ではない感情が存在していた。
「たぶん、一つ乗り越えたんじゃないかな」
「何を? ……ああ、そうか。ミカゲか」
 彼女に目を向けたメノウがその発想はなかったとばかりに頷いた。
「意外、かも。だって2号でしょ?」
「だとしても、亡くなって何とも思わないほど仲は悪くなかったですから」
 あの二人の間には間違いなく大きな溝があった。あまりにも違い過ぎたのだ。二人はちぐはぐで噛み合わず、なのに奇跡的にスターレスでは二人で一人の人間になれていた。
 けれど、今は片割れだけ。
 辞めるという選択肢を捨てて彼女はスターレスへと帰ってきた。ミカゲの代わりとして。表では兄として振る舞い、舞台裏では妹として過ごす。そんな彼女に名前はない。あるのはただ、2号という序列を示す番号だけ。誰もが彼女を2号と呼んだが、しかし新しく入ってきたメンバーは必ずしもそうではない。彼らからすれば彼女がミカゲなのだ。

 そういえば、とメノウが口を開いた。
「リンドウはさ、絶対に2号って呼ばないよね」
「確かに、呼んだことはないです」
「不便じゃない?」
「意外となんとかなりますよ」
 リンドウはどうしても彼女を2号とは呼べなかった。だからといって営業中ではない時間にステージネームで呼ぶことも出来なかった。そもそも、彼女自身は“ミカゲ”と呼ばれることをそれほど望んではいないのではないだろうか。
 彼女は大半のことはどうでもいい、くだらないと思っているような人間だ。けれど、思い違いではなければ明らかにスターレスへ、チームPへと固執している。いや、兄に執着している、と言った方が正しいだろう。そんな人間が兄に与えられた名前で呼ばれることを受け入れられるとは素直には思えない。
「リンドウって、かなり2号に気を遣ってる?」
 メノウの問いは否定出来るものではなかった。
 彼女に気を遣っている。それは間違いないだろう。
「身内が、それも双子の兄が亡くなって何かと不安定な時期だと思っているので。出来るだけサポートはしたいな、と」
「それって本当に必要?」
「え?」
 リンドウは思わず聞き返す。
「確かにスターレスに戻ってきたばかりの頃はちょっと無理してる感じあったけど、今は仕事中とか結構生き生きしてるよね」
「……メノウは、そう思いますか」
「うん。だってそうじゃないとああいう演技できないよ。華も毒もあって一緒にやってて楽しい」

 メノウの台詞は確信に満ちていた。彼の視点から見れば彼女はとうの昔に障害を乗り越えていたということになる。
 けれど、彼女の抱えた問題は1つだけではないような気がする。
「あのね、今の2号はリンドウにすごく注目してるんだよ」
 気付いていないわけではなかった。以前から彼女が自分を見る目が他とは少しだけ違うことは知っていた。けれどその意味までは分からずにいた。そして最近、その視線に試すような、見定めるような厳しい何かを感じる。
「ああ、そっか」
 何か納得ができたのかメノウは一人で頷いた。
「2号が笑ったのって、リンドウをちょっと認めたからだと僕は思う」
「それは、どうかな」
 苦笑するしかなかった。彼女はあまりにも表面だけの付き合いに慣れている。それが常識だと言うように。だから他人とは絶妙な距離を置く。しかも必要とあれば距離感が近いフリすらできる。
 彼女が他人を認める。
 それこそ何かしらのブラフである可能性すらある。だが、あの時の笑みはどうしても虚構には見えなかった。そう信じたいだけなのかもしれない。それでも彼女の何かが変わろうとする切っ掛けであったならば。