小説(スタミュ) | ナノ

2学期の話(12)

 世の中は自分の力ではどうにもならないことで溢れていることを誉は知っていた。しかし、だからと言って流されたまま生きていけるほど誉は諦めがよくないし、そんな大きな流れに飲み込まれないように日々備えることを知っていた。
 今だってそうだ。
 綾薙祭のオープニングセレモニーを巡る騒動には振り回され続けているが、それでもなんとか食らいつき粘り強く対処してきた。
 そもそものオープニングセレモニーも例年にはないイレギュラーだった。前例がない中での様々な手配や根回しは難しい部分もあったがやりがいはあったし、そういう運営も自分の性にあっていたと誉は考える。
 そしてミュージカル学科二年の一部の生徒がオープニングセレモニーへの出場を望んだ結果のクラス公演ストライキやそこから派生した諸々の出来事には頭を悩まされ続けてきた。二年の心情に理解が出来ないわけではない。けれど誉の立場や常識的な判断は彼らの健闘を拒む。何を優先すべきかの葛藤は常にあった。だが、そんな時は最初の目標に立ち戻る。
 自分の望みはいったい何なのか。
 何故それを望むのか。

 誉の望みは綾薙祭を成功させることだ。
 その目的は単純に学園の一大行事運営の責任の一端を背負うという名誉を得るだけではない。実行委員長という立場である自分の評価を上げるため、進路を有利にさせるため、同級生である華桜会を応援するため、そして冬沢亮と同じ場所に立つため。
 個人的な目的のために綾薙祭を利用しようとしている。そこに罪悪感は、ない。だって誰しもが何かしらの思いを抱いてこの行事に挑んでいるのだ。だからこそ、大勢の生徒の願望が実を結んだことで眩い輝きを生む。苦難を越え、逆境を跳ねのけた先にしか見えない景色はある。それを誉は知っている。実際に見たのだ、去年の綾薙祭で。その光景は胸を熱くさせるものだった。諦めなかったからこそ辿り着いたひとつの結末だったのだろう。
 あの日見たような輝きを冬沢の隣で見たいと思った。
 誉にとっての冬沢とは一方的な好敵手であり、尊敬する相手であり、ある意味で理解者でもある。そんな彼との人生における接点はもうじき終わる。綾薙学園を卒業すれば互いの道が重なることはもうないだろう。
 だったら、一度でいい。一瞬でいい。同じ目線で、同じ景色を、同じ気持ちで見たい。
 今年の綾薙祭は最後のチャンスだ。
 彼が、彼らが改革を目指した先にあるものを取りこぼすことがあってはならない。綾薙祭成功のために協力は惜しまない、手札の出し惜しみもしない。やれることは全部やると決めたのだ。
 そう、やれることは全部やったはずだ。
 オープニングセレモニーの出演者枠拡大による運営側の混乱もなんとか収めた。事務処理で忙殺される華桜会にも手を貸した。人数が増えたオープニングセレモニー出演者たちの練習場所確保のためにレッスン室の調整もした。
 唯一、手を出さなかったのは。否、手を出せなかったのは冬沢と四季の関係についてだ。
 自分が首を突っ込んでいい領域ではないと言い訳しつつ、四季へと「冬沢と話し合って欲しい」という助言にもならないような要望を口にしてしまった。
 誉はあの二人の関係性を正確に理解しているわけではない。冬沢が四季に対して抱える感情も想像するだけでは足りないだろう。それでも今のようなすれ違いが続いていいはずがないことだけは分かった。綾薙祭のためにも二人の今後のためにも。


