小説(スタミュ) | ナノ

2学期の話(2)

 穏やかに寝息を立てて眠る同級生を誉は見下ろす。残暑も弱まり、日差しも穏やかになり始めたこの頃は屋上で昼寝をするには絶好の日和なのだろう。野外で無防備に寝るなどという真似をしたことがない誉には想像しかできないが。
 燕尾を脱ぎ、アイマスクのかわりに教本を顔に乗せて眠る姿は華桜会主席という立場とは不釣り合いにも思えるが、逆にその大らかさは常人にはないものではないだろうか。
 ぐっすり眠っているところ申し訳ないが誉は躊躇なく顔から教本を取り上げた。突然の眩しさに四季は少し眉をひそめ、ゆっくりと目を開けた。

「なんだ、雨宮か」
「冬沢だとでも思った?」
「少しな」

 そう言って華桜会主席は寝そべっていたベンチから起き上がる。しかしまだどこか眠そうに視線を遠くに向ける。

「こうも天気がいいとどうしても眠くなる」
「それは四季くん見てればよくわかる」

 はい、と誉は数枚の書類とボールペンを四季に差し出す。華桜会主席である四季のサインが必要なものだ。

「サインお願い」
「ああ」

 ベンチと共に備え付けられている机に向き合った四季はペンを走らせる。その様子を見ながら誉は口を開いた。

「……2年生に思い入れでもあるの?」

 四季が2年を焚き付けた、と言っていたのは誰だっただろうか。千秋だった気がする。

「どうした、急に」
「なんとなく」
「なんとなく、か」

 言いつつ四季は所定の位置に手早く名前を書き上げる。そして枚数を確かめた後に書類をまとめて誉へと手渡した。

「そうだな、あいつらが少し羨ましいと思うよ」
「ふーん」

 羨ましい、だなんて言葉をこの男から聞くことになるとは思わなかった。
 四季斗真が欲しているものが何なのか誉にはわからない。誉には想像もできないものなのか、もしかしたら誉が当たり前に持っているものなのかもしれない。中等部、高等部と同じ学び舎で過ごしていたにも関わらず、誉は四季のことをまだよく掴めてはいなかった。
 不思議な人だな、とは常々思っている。普段はのんびりとしていて気が付けば寝ているようなマイペース具合なのに、一度舞台に立てば圧倒的な存在感を発揮する。眠っていた獅子が目覚めるように。
 誉の目の前の眠れる王はやはり睡魔には抗えないのか眉間を揉んでいる。

「四季くん結構疲れてるんじゃない?大丈夫?」

 多忙なのは四季に限った話でもないがここまで体調が悪そうなのは彼くらいだ。単純なフィジカルの問題だけでもないのだろう。
 しかし、四季は穏やかに笑みを浮かべる。

「俺は大丈夫だよ」
「なら、いいけど。でも本当に体調悪いなら病院行った方がいいんじゃない?」
「そこまで大げさなものじゃないさ」
「大げさなくらいで丁度いいと思うけど」
「考えておくよ」

 のらりくらりと掴みどころのない四季の台詞は誉にとってやはり異国の言葉を聞いているかのようだった。会話をしているはずなのにどこか噛み合っていない、そんな気がする。

「綾薙祭近づいてるんだし体調管理には十分に気をつけてね」
「ああ。わかってる」

 そういえば四季の教本を持ったままだったことを思い出した誉はそれを持ち主に返す。よくアイマスク代わりに使っているせいか少し開き癖がついてしまっている。

「あと、朝夕は冷えるから屋外での昼寝も控えた方がいいよ」
「ははは。俺の母親みたいだな、雨宮は」
「こんな大きな子供産んだ覚えはありません」

 まったくもってやめて欲しい。
 同級生として当然の助言をしたまでだし、風邪でもひいて休まれて業務が滞るのは勘弁してほしいだけだ。それに母親ほどしっかりと面倒を見る気もない。高校生なのだからそれくらい自分でどうにかしてくれ。
 目の前で再び昼寝の体勢を取り始めた四季を誉は見下ろす。起こして華桜館まで引っ張っていった方がよかっただろうか、と思いもしたがそれは冬沢の役目かと思い直す。冬沢と四季の組み合わせもなかなかに不思議なものだ。実力がトップの二人なのだから交流はあるだろうが普段どんな会話をしているのか全く想像はできなかった。




