小説(スタミュ) | ナノ

2学期の話(10)

 華桜館には何度も足を踏み入れたことがある。そこの会議室にも数は少ないが入ったことはあった。けれど、今日はその意味が全く違う。
誉は一度深く息を吐き出してから扉に手をかけた。重い音を立てて扉がゆっくりと開く。少し緊張しているのか体の動きが硬いが、それでも平静を装って境界を超える。すると既に円卓に座していた3人の視線が誉に集まった。千秋、入夏、春日野、一人一人を誉も見つめ返す。ついでに、この中で誰がこちら側で誰があちら側なのかも考えた。いや、考えるまでもないだろう。

「いらっしゃい雨宮ちゃん。さ、座って」

 屈託なく笑う入夏に席を勧められ誉も遠慮なく椅子に座った。6人いるため各々が対角線上になるように座るはずだが誉の正面にも誰もいない。けれど、空いているその席は会議室に備え付けられた執務机の目の前で、つまり首席が座るのだろうということは容易に予想できた。

「お前も面倒なことに巻き込まれたな」

 心底同情する、とでも言いたげな千秋の言葉に誉は笑って答える。

「まあ、今年は新しいこと始めるから多少のごたごたくらいあるとは思ってたし。これを乗り越えて綾薙祭がさらにいいものになるなら面倒でもなんでもないよ」
「優等生らしいコメントどうも」
「それが取り柄なもので」

 茶化す千秋に誉もいつもの調子で返す。

「ところで四季くんと冬沢は?」

 空いた席を見ながら誉が尋ねれば春日野が口を開いた。

「冬沢が四季を呼びに行ってる。もうそろそろ来るんじゃないかな」

 そのタイミングを見計らったように誉の背後で扉が開く音がした。振り返って見れば扉を押さえる冬沢と、部屋へと入ってくる四季の姿がある。王と従者のようだった。先ほどまで喋っていた誉達は示し合わせたように口を閉じ、四季達が席につくのを待つ。そして、誉の対角線上にある椅子に四季が座ったのを合図に会議は始まる。議題はオープニングセレモニーの出演者枠拡大について。

 会議が始まってからというもの誉は沈黙を貫き続けた。華桜会のそれぞれの意見に耳を傾けるがそれについて肯定も否定の言葉も口にはしない。ただひたすらに聞き役に回りその時を待つ。そして、華桜会5人の意見が出そろい、ついに誉に水が向けられた。

「では実行委員会からの意見を聞こうか」

 冬沢に指名され誉は一度そちらを見た。視線が合う。彼が言わんとするところは理解が出来ていた。何を自分にさせようとしているのかは会議への出席を打診された時からわかっている。

「結論から言うと」

 誉はぐるりと円卓を見渡す。
 オープニングセレモニーの出演者枠拡大を目指す四季。彼の意見に同意を示す入夏、春日野、そして千秋。そして、それに反対するのは冬沢。どちらの意見を支持するのかは最初から決まっていた。実行委員という立場からの意見、雨宮誉の1個人としての意見。それらは完全には一致しない。けれど優先すべきは明らか。誉は静かに息を吸い込む。

「反対」

 自分で思った以上に冷えた声が出て驚いた。5人の視線がそれぞれ誉を見ている。そこに籠る感情は様々だ。誉は言葉を続ける。

「急な提案に実行委員会も混乱してるし、ステージジャックに関してはスタッフからも不満の声が出てる。パフォーマンスの質についてはこっちから何か言う権利はないけど、あの乱入はよくなかったかな」

 誉は視線を四季と合わせた。この場において立場は対等なはずだ。臆する必要はない。ただ、自分たちの意見を主張すればいい。

「去年の綾薙祭、チーム鳳のゲリラ公演があったの覚えてる? あれ、運営からすればかなりの大問題だったのは知ってるでしょ。我を通して混乱を招くような真似が2年連続で起きるのはちょっと、ね」

