小説(スタミュ) | ナノ

2学期の話(11)

「はい、じゃあこの書類の確認お願い。サインも忘れないでね。それとタイムテーブルの最終調整の方はあれでいいよね? あ、こっちは実行委員会の方で請け負っとくから」

 四季に向かって息継ぎなく言葉を続ける誉を見て千秋が呆れたように声を上げた。

「お前なあ、落ち着けよ。そんな急がなくても四季は逃げねえよ」

 その台詞に勢いよく誉は振り向いた。

「は? 四季くんは逃げなくても時間は過ぎるでしょ?」
「急いては事を仕損じる、だろ」
「急かねば事が間に合わぬ、だから」

 先日、綾薙祭のオープニングセレモニーの出演者枠の拡大が決定した。初期の構想であった5人体制から14人体制への変更は各方面へと大きな影響を与える。華桜会はそれに伴う事務処理に追われ、また綾薙祭実行委員会においても混乱は避けられなかった。

「そもそも」

 会議室で四季と対面していた誉は不機嫌さを隠すことなく口を開く。

「2年達の指導はどうなってるの」
「基礎練習はチーム柊に任せている」
「本格的な指導はいつから」
「今やってる事務処理が終わってからだな」

 四季の返答に誉は言葉の代わりに大きく息を吐き出した。
 確かに、現状できるベストな選択はそれしかないだろう。けれどそれが十分というわけでもない。華桜会直接の指導は早ければ早いほどいい。ただでさえ追加の9名は出遅れているのだから。

「スケジュールに余裕がないのはわかっている」

 四季の声には迷いはない。

「それでも、必ずあいつらのステージを成功させる」

 その言葉に同意するように入夏と春日野はそれぞれ反応を返すのを見て誉の脳裏にこの場にいないもう一人の華桜会の姿がよぎった。彼ならば「俺達のステージ」と言うだろうということは想像に難しくなく、ああ本当にこの二人は思想が違うのだと改めて実感する。円卓の空席になったそこにいるべき人物は今何を思っているのか。華桜会が出した結論に納得していないのは明らかだ。
 なんて、気分の悪い状況だろう。誉は無意識に手を握りしめた。そこでようやく、自分が怒りに近い感情を抱いていることに気が付く。何に対してだろうか。綾薙祭に不確定要素を持ち込む決定をした華桜館に? 四季に? 頑なな冬沢に? それとも自分自身に? それさえもはっきりしない。ただただ、言いようのない苛立ちが心中を支配する。
 そんな自分を千秋が見ていることには気が付いていないふりをした。




 慌ただしい日々が続く。広報部の仕事、実行委員会の仕事、そして自分の将来のためにやるべきこと。どれにも手を抜けない。完璧な結果を出さねばならない。そうしなければ納得ができないのだ。地位も名誉も手に入れなければ辿り着けない場所がある。けれど、それが全てではないことも分かっていた。でも、誉にはそうするしかないのだ。そうでもしないと、それだけのことをやってようやく、自分は。

「雨宮も帰りか」

 横からかけられた声に誉は思考を現実に戻した。校門へと続く道を歩く生徒の姿は自分達以外にはいない。夕日が周囲を照らしていた。季節は確実に夏から秋へと移り変わった。ヒグラシの声はもう聞こえない。誉は声の方へと顔を向ける。

「四季くん。お疲れ」

 燕尾を着た姿にもだいぶ慣れてきた。それでも違和感は付きまとう。彼が燕尾を着ないという選択をしていた時の、あの自由な姿は案外好きだった。確かに首席らしくはなかったかもしれないが、それでもあの只者ではない雰囲気は本物だった。今の華桜会首席の責任とともに燕尾を背負う姿は少しだけ窮屈そうにも見える。けれど、そんな彼の覚悟を受け入れなくてはならないのだろう。

「仕事増やして悪いな」
「謝罪は結構です」

 四季の言葉に誉は何てことないように返す。気を遣ったわけでもなく本心だ。

「まあ確かに忙しいけどこれくらいこなさないとね」
「本当に頼りになるな、雨宮は」
「どうも」
「やっぱり似てるな」
「何が?」

 主語のない台詞に誉は問いかける。

「雨宮は冬沢とよく似てるよ」

 誉は足を止める。それから数歩遅れて四季も立ち止まり、振り返って誉に視線を向けた。

「雨宮?」

 どうした? と言いたげな様子の四季。誉は、何か言おうと口を開いたが何も言葉が出てこない。違うのだ、自分が冬沢と似ているなんてこと、そんなことがあっていいはずがない。だって、自分はこんなにも彼と違うのに。

