小説(スタミュ) | ナノ

2学期の話(3)

 スマートフォンのアラームが鳴ったことで誉はレッスン室の使用時間が終わりに近づいていることに気が付いた。ピアノの鍵盤に乗せていた指の動きを止めて、代わりにアラームを切る。レッスン室の使用時間には上限があり、申請をすれば延長も可能だが綾薙祭だ受験に備えてだのなんだのと利用する生徒の数は多くそれはできないのが現状だった。
 本日の進捗状況を振り返りながらまた明日の課題を考え込みながら誉は楽譜を片づける。実行委員長という立場にあり綾薙祭の運営に携わっているものの、大前提として誉は高校3年生だ。受験生として大事な時期だ。特に彼女の場合、綾薙祭が終わった直後に推薦での入試を控えた立場である。そのためには日々の練習を欠かすことは出来ず、短い時間であってもこうしてピアノに向き合わねばならない。今のところは両立は出来ている。歴代の実行委員長もそうしてきたのだから自分にも可能なはずだと誉は考えていた。今年は例年よりも忙しいのは事実であるがよっぽどのイレギュラーでも起きない限り問題はないだろう。
 レッスン室を出たところで誉のスマートフォンに通知が入る。見れば南條からだった。メッセージには『星谷見かけたりしませんでした?』とある。何故そんなことを聞くのか疑問も思いながらも立ち止まって『ごめん、知らない』と返信する。すぐに既読がつき『ですよねー』と返ってきた。いったい何なんだというのか。

「あれ、雨宮ちゃんじゃん」

 親しげにかけられた声に誉はそちらに視線を向けた。見れば声の主である入夏とその隣には千秋がいる。

「練習終わりか?」
「うん。そっちは今からチーム柊の指導?」

 同じ棟でチーム柊の稽古が行われていることを思い出した。華桜会のメンバーが仕事の合間を縫って交代で指導していることはよく知っている。

「そうそう。よかったら雨宮ちゃんも見てく?」

 入夏の提案に誉は首を振る。

「遠慮しとく。部外者いたら気が散っちゃうでしょ」
「そう言わずにさ。実行委員長なんだから様子見て問題ないか確認するのも仕事のうちじゃん?」
「それは、まあ、一理あるけど」

 言っていることの筋は通っているが誉には頷き難い。オープニングセレモニーは華桜会の管轄であり口出しはしないと決めていたのだから干渉は出来る限り避けるのが無難である。考え込む素振りを見せる誉を見て千秋が口を開いた。

「うちのこわーい先輩が2年どもを虐めてないとも限らないしな」

 思わず誉は笑う。

「それって冬沢のこと?確かに厳しそうではあるけど」
「まあ、冗談はさておき放課後どころか昼休み返上で稽古だからな」
「亮ちん完璧主義だから猶更じゃん?」

 確かに華桜会に任せっきりではいたが実際にどういうふうにスケジュールを組んでいるのかは知らない点が多い。オープニングセレモニーに出られない2年生と衝突があるのも聞いている。

「結局さ、2年生の反応ってどうなの?」

 知らないのならば聞くしかない。すると入夏からは大きな笑みが返ってきた。

「そういうことなら直接見た方が早いっしょ!」
「なら行くか」
「え、これ決定事項?」




 千秋と入夏は交代のために来たらしく、先に冬沢が指導をしているらしい。レッスン室の外から中を覗き込むとその様子が見える。冬沢が5人に指示を出した後に扉に向かって歩いてきたので誉は離れる。そして扉を開けて外に出た冬沢は誉の姿を見た瞬間に目を細めた。

「どうしてここにいる」

 さらに誉の横にいた千秋と入夏にも目を向ける。

「説明してもらおうか」

 第一声、まず入夏が口を開いた。

「だって雨宮ちゃん綾薙祭の実行委員長じゃん。一度くらい様子見て貰ったってよくない?」
「オープニングセレモニーは華桜会主導で進めることになっている。必要ないね」

 あっさりと切り捨てられた。なんとなく予期していたことだ。だが2年の様子を直接見ておきたいというのは誉にとっても本心だった。とりあえずは説得を試みる。

「別に口出そうってわけじゃないし。今がどういう状況なのか確認するだけだから」
「なら余計に必要ないね。現時点で何も問題はない。これからもだ」
「直接見ないと分からないこともあるでしょ?」
「お前が気が付くようなことならとっくに俺達が気が付いているさ」
「だ、か、ら、いちいちそうやって人の気に障る言い方が……!」
「まあまあ、落ち着いて二人とも!」

