小説(スタミュ) | ナノ

2学期の話(5)

 さて、これはどうしたものか。
 誉が書類を届けに華桜館に訪れたところ、階段付近でたむろする2年生たちと出くわした。数は5人。こちらに背を向け、壁に隠れるようにして廊下を覗き見ているため顔は見えない。

「かくれんぼなら他所でやってくれない?」

 誉が声をかけると大げさなほどに少年達の肩が揺れ、全員がほぼ同時に振り向く。

「ゲッ! 冬沢のパシリ!」

 そう言って口を開いた少年には見覚えがあった。確か先日、南條とともに誉のもとに訪れた2年のうちの1人だ。残りを見ればあの時いた黒髪の少年と例の星谷悠太、面識はない眼鏡の少年、そしてかの有名な月皇遥斗の弟。
 そんなことよりも、と誉は口元をひくつかせた。

「何? パシリって私のこと? それと冬沢“せ・ん・ぱ・い”」

 誉が少年に一歩近づき忠告すれば、気まずそうな表情のまま半歩下がられた。その様子を見て星谷が誉に声をかける。

「あ、あのー、雨宮先輩」
「何か?」
「ええっと、先輩も華桜館に用事ですか?」
「まあね。綾薙祭関係の仕事。……というか、きみ達こそ何してるの?」

 逸らされそうな話題を本題に戻せば少年達が顔を見合わせる。
 本来、華桜館という場所に一般生徒が立ち入ることはあまりない。入館が禁止されているというわけではないが、華桜会という学園のエリート中のエリートが集まる場所にそう気軽に近づく生徒は多くない。しかも、誉の目の前にいる彼らは華桜会には目を付けられているはずだ。敵の陣地に好んで行きたいとも思えない。
 しかし、誉には心当たりがあった。

「ふうん、だんまり? まあいいけど。ちなみに南條くんなら今日も冬沢の執務室じゃないかなー」

 数日前から誉は華桜館で南條とよく出くわすようになった。何をしているのかと尋ねれば『冬沢さんのお手伝いですよ』といつもの食えない笑顔で返された。それを聞いて誉は少し安心した。南條が問題解決のために動いていると考えてまず間違いはないだろう。彼に『仲間』に対する情というものがあるのならばこれ以上事態を悪化させることはないはずだ。
 しかし、彼らしいと言えば彼らしいが仲間にそのあたりの事情は話していないらしい。そうでなければこんな風に華桜会での様子を探られるようなことはない。

 誉の言葉に2年達は表情を硬くする。身内が敵対している相手の懐に入っているというのは不安にもなるだろう。しかし、そのあたりの事情をわざわざ教えてあげるほど誉も暇ではないし、南條もバラされるのは嫌がりそうなので黙っておく。その代わりに忠告を残す。

「綾薙祭も近いんだからこれ以上は騒ぎを起こさないでね。それと、冬沢あたりに見つかると面倒だから早く出て行った方がいいよ」

 そう言って立ち去る。しかし背後の2年の気配はどうも帰りそうもない。
 全くもって今年の2年は、と誉がため息をつくのと冬沢の執務室から南條が出てくるのはほぼ同時だった。

「雨宮さんどうしたんですか? また無茶な仕事でも押し付けられました?」
「別に。ただ、今年の2年は自由過ぎて扱いに困るなあって思っただけ」
「どうもご迷惑おかけしてます」
「全然申し訳なさそうにない顔で言われてもね」