「私は」

 それでも何とか声を絞りだす。口の中が乾燥して思うように動かない。

「私は、四季くんが思ってるような人間じゃないよ。冬沢とは全然似てない」

 誉の主張を四季はじっと聞いていた。

「わがままだし、感情的になりやすいし、自分のことばかり優先してる」
「そうは見えないけどな」

 四季は誉の言葉を簡単に否定する。誉は首を横に振る。

「それは四季くんが私を知らないだけ」

 口に出して少し後悔する。曲がりなりにも中等部から高等部まで同じ学び舎で過ごした同級生に対してあまりにも他人行儀な台詞だったかもしれない。けれど、四季が誉を買いかぶっているのも事実だ。
 誉は冬沢とは違う。
 四季はきっと冬沢のことを頼りにしているのだろう。そうでなければ首席代行など任せなかっただろうし、そこに信頼関係があったから冬沢も四季を支えていたのだろう。首席に拘っていた冬沢がその座を四季に譲ることになり何も思わなかったはずがない。けれど二人は上手くいっていた。それは一朝一夕で出来上がったものではない。ミュージカル学科候補生だった頃から同じチームで、スターオブスターとして切磋琢磨する仲間で、友達だったはずで、それは華桜会に入ってからも変わらないはずだ。
 けれど誉は違う。自分は冬沢と違うのだと気が付いてしまった。高等部に上がり彼のステージを見るたびに現実を突きつけられる。中等部の頃までは近かった背中がいつの間にか遥か遠くにあった。最初は、冬沢に負けたことが悔しくて許せなくてがむしゃらに追いかけていた。けれどそれはいつか別の感情に変わっていった。確かに冬沢に一度も勝てなかったことを完全に消化しきったわけでもなかったが、彼には救われたのだ。誉の無茶苦茶な敵対心を笑わずに冬沢は受け入れてくれた。そして受け入れたうえで「できるものならやってみろ」と向き合ってくれた。ただ単純に、隣に立ちたいと思った。そこには感謝があって共感があって尊敬があって、そして純粋な好意があった。
 だが、誉ではなかったのだ。冬沢の隣に立てる人間は誉ではなかった。

「私は冬沢ほど頼りにならないよ」

 自分で言った言葉なのにこんなにも虚しい。冬沢の隣に立つ資格はないのだと認めるしかない。

「でもね、責任は果たすから」

 けれど、誉は諦めたわけではなかった。資格がないのなら、それに見合うだけの成果を出せばいい。それは誉が身に着けてきた生き方だった。望みを叶えるために地位や名誉を手に入れる。そして、誉は綾薙祭実行委員長となった。綾薙祭に運営に関しては華桜会と同等の発言力を得る役職。それは最初で最後の、冬沢と同じ場所に立てる機会だった。内申のためだとか進路決定を有利にするためだとかいう私利私欲とも、同級生である華桜会を応援したいという青い願いとも別のあまりにも子供じみた望みだった。

「手伝うよ」

 誉の言葉に四季が少し目を見開く。

「約束したでしょ、多少の無茶なら引き受けるって」
「雨宮……」
「華桜会がどういう決定をしようと綾薙祭は成功させる、絶対に」

 無様な姿など見せられない。今だけでいい、一度でいいから彼の隣に立って同じ景色を見たい。そのために自分の責任は果たす。綾薙祭を成功させ、華桜会主催のオープニングセレモニーへの協力は惜しまない。

「だから、四季くん。冬沢とよく話し合って欲しい」

 これは四季に対する敗北宣言だ。自分ではどうしようもないことがある。誉にできることなどなかった。それが何よりもとても歯痒く、苛立つ。

「そうだな」

 四季は薄く笑みを浮かべて頷く。きっと彼だってこのままでいいとは思っていない。冬沢だってそうだ。あの二人がこのまますれ違ったままでなんていて欲しくない、と誉は願うことしかできなかった。