 だというのに。


「オープニングセレモニーを2ステージにする」

 誉は目の前の青年から放たれた言葉を自分でも意外なほど冷静に受け取った。
 彼がオープニングセレモニーの出演者枠拡大に否定的であることは知っていたし、その影響でオープニングセレモニーの内容変更に関する業務を放棄していることも知っている。今まであれだけ熱を注ぎ込んでいたにも関わらず。
その点に関して誉は冬沢に一言申し上げなくては気が済まなかった。
 『どんな事情があろうとも綾薙祭に向けた華桜会としての仕事をしろ』と。
 冬沢の気持ちを汲まないわけではない。ただ、それはそれ、これはこれだ。自身に与えられた立場の責任は果たすべきであり、それは冬沢もよく理解しているところではないのか。
 だからこそこうして放課後の貴重な時間を使って冬沢の執務室にまで来たのだ。
 入室を許可された誉が目にしたのは窓際に立って外を眺める冬沢の姿だった。その時すでに薄っすらとした予感はあった。妙に凪いだ雰囲気は内に秘めた感情を悟られないためなのだと直感が囁く。
 そして、誉が何か口にする前に冬沢は決定事項のように告げたのだ。
 その台詞を脳内で咀嚼するのと同時に、冬沢と四季のすれ違いは修正されていないどころか余計に拗れたのだと察する。四季が他校の文化祭へ訪問しているこのタイミングでの提案に彼が関わっているとは到底思えない。それになにより四季はあの二年生たちが同じステージに立つことを望んでいたはずだ。恐らく、冬沢の独断だろう。
随分と、ムキになっている。そう思わずにはいられなかった。
 冬沢がオープニングセレモニーにかける想いからすれば当然かもしれない。綾薙祭実行委員長である誉は彼の尽力をよく知っている。なにせこの計画のスタートアップから関わっているのだ。彼がどれだけの難題をこなしてきたのかを見てきたし、実際に手助けもしてきた。そして、そうした冬沢との協力関係は誉の望んだものでもあった。
 冬沢はオープニングセレモニーの計画に不確定要素を持ち込むことを拒絶している。それを持ち込んだのが四季であっても、いや、四季だからこそ。
 四季を王として立ててきた冬沢が何をどう感じたのか誉には想像するしかない。どんなやり取りがあったのか知る由もない。

 何か、返答をしなくては。
 誉は考える。ここがきっと分水嶺になるはずだ。自分の立場、自分の望み、自分の本心。何を捨て、何を選ぶのか。

「オープニングセレモニーは」

 一度、そこで息を吸う。

「オープニングセレモニーは完全に華桜会の管轄。前から言っていた通り私たち実行委員会は華桜会の決定には従うから」

 誉に背を向けたままの冬沢から言葉は返ってこない。誉は続ける。

「私は綾薙祭を成功させる、冬沢はオープニングセレモニーを成功させる。互いにメリットがあるから私たちはこうして協力している、でしょ?」

 誉は一歩、一歩、歩を進める。冬沢は振り返らない。

「私は、」

 立ち止まって冬沢の背を睨むように見つめる。

「冬沢の期待を裏切るつもりはない」

 優等生の雨宮誉。広報部部長の雨宮誉。綾薙祭実行委員長の雨宮誉。元中等部生徒会庶務の雨宮誉。
 誉に肩書はいくつもあって、背負うものはそれぞれ。けれど、やることは変わらない。
 信頼を得て、次に繋げて、期待され、それに応える。
 たとえ自分にどうにもならないことがあったとしても、できる事はすべてやる。

「綾薙祭は絶対に成功させる。その途中で何が起きたとしても全部どうにかしてみせる」

 だから。

「冬沢が納得できるまでやればいいじゃん。こっちは今更引き下がるつもりはないから」

 誉の宣言に対して冬沢は何のリアクションもない。ただ、窓の向こうの時計台をじっと見つめていた。誉もそれに倣う。ライトアップされた文字盤の時刻は夕方をとっくに過ぎていた。陽が落ちて暗くなったために窓ガラスが鏡のように室内を反射している。そしてそこに映された冬沢の目が同じく窓ガラスに反射して映される誉の方を向いた、ようにも見えた。あまりにも短い時間だったために誉にも偶然か意図的か判断はできなかった。
 だが、当初の目的は達成した。仕事しろ、と言いに来たが過程はどうあれ結果的に冬沢は自身の目的を達成するために動き始めるだろう。もう動いているかもしれない。綾薙祭実行委員会としてはさらなる混乱の幕開けとも言えるがここまで来たらやり抜くしかない。
 腹は括った。馬車馬のごとく働いてやろうじゃないか。演者や華桜会に盛大に花を持たせてやる。今年の綾薙祭が特別だと証明してしてみせる。

 だって、こんなにも苦しんでいるひとがいる。
 報われなくては。報われない終わり方など認めない。

 誉は言いたいことは言ったとばかりにその場から立ち去る。

「雨宮」

執務室の扉に手をかけたところでようやく冬沢からの言葉があった。誉は動きを止め、しかし振り返ることなく続く台詞を待つ。

「お前はいつも扱い易くて助かるよ」
「ならせいぜい感謝してよね」

 誉は少しだけに強めに扉を閉めた。

「……腹立つな、本当に」

 彼女のそんな小さな独り言を拾うものは誰もいなかった。