小説(スタミュ) | ナノ

春の話

 寮生活というのは色々と都合がよかった、と誉は春の日差しがいまだ弱々しい空を見上げる。通学時間というものは非常に重要だ。家が近いならまだしも、それなりに距離があり電車通学を余儀なくされるというのは2年間の寮生活に慣れてしまった身にはとても無駄な時間に感じる。まあ、その無駄な時間も使いようによっては有効活用できるだろうと誉は自分に言い聞かせる。
 休暇中の学園内に人は多くない。敷地内ですれ違う生徒の大半は部活動や自主練習に励む生徒だ。誉も例外ではなく広報部が使用する教室に辿り着くと鍵を開けて中に入る。
 誉にとって広報部部長に任命されたという事実は予定調和なことであった。1年の頃からその地位を虎視眈々と狙い、教師や先輩、後輩、同輩に対して有能さをアピールしてきた結果と言える。誉は名誉や地位というものは手に入れておくに越したことはないものだと考えている。広報という仕事に特別な思い入れがあるという訳でもないが、先々のことを考えると最も都合の良い役職であった。
 広報部部長用の椅子に座り新年度の仕事の確認を行っていた誉だったが、ふと窓の外に視線を向けた。薄く青の絵の具を溶かしたような空を背景に立つ華桜館が目に入る。次いで、新しく誕生した華桜会メンバーの姿が思い浮かんだ。広報の仕事として新華桜会への取材が近々ある。学園のトップではあるが一応は同級生だから誉は特に緊張はないが、同行する広報部の後輩の方は少し心配だ。そこで、「華桜会もただの人間。全力で殴れば痛がると思えば気が楽になるんじゃない?」と誉はアドバイスをしたことがあるが「そんなに図太いのは部長くらい」という苦情が返ってきた。
 図太いだの強かだの隙がないなど言われがちな誉だが、誉からしてみればそれくらいしなければ現在のような地位は手に入らないのだ。自分の目標に向かって努力するのは当然である。その努力が報われるとは限らないことを知っていれば猶更に、だ。

 壁にかかった時計を見ると約束の時間が近づいていたため誉は席を立つ。数日後に控えた新華桜会へのインタビューの打ち合わせだ。用意した資料を手に持って誉は華桜館へと向かう。



 打ち合わせと言っても全員で行うわけではない。代表に話を通し、インタビュー内容を確認してもらう。例年は主席との話し合いが行われていたらしいが今年は例外的となっている。
 主席代行、つまりは冬沢の使用する執務室の前に立った誉は3回ドアをノックする。入室の許可が出たので中に足を踏み入れると、座ったままの冬沢が誉の方を向く。

「待っていたよ」

 やや作り物めいた笑顔を向けられ誉は胡散臭そうに表情を歪めた。

「絶対なにか悪だくみしてる顔だよそれ」
「何を言っているんだか」

 やれやれと冬沢は肩を竦める。しかし誉は警戒心を維持したまま勧められた椅子に座り資料を渡して説明を始める。冬沢は長い脚を組み、相槌を打ちながら誉の説明に耳を傾けていた。たまに上がる質問に対しては誉が簡潔に答える。
 油断ならない男ではあるがその有能さ誉は感服するしかない。中等部時代からの知り合いで当時から彼の優秀さを知る誉であったが、冬沢のそれは年々増しているように思える。同年代が持ち合わせていない堅実さというものを冬沢は昔から身に着けていた。恐ろしいことこの上ない。

「以上で説明は終わるんだけど他に何か聞きたいことは?」
「いや、十分だよ。当日は打ち合わせ通りにいこう」
「はい、それじゃあおしまい」

 解散、と誉が続けようとしたところで冬沢は言葉を挟み込む。

「今年の綾薙祭実行委員長はお前に内定していると考えていいな?」

 誉は開いたままだった口を閉じる。
 綾薙祭実行委員長。読んで字のごとく綾薙学園最大のイベントである綾薙祭における運営のトップである。一応は立候補制を採用しているが実際は宣伝の都合がよいこともあって広報部部長が務めることが慣例となりつつある。

「違うのか?」

 無言の誉に対して、冬沢は同意を促すようにさらに問う。

「まあ、そうだけど。それがどうかしたの」

 冬沢の企みに何か関係がある気配を察知し誉は言葉を選びつつ返す。

「お前が実行委員長を務めるなら都合がいいと思ってな」
「はあ?何の?」

 話の行く先が見えず眉間にしわが寄る。そんな誉の反応を気にすることなく冬沢は紙の束を差し出した。

「『綾薙祭オープニングセレモニー』……?」

 表紙の文字を誉が読み上げると冬沢が大きく頷いた。そして中身を読むように促す。指示されたままに誉は紙を一枚めくり文字列を確かめるようにゆっくりと追いかける。華桜会が掲げる目標とその意義。新しき華桜会候補のお披露目。さらなる学園の発展。

「これって……!」

 途中から食い入るように読み込んでいた誉は顔をあげて冬沢を見る。先ほどの作り物めいた笑顔とは別種の、確信に満ちたような表情だった。

「お前ならそう反応してくれると思ったよ」
「こんなん読んだら引き下がれないやつじゃん。謀ったな冬沢」
「そう言われるのは心外だね。俺は強制をした覚えはないよ」
「これ読ませるって暗に協力しろって言ってるのと同じでしょ」
「さてね」

 自分の方が優位であることを自覚している冬沢に誉がこれ以上反抗したところでどうしようもない。誉は大きく息を吐きだす。

「……で? なにをすればいいんですかね?」
「とりあえずは雨宮がこちら側についてくれるのならば多少は交渉が楽になる」
「ああ。先生方の説得最優先か」
「その通り。良くも悪くも綾薙は伝統を重視しているからね。新しいことを始めるために重い腰を上げさせなくてはならない」

 そこで初めて冬沢の表情が硬くなる。この大きな壁を超えることの難しさを最も理解しているのは彼なのかもしれない。

「うーん。じゃあこっちからも根回しできるとこはやっとくから。交渉で必要なら隣で頭下げるくらいならするし」
「話が早くて助かるよ」
「上手く掌の上で転がされてる気しかしないんだけどね」
「気のせいじゃないかな」
「ほんっとにそういうトコ腹立つわ!中等部の時から!」