 きっとまた一悶着起きるだろうという予感がしたが当たらないことを祈るばかりだ。


***


「雨宮さん、例の件やっぱりなかったということで」

 まさかその翌日に南條からそんな言葉を貰うとは思わず誉は真顔で問いかける。

「へえ。じゃあどうするの?」
「カンパニーの意思を尊重することにしました」

 華桜館の廊下には昨日見かけた2年達に南條を加えたメンバーがいた。

「おい聖、例の件って何だよ」
「ご親切な先輩から助言をいただいてたからさ。一応はお詫びしとかないと」

 1日でいったい何があったというのか。
 何故か額を赤くした南條は憑き物の落ちたような、随分すっきりとした表情でチームメイトに笑いかけている。

「長居して冬沢さんに怒られるのもアレなので俺達はこれで失礼しますね」

 それじゃあ、と軽く挨拶をして南條達は去っていく。
 その背中を誉は見詰めた。こうなるとは思ってもいなかった。確かに南條がチーム鳳側についたことには驚いたが、最終的には丸く収まる道を選ぶと思っていた。リスクを背負ったとしても自分が不利益を被らないように、最悪の結果を回避するためにある程度の妥協もすると思っていた。仲間意識とやらが芽生えたならば猶更だ。だからオープニングセレモニーへの出場断念とクラス公演の復帰を勧めたのだ。
 けれど、結果はどうだ。彼らはクラス公演への復帰という選択肢には見向きもせずオープニングセレモニーへの出場を未だ諦めてはいない。
 南條達が去っていった方向をしばらく見ていた誉だったが、当初の目的を忘れたわけではない。少し苛立ちの残る心情を抱えたまま冬沢の執務室へと向かう。

 冬沢の執務室へ入るのはこれで何度目になるだろう。綾薙祭の実行委員長に就任する前から広報の仕事の関係で打ち合わせをすることは多少あった。それでもやはり実行委員長になってからの回数の方が格段に多い。とは言ったものの誉はその回数は必要最低限に抑えてきたつもりだった。ここは、誉がそう簡単に足を踏み入れていい場所ではなかった。
 ノックをし入室の許可が下りたので中に入ると冬沢は珍しくも仕事はしておらず、脚を組んで椅子に座り何か考えているよう見えた。

「南條くんにフラれちゃった?」
「実に残念だよ」

 茶化すような物言いの誉に冬沢が薄く笑みを浮かべた。冷えた微笑とはこのことだろう。

「私としても驚いたなあ。彼なら話が通じると思ってたんだけど」

 困った、と誉は肩を竦めつつ持っていた書類を冬沢へと手渡した。渡された書類に目を通しながら冬沢は口を開く。

「お前、2年のことを随分と気にかけているようじゃないか」

 余計なことをするな、と暗に言われていることくらいすぐわかる。プラグラムの変更を引き延ばしていることについては前から小言を貰っているし、チーム柊の稽古を視察した際にはかなり渋られた。南條へのお節介についても感づかれているのだろう。
 しかし、その点に関しては謝罪をするつもりはない。

「まあこちらとしては円満に事が進んでくれるのが一番だから。これ以上波風立たないように気を遣って悪い?」
「雨宮」

 有無を言わせない声だった。

「去年の綾薙祭でお前が何をしたのか忘れたわけじゃない」

 チーム鳳のゲリラ公演。その手助けをした生徒のうちの一人が誉だ。それは変えようもない事実だった。
 誉は怯まず言葉を返す。

「去年は去年、今年は今年。それに今更手のひら返すような真似するわけないでしょ」
「勘違いするなよ」

 しかし冬沢の反応は冷ややかなものだった。

「双方に利益があるという理由で手を組んでいるということを忘れないでもらいたいね」

 義理や信用ではなく、これはビジネスなのだと釘を刺される。
 冬沢には冬沢の目的があり、誉には誉の目的がある。今回はそれが重なる部分があったために協力しているに過ぎない。ならば、その前提を覆すようなことがあればその関係はあっさりと瓦解する。

「それこそ今更な話過ぎるでしょ」

 けれど誉は笑う。何を馬鹿なことを、と皮肉げに口元を歪めてみせる。最大限の反抗を見せる。

「私は、私達は綾薙祭成功のために全力を尽くすだけ。そっちの無茶にもできる限り答えるけど限度があることを忘れないでね」

 実際に指示に従い動くのはこちらなのだと改めて宣言する。王だけで国は回らないのだと主張する。

「そう」

 書類に目を落としていた冬沢はそこでようやく誉を見る。

「けれど、知っているよ」

 いつもの温度が低そうな瞳に迷いはなく、真っすぐ誉を捉えた。誉の肩が一瞬揺れる。

「お前は俺の期待を裏切れない。俺の期待に応えられないことをお前のプライドが許さない」

 突き付けられた言葉は古傷を抉り、そして新たな傷を生む。じくじくと熱を持ったように肉体ではないどこかが痛む。無意識に誉は手を握りしめた。爪が皮膚に食い込むほど力を入れる。そうしなければこの感情をそのまま吐き出してしまいそうだった。

「……はは、扱い易い同級生でよかったね。感謝してよ」

 誉の精いっぱいの強がりを冬沢は穏やかな顔で受け流した。