小説(スタミュ) | ナノ

初夏の話

 どうしても綾薙祭のポスターの原案が締め切りまでに完成しないとデザイン担当の生徒に泣きつかれた誉は唸るしかなかった。彼女の心情としては多少の猶予を与えたいところだが、それをして割を食うのは自分自身だということもよくわかっている。具体的には冬沢からねちねちと嫌味を言われるのが目に見えている。綾薙祭運営に関しては華桜会と同等の発言力、権力を持っているはずだった実行委員長の誉であったが気が付くと完全に冬沢の下につく形になっていた。何故に?
 だが、自分ひとりが嫌味を言われるだけでよりよいモノが生まれるのであればそれは甘んじて受け入れるべきだ。泣きついてきた生徒に「締め切りはなんとかするからなるべく早くお願いね」と優しく肩を叩いて作品作りを続行させた。

 厳しい表情を浮かべたまま誉は廊下を歩く。脳内はどう冬沢に上手いこと言って誤魔化すかということしかない。だが誤魔化しが容易に通じるような男でないのもよくわかっている。

「なんつー顔してんだよお前は」
「お、アッキーだ」

 誉の前から歩いてきたアッキーもとい千秋は呆れたような表情を浮かべている。

「また亮に無茶言われたか?」
「逆。今から私が無茶言いにいくの」

 そう言って誉は事情を千秋に話す。それを聞いて千秋は考え込むように腕を組んだ。

「ポスターってそんなに切羽詰まってたか?」
「去年より予定が前倒しっぽいんだよね」
「あー、例の件の宣伝の関係か」
「そーそー」

 新しいことを始めようとするとどうしても他の部分にも影響が現れる。今年は例年以上に綾薙に向けて予定が詰まっているというのは誉もひしひしと感じていた。完璧主義者が全体の進行を指揮しているためかスケジュールはなかなかにシビアだ。

「でもお前実行委員長だろ。亮のスケジュール調整に口出す権利くらいあるぜ」
「ですよねー」

 そこは同意したい誉だが実行できるかと聞かれたら別問題だ。渋い顔をした誉を見て千秋は苦笑する。

「中等部の時みたいに遠慮なく噛み付けばいいじゃねえか」
「ちょっと。人を猛犬みたいに言わないでくれる?」
「どっちかと言えばチワワだったな」
「チワワ!?」

 小型犬扱いに誉は吠える。全くもって不本意だ。
 だが、中等部時代の方が冬沢に言いたい放題だったのは事実でもある。流石に今は何でもかんでも好き勝手言えるような関係ではない。

「……まあ、アッキーの言う通りでもあるよね。一応は同等の立場のはずだし」

 うんうんと頷いてはみる誉だがどうも一歩踏み出せない。同じ位置に立つ権利を与えられたはずなのにどうしてもそう振舞うことができない。名誉を地位を、と求めてきた誉だが結局は自分がどちらも持ってはいないことの裏返しなのだ。ようやくそれを手に入れたのに上手く使いこなせていないあたりが自分の器の限界なのではないかと思ってしまう。

「そんなに言いにくいなら俺から伝えとくぜ。ちょうど亮に用事あるしな」

 決断に踏み切らない誉を見て千秋が提案する。

「いいよいいよ。冬沢に嫌味言われたくないでしょ」
「ノーセンス。あいつの嫌味なんざガキの頃から聞き飽きてるっつーの」
「それなら私も中3の頃さんざん聞かされたし。最近もよく聞かされてるし」

 そう言って誉は噴き出した。どうやら冬沢に小言をよく言われる二人が集まってしまったらしい。その上嫌味言われること前提で話を進めていることがおかしかった。回避不可だという相互認識があるらしい。

「大丈夫か」

 不意に千秋が真面目なトーンになる。誉が目を合わせれば茶化すような色はなかった。大丈夫か、と聞かれ全然平気だと答えるには憚られた。

「まあ、何とかするしかないよね」

 そう答えるのが精いっぱいだった。千秋が大きく息を吐きだす。

「ノーセンス」
「出たよノーセンス」
「雨宮、お前さっさと腹くくった方がいいぞ」
「うん、わかってはいるけどね」

 わかっているがどうしようもない。
 下から吠えることは出来ても正面切って噛み付く度胸がない。彼女をよく知る人からからすれば驚くべきことだろう。あの雨宮誉が怖気づいている。

「あーあ、純粋だった中学生の頃に戻りたい」
「あれで純粋はないだろ」
「今よりは頭空っぽにできてたから純粋でしょ」

 中等部を卒業して2年以上が経った。その間には色々なことがあったし、それ故に複雑なしがらみが増えてしまった。あの時と同じようにとはいかない。

「……ま、頑張れよ」
「お互い様」

 誉が片手を上げると千秋が答えるように自身のそれを叩きつけた。