小説(スタミュ) | ナノ

2学期の話(9.5)

 中等部時代の大半、千秋は雨宮に対して苦手意識を持っていた。澄ました笑顔の下に本音を隠し、他人と必要以上に馴れ合わずいつも周囲とは一線を引いた位置にいる姿がどうしても幼馴染とダブって見えたからかもしれない。
 けれど、転機は唐突に訪れた。千秋が所属することとなった生徒会。そこには冬沢もいて雨宮もいた。そんなある日、後輩である南條がいないタイミングで雨宮が爆発したのだ。地震か噴火のようだった。今まで溜めに溜め込んできたフラストレーションが一気に解放されたらしい雨宮は千秋と冬沢の前で怒鳴り散らし子供のように大泣きした。泣いて泣いて、理不尽な文句を振り撒き、一種の八つ当たりをする彼女は千秋が知る雨宮誉の姿ではなかった。その時、冬沢が珍しくも狼狽した様子でなんとか雨宮を宥めようとしていたのはよく覚えている。結局、逆効果にしかならなかったが。
 つまるところ、雨宮は綾薙の中等部に入学してから一度も冬沢に勝てないことが大層気に食わなかったようだ。目の前を走る冬沢を追い抜くことができず、けれど立ち止まることなどできる訳もなく必死に食らい付いてきたが、それが3年目に突入しついに雨宮が折れた。このまま立ち上がれないのではないかと思わせるほどの荒れようだった。真っ赤になった目からぼろぼろと流れる涙も、過呼吸のようにしゃくりあげる声も全部が痛々しく、千秋も懸命に雨宮を落ち着かせる努力をした。思わず妹と弟のことを思い出したのは仕方がないだろう。
 当然、千秋もそして冬沢も気まずくなったのは言うまでもない。これが大した繋がりのない生徒との間で起きたのならばそこまで問題ではなかったのかもしれない。けれど生徒会として今年度いっぱいは共に活動する仲だ。嫌でも顔を合わせなければならない。同情と、少しの煩わしさがあった。
 けれど、翌日の生徒会室で居合わせた雨宮はあまりにも普通だった。むしろ妙にすっきりとした様子で、いつもよりいくらか遠慮がない物言いを始めたのには驚いた。倒れてもただで起き上がるような人間ではなかったのだと、千秋は雨宮の強かさというか図太さを呆れ混じりに尊敬した。



「あれ、アッキーが休みに来てるなんて珍しい」

 呼ばれ慣れて久しいこの愛称はすっかり千秋の中で馴染んでしまった。そういうお前はいつ休んでるんだ、という言葉は飲み込んだ。小走りで寄って来た雨宮が千秋の横に並ぶ。

「週明けの会議100パー長引くだろ。仕事なるべく終わらせときたいんだよ」
「確かにね」

 苦笑した後で、ふう、と雨宮が小さく溜め息を吐いたのが見えた。そこからは多少の疲れが伺える。

 先日のプレ公演での2年の乱入というアクシデントは、四季の一声により事態が一変した。常に四季の、首席の代行として前に立ちプロジェクトを推し進めてきたのは冬沢であった。けれど、そんな彼の言葉に真っ向から立ち向かったのが四季だった。意見の衝突は何も悪いことではない。だが、今のこの状態がよいものでないのは明らかだった。うまく回っているかのように見えた華桜会のバランスに目に見える形で歪みが生まれた。
 そして、それに振り回される羽目になる人間もいる。
 
「実行委員の方でも会議あったんだって?」
「そうそう。おかげ様で仕事が遅れちゃって。今週は休めると思ったんだけど」
「御愁傷様」

 困ったものだ、と分かりやすく雨宮は肩をすくめた。綾薙祭で実際に中心となって動き回るのは実行委員会だ。今の段階でプログラムに変更があり一番困るのは彼ら、彼女らだろう。

「で、どうなんだ」

 主語のない千秋の問いに、けれど雨宮は意図を理解したようで前を向きながら答える。
 
「賛否両論、かな。ステージジャックされて心穏やかじゃない人達もいるけど四季派がやや優勢」
「なら実行委員会は四季につくのか?」
「それは……」

 雨宮はそこで言葉を区切る。続きはなかなか出てこない。

「お前も例の会議に参加するんだろ」
「冬沢のご指名で」
「その意味、分かってんのか」
「勿論」

 オープニングセレモニーの出演者枠拡大の是非を問う話し合いの場に雨宮の参加が決まったのは冬沢からの提案だった。綾薙祭運営に携わる組織から意見を求めるのは理にかなってはいる。しかし、それが建前でしかないことは明らかだった。
 
 雨宮は、冬沢派だ。
 そうでなければいくら実行委員長であろうと彼女を同席させはしないだろう。今まで実行委員会はオープニングセレモニーに関してはほとんど不干渉の立場を貫いているし、始めからそういう約束で物事は動いてきた。

「アッキーは、どうするの」

 ちらりと雨宮に目を向けられ、思わず反らす。彼女があまりにも真っ直ぐとこちらを見ていたからだろうか。

「さあな。まあ、あっち側に入れてもらうのも悪くはねえ」
「そっか」

 千秋の言葉に雨宮は軽く返す。もう、彼女の中でも答えは出ているのだろう。
 だが、それは本音なのだろうか、建前なのだろうか。彼女個人の意見なのか、それとも実行委員長としての意見なのか。
 
 雨宮はいつの間にか千秋に向けた視線を前に戻していた。入れ替わるように千秋は隣を歩く雨宮を見る。
 中等部の頃とは随分と雰囲気が変わったが、軸はそう簡単には変わらない。自分の本音をさらけ出すことを覚え、周囲との関わりを増やし友人も増えたようだが、合理主義や成果主義はそのまま。優等生は優等生のままだ。
 だからこそ、冬沢は雨宮を手放さない。決して自分の思惑から外れた選択をしないのだとある意味で信用している。その上、優等生の雨宮が冬沢の期待に応えようと尽力していることも知っている。
 ただ、冬沢には小さくない思い違いがある。彼女は冬沢が思っている以上に情に絆されやすいし、義理は通す人間だ。いつまでも冬沢の手の上で都合よく転がってはいないだろう。
 千秋は雨宮の強かさをよく知っている。だが、
 
「腹、くくったのかよ」
「さあ?」

 問いかけをはぐらかされた。雨宮は未だに腹を据えかねている。冬沢を前にした雨宮はあまりにも行動が制限されていた。本人にも自覚はあるようだが、とにかくらしくない。本性がバレた中等部時代の方がまだポテンシャルがあった。
 冬沢と雨宮の関係はビジネスライクなようで、実際はもっと面倒な感情が絡み付いている。それは端から見た千秋からは余計に理解ができないものだった。

「いいよね、四季くんは」

 唐突に現れた男の名前に千秋は怪訝そうに眉をひそめる。対する雨宮の表情には少し、寂しさのようなものが浮かんでいた。

「何がだ」
「羨ましい、って話」
「……そうかよ」

 雨宮が指し示すそれは千秋にも覚えがないとは言い難い感情だった。