「え?ごめんもう一回言って」
「何度も言わせないでくれ。ミュージカル学科2年Aチームはクラス公演を辞退した」
これ以上説明する必要はないとばかりに立ち去ろうとする冬沢を誉は追いかける。
「いやいやいやいや。もう少し、こう……あるんじゃないの?」
クラス公演を辞退?誉には全く理解できないことだった。何故易々と自らのチャンスを潰すような真似をしているのだ。というかタイムテーブル管理の関係上そういうのはやめて欲しいという本音もある。
立ち止まった冬沢は振り返ることなく口を開いた。
「オープニングセレモニーに出場できないならクラス公演を辞退すると言ってきた」
「はあ?それで言う通りにしたの?」
「向こうの要求に従ったまでだよ」
「物は言いようでしょそんなの。体よく厄介払いしたようにしか聞こえないんですけど」
確かにオープニングセレモニーの出場枠について少し揉めているという話は風の噂程度には聞いていた。それがどうしてこうなった。
「もういいかな。俺も仕事があるんだ」
そう言って冬沢は二度と立ち止まることなく歩き去って行ってしまった。
残された誉は天を仰いで叫ぶ。
「だからそういうところが腹たつの!」
二学期になり綾薙祭に向けてのカウントダウンが始まると誉の仕事量はさらに増えた。昼休みに会議の予定が入ることも多々あり昼食すらまともに摂れない日がある。
広報部の部室でゼリー飲料を咥えたままパソコンの液晶と向き合っていた誉は後輩に声を掛けられ入り口へと視線を向けた。「部長に会いたいらしい2年がいる」と言われたが2年に知り合いはそう多くない。見れば一人は中等部時代の知り合いで、一人は一応顔は知っている、残りの二人は見たことがあるようなないような顔だ。
「お久しぶりです。雨宮さん」
相変わらずの感情の読めない笑顔を浮かべた南條が最初に口を開いたのを合図に残りの3人が軽く頭を下げた。
「どうしたの南條くん。私に何の用事?」
「いやー、それがですね」
「あの、オープニングセレモニーについてなんですが!」
「と、いう訳でして」
誉はこの2年を知っていた。向こうは覚えているかどうか定かではないが少なくとも誉は知っていた。チーム鳳の星谷悠太。
そういうことか、と誉は納得する。台風の目は、彼だ。
「オープニングセレモニー、出たいの?」
誉が尋ねてみればそれぞれ肯定の言葉が返ってきた。
「なので実行委員長である雨宮さんにも話通しておいた方が後々楽かなあって思いまして」
涼しい顔してそう言う南條を誉は不思議な気持ちで見上げた。はて、こういったリスキーな賭けに出るタイプだっただろうか。1年ほどしか交流はなかったが少なくともローコスト主義というか、冷静に一歩引いた位置から場を俯瞰し自分にとって最も徳になる道を選ぶと思っていたのだが。
「そうは言っても私に話を通したところでどうしようもないけどね。オープニングセレモニーは完全に華桜会の管轄、私が干渉できるところなんてない」
「それってつまり先輩個人としては話は別ってことですか」
体格のいい少年に鋭い目を向けられる。誉は臆することなく答える。
「まあ、個人的には君たちが今してるような無謀なところは嫌いじゃないけどね」
「無謀じゃない」
黒髪の華奢な少年が強い口調で言う。誉は首を横に振る。
「無謀だよ無謀。それに個人としてはともかく運営側としては断、固、拒、否。こんな忙しい時に混乱は勘弁」
そう言って誉は立ち上がった。4人の視線がそれを追うが誉はかまわず続ける。
「話はここまで。今から合同ミーティングだから」
4人を置いたまま誉は軽く手を振って歩き始める。しかし、
「あの、雨宮先輩!」
星谷に呼び止められ一瞬足を止めた。けれど振り返りはしない。
「去年の綾薙祭、手伝ってもらってありがとうございました!」
「……そんなこともあったね」
背後で頭を下げるような気配を感じたが、それ以上何を言うでもなく誉は部室を後にした。
なんでここにいるんだよ、と誉は眼前でにこやかな笑みを浮かべる南條を見た。
「ミーティングお疲れ様です」
「はいはい、どうも」
「冷たくないですか?流石に傷つきますよー」
「分かり易いウソすぎでしょ」
「いやいや。というか、どうしたんですかそれ」
「どれ?」
「中等部の頃とキャラ違いすぎません?」
「……」
南條の言うことは完全に事実である。誉は中等部時代と現在で全くといってもよいほど性格が違う。正確には、被っていた猫がなくなった。
「高校デビューですか?」
「違うから。そもそも中等部の頃から多少はこのキャラだった」
「そうなんですか。いやあ、気が付かなかったなあ、1年間一緒に仲良く生徒会役員やってたと思ったんですけど」
「流石に後輩の前では猫被ってたから」
「え、じゃあ冬沢さんと千秋さんの前では素だったんですか」
「まあ、成り行きで」
軽く目を張る南條を見て、しまった喋りすぎたと誉は少し後悔する。あまり個人的なことをペラペラ教えていい相手でもない。
「で、南條くんどうしてここにいるの。世間話なら他の人あたって欲しいんだけど」
「雨宮さん、去年の綾薙祭でチーム鳳のゲリラ公演助けたんですね」
「まあ、……成り行きで」
昨年の綾薙祭のことはまだ記憶に新しい。台風による野外ステージの倒壊。それに伴う1年のテストステージの一部中止。しかし、それでも諦めなかったチーム鳳。誉はその時のことを今でもたまに思い出す。なんとか自分たちのステージを実現したいと頭を下げた1年を見て何も感じないほど冷たくもなかったし、少し力を貸してやろうと思ってしまうほどには未熟だった。
「どうです?今年も手伝ってみません?」
南條がいつもの笑みを浮かべているのに対して誉はバカバカしいとばかりに鼻を鳴らす。
「さっきも言ったけど今年は運営側なの、私。だから綾薙祭の成功が絶対。そのためには不確定要素は認められない」
「本当に?」
「はあ?何がいいたいの。はっきり言って」
「こっち側についてくれないかなーと思ったんですけど。だってほら、誰にでも分け隔てなく優しい優等生の雨宮さんでしょ」
「笑える評価」
いつの話をしているのだろう。そんな甘い優等生の皮などとうの昔に投げ捨ててしまった。
「それとも冬沢さんの下がそんなにいいですか」
「は?」
挑発と分かってはいたが誉は思わず語気を強めた。南條は愉快そうに瞳を細める。
「生徒会で庶務やってた時もよく冬沢さんの指示に従ってましたよね」
「庶務ってそういうものでしょ」
「俺のチームメイト、雨宮さんのこと何て呼んでるか知ってます?“冬沢のパシリ”ですよ」
「それは単純にムカつくんだけど」
「やっぱり冬沢さん側なんですね、雨宮さん」
胸のうちに湧き上がるこの感情は何だろう。怒りでもなく、嘆きでもなく、悲しみも少し違う。だがふつふつと確実に心の端を揺るがせる。
動揺を抑えるために誉は大きく息を吸って吐き出した。
「南條くん、そうやって内部分裂誘うやり口は通じないよ」
「ダメでした?」
「そりゃね。先輩相手にそう簡単にはいかないからね」
「残念」
やれやれ、と南條は首を振る。誉はついでに追及する。
「ところで、よくこんな無謀なことしてるね。らしくないんじゃない?」
「俺的には雨宮さんに言われる筋合いないですけどね」
「そう。……青くなったね、南條くん」
「どうも。誉め言葉として受け取りますよ」