 誉が部室に戻るのと、部室から冬沢が出てくるのはほぼ同時だった。

「どうかした? 今日締め切りの何かあったっけ」
「いや、少し確認したいことがあったんだ。時間はあるか?」
「今なら大丈夫。中入って座りなよ」
「すぐ終わる。立ったままでかまわない」

 そう言って冬沢は持っていたファイルを開く。誉は横からそれを覗き込んだ。この件についてなんだが、と冬沢の白い指先が指し示す部分を目で追って内容を把握する。

「ああ、それについての進捗報告は定期的に受けてるから大丈夫。今のところ順調そう」
「問題があるようならすぐに伝えてくれ」
「わかってる。それよりも個人的には来賓対応の方が気にかかってはいるんだけど。オープニングセレモニーもあるし例年通りとはいかないでしょ」
「そうだな、暫定的な計画しか立てていなかったからもう少し詰めた方がいいだろう」
「じゃあ今度担当と話し合っておくからその後のチェックお願い」

 少しだけのはずだったが実際に顔を突き合わせて話を始めるとどうしても次々に気になる部分が口から出てくる。こうしているとやはり中等部時代のことをいやでも思い出してしまう。あの時は生徒会長と庶務という明確な上下関係があったが少なくとも同じ場所にいた。生徒会をうまく回していくために割り振られた仕事をこなし、気が付いたことは何でも進んでやった。そのため冬沢からはそれなりに評価を受けていた、はず、だと誉は考えている。しかし、高等部に入ってからは違う。冬沢と誉の立ち位置は完全に隔絶された。そもそも、生まれ持ったものが違ったのだと誉は改めて痛感した。それでも3年になりようやく誉は冬沢がいる場所まで這い上がってきたのだ。
 これはきっと意地なのだ。現実を叩きつけられてもそれでもやはり諦めきれず手持ちのカードで勝負してきた。その結果が今だ。
名誉や地位がないならば自分で手に入れるしかない。そうして自分の望みに手を伸ばす。力がなければ何も成すことはできない。

そうして、一通り話の終わったらしい冬沢に不意に視線を向けられ誉は首を傾げる。

「まだ何かあるの?」
「昔から期待通りの働きをしてくれると思っただけだよ」
「期待に応えて信頼を得てまた仕事を貰うっていう流れは社会に出てからも重要でしょ」
「ああ、中等部の頃からよくそう言っていたな」

 冬沢が小さく笑う。過去のことを思い出してくれているのだろうか。それとも単に変な奴だとでも思われているのか。

「でも重宝してたのって私じゃなくて南條くんの方だったでしょ」

 南條くんがスマートに何でもこなすのは知ってるけど、と誉は付け足した。

「南條よりもお前の方が要求がはっきりして扱い易いよ」

 その冬沢の言葉に誉は不快そうに片眉を吊り上げる。

「そんな事言っていつか足元掬われないように気をつけてね」
「お前にはできないだろう」

 傲慢な言葉だ。しかし事実でもある。仮に誉の手が冬沢の足元に届いたとしても下に引き摺り下ろすことなどできないのだ。同じところに立てたと思っていたのにすでに出来上がってしまった上下関係はそう簡単に崩れない。
 冬沢の隣というのは誉にとってあまりにも遠かった。彼の隣に立つためにはもっと分かりやすい地位が必要なのだろうか。
 誉の脳裏に肩を並べて歩く冬沢と四季が浮かんだ。そして、二人はきっと誉には想像もできないことを語り合っているだろう。