 忘れもしない昨年の綾薙祭。誉がチーム鳳のゲリラ公演を手伝ったということは紛れもない事実。そして、公演の手助けをした誉達の責任をまとめて引き受けたのは先代の実行委員長、つまり誉からすれば広報部の先輩にあたる。先代は罰則らしい罰則を受けずにすんだが、それは奇跡的に公演が無事終わったからだ。仮に何かしらの事故でも起きていれば先代は相応の処罰を受け、誉達にも何かしらのペナルティは下されただろう。
 今年は同じようなことが起きてはならない。去年のようなことが起きた時、それが成功するとは限らない。不慮のアクシデントが与える影響は大きく、それは綾薙の名に大きな傷を残すだろう。だから誉は去年の自分を肯定しない。実行委員長になったからには必ず綾薙祭を成功させなくてはならない。そのためには不確定要素は潰す。確実で成功率の高い手段を取る。新しいことを始めるのならば綿密な準備を行う。

 でも、と誉は最後に付け加えた。

「最終的には華桜会の決定に従うけどね。多少の無茶ならなんとかするから納得のいく結論出してくれればそれでいいよ」

 冬沢の眉間に皺が寄ったのに誉は気が付いた。けれど言葉を撤回するつもりもない。これが彼女にできる最大限の譲歩だった。綾薙祭の成功は絶対だ。あの2年達のやり方も褒められたものではない。けれど、誉は何も感じなかったわけでもなかった。きっと彼らは大きな可能性を秘めている。しかし、それは現段階では埋もれたままで、どうにかするのが華桜会の役目ではないだろうか。誉は四季の意見も冬沢の意見もどちらにも共感は出来た。だから、2人が妥協し手を組めば綾薙祭はさらに盛り上がるに違いないと確信に近いものがあった。確かに今は意見が対立しているのは事実だ。でも、今まで上手くやってきた実績から考えれば今回も何とかなるはず、だ。悲観的になっても仕方がない。実行委員会として意見は四季に反対だが、それでも結論は華桜会に任せると、彼らの手腕を信用するのだと決めたのだ。

「なるほど。ありがとう」

 意見を聞き終えた四季はそう言って強い意志の籠った目で誉を見つめ返す。実行委員が中立寄りではあるが冬沢側であることを知っても四季の態度は変わらない。余裕を失わないその姿は、確かに王だ。独特の存在感は周囲を巻き込み大きな流れを生む。しかし、それが引き起こす結末は誰にもわからない。



 休憩を挟みつつ進行した会議であったが、午前いっぱいを使い切っても決定的な結論は出なかった。意見はどこまでも平行線をたどり妥協は一切ない。互いが主張を譲らないのだから仕方がない。誉も前半は最低限の発言しかしなかったが会議が白熱するにつれて口を開く回数は増えた。どちらを支持するのかというよりあくまでも実行委員会としての意見ではあったが。
 時計の長針と短針が頂点を越えたあたりで1時間の昼休憩となった。解散の合図とともに各人が思い思いのタイミングで席を立つ。誉も凝り固まった体をほぐすために一度その場で伸びをしたところで声をかけられる。華桜会のメンバーはほとんどが退出していた。冬沢を除いて。

「雨宮、どういうつもりだ」
「どういうって、何が」

 わざととぼけてみれば冬沢の声はさらに冷たくなる。

「曖昧な立場で発言してもらっては困るんだ」
「そうは言ってもねえ。実行委員会からの意見を求められるならどうしても中立寄りにならざるを得ないし」
「その意見を取りまとめるのがお前の役目だろう」
「できることはやりましたけど?」

 これ以上できることはないのだと誉が宣言する。それを契機に2人の視線がぶつかり合う。時として目は言葉の代わりとなる。誉を見下ろす冬沢の瞳はどこまでも澄んで冷たく、冬沢を見上げる誉の瞳はどこまでも真っすぐだった。しばらく無言のやり取りが続くが先に視線を外したのは冬沢の方だった。そしてため息が同時にこぼれる。

「そうか。ならこれ以上言うことはない」
「ご理解いただけてなにより」
「それと、午後からの会議には出なくていい」

 誉は片眉を跳ね上げる。

「へえ。もう必要ない?」
「実行委員会側の意見は概ね理解した。後はこちら側で結論を出すよ」
「納得のいく結論を待ってるから」
「ああ」

 そう言って冬沢も会議室を後にする。そして、誉だけが取り残される。
 誉が踏み込めるのはここまでだ。ここから先は華桜会の中で決着を付けなければならない。そして、それが最上のものであることを願う。