 思わず喧嘩腰になりそうな誉を入夏が止める。対する冬沢は相変わらず涼しい表情のままだ。

「別にいいじゃねえか、亮。見られて困るもんでもないしよ」

 見かねたように千秋が言葉を発した。

「見られても困らないが雨宮に見せる意味がない」
「実行委員長には実行委員長の都合ってもんがあるだろ。仕事くらいさせてやれよ」
「その実行委員長にとって本当に必要な仕事なのか疑わしいね」

 ちらりと冬沢は雨宮に視線を向けた。早く帰れ、とでも言いたげだ。

「なら、言わせてもらいますけどね」

 冷静さを取り戻し始めた誉は自分自身に落ち着くように言い聞かせながら口を開く。

「私には綾薙祭が恙なく進行できるように働く義務があるの。特にオープニングセレモニーは新しいプログラムだし思いがけないアクシデントが起こるかもしれない。慎重になって悪い?」
「お前の主張はよく理解した。だけどその心配は不要だよ」
「華桜会にとってオープニングセレモニーの成功が絶対なら慎重すぎるくらいで丁度いいと思うけど」

 冬沢は深々とため息をつく。そして、

「好きにしろ」

 一言、それだけ残して去っていった。
 誉は胸を撫でおろす。ああいうやり取りは何度もやりたいものでもない。

「前々から思ってたけど、雨宮ちゃんて亮ちん相手だと沸点低い?」

 入夏の言葉を誉は肯定するしかなかった。




 レッスン室に入るとチーム柊から一斉に挨拶される。と、同時に少し驚いたような視線が誉に向けられた。今まで華桜会のメンバーしか指導には現れなかったのだから当然だ。何か言いたげな表情の5人を前に千秋が説明を始める。

「こいつは綾薙祭実行委員長の雨宮誉。今日は視察のために来てる。まあ、そう固いもんでもないからお前らは普段通りに稽古してりゃいい」

 はい、と異口同音に返事があった。しかし視察とは少々大げさな表現ではある。
 誉は壁を背にするように立ち稽古の様子を眺める。
 辰己琉唯、申渡栄吾、虎石和泉、卯川晶、戌峰誠士郎。チーム柊。スターオブスター。顔と名前は一致している。広報の関係で取材したこともあるので完全な初対面だというわけでもない。そして、その実力は3年にすら引けをとらない。ステップも、歌唱も全てが高水準。オープニングセレモニーに選ばれた実力は並大抵のものではない。
 指導者の方にも目を向ける。入夏は「亮ちんは完璧主義だから」だのなんだの言っていたが言った本人の指導も生ぬるいものではない。チーム柊のレベルを見越してそれ相応のパフォーマンスを要求している。千秋の方も同様で、場の空気を引き締めているのはこちらだろう。よく通る声が響くたびに誉も背筋を伸ばしてしまう。
 そして、それらに応えるチーム柊。そこにマイナスな感情は見えない。誰もが懸命にレベルを上げようと努力し、もがいている。冬沢の言っていたように問題はなさそうだ。この5人に限った話ではあるが。
 残りの9人はどうしているのだろう。誉にはあれ以来特に接触はない。しかし、諦めたとも思えない。去年の綾薙祭を思い出す。逆境を跳ね返す輝きを見た。それは雨間に差し込む日の光のようであまりにも眩しすぎた。
 けれど、それを認めてしまうことはできない。誉にとって綾薙祭の成功は絶対のものだ。去年と同様のことが起きればきっと率先して止めに入るだろう。あの時の自分を肯定してはならない。だから、不確定要素の存在が恐ろしいのだ。