小説(スタミュ) | ナノ

2学期の話(7)

 休日の学校というのは意外に悪くないと常々誉は思っている。妙に人気のない独特の雰囲気だとか、誰の視線も気にしなくてもよい静かな環境というものはそう簡単に手に入るものではない。
 レッスン室でひとしきりピアノの練習の終えた誉はそのまま部室へと足を運んだ。綾薙祭の準備期間中ということもありいつもより人の声や気配は多いが、それでもいつもの校内とは違う。生徒の数が少ないというだけで学校という場所は全く違ったものに見えてくる。生徒が校内を満たし巡る血液だとするならば、休日の学校は一種の死体だ。活気がなく、生気がなく、冷たい。
 広報部の部室の鍵を開けた誉は部長用の椅子へ座り、机の上へ書類を用意しパソコンを立ち上げる。休日に仕事などしないのが理想的ではあるが上手くはいかないのが現実だ。例年の実行委員長も何だかんだで休み返上で仕事をしていたと聞く。ならば誉もそうなるのは当たり前のことではあった。その上、今年は綾薙祭改革のため仕事量は増えた。
 けれど、誉はそこに不満も文句もない。改革、実にいい言葉だ。自分達の代の華桜会が学園を変えようとしている。それを応援する同期は多く、そのうちの一人であるのが誉だ。
誉は綾薙祭実行委員長となるべく広報部の部長の座を射止め、そのために1年の頃から優等生としてのアドバンテージを最大限利用してきた。教師からの信用を集め、同輩や先輩後輩の前では優秀さをアピールしてきた。
 箔、が欲しかったのだ。誉は自分の実力も能力もよく理解していた。どこまでが限界なのかを把握していた。だから、自分では手の届かない場所があることも気が付いてしまった。けれど、簡単に諦めるなんてこともできずひたすらに評価と称賛を集めた。そうして少しでも自分の見栄えをよくするための努力は惜しまなかった。鍍金だと言われたってかまわない。それでも自分が得た地位と名誉であるという事実は変わらないのだ。
 綾薙祭実行委員長を目指した理由もそんなものだ。綾薙学園最大規模の行事での運営のトップというものは今後の進路を決めるにあたって大きな切り札になり得る。そして、そのためには綾薙祭が失敗するだなんてことはあってはならない。
 同期を応援したいのも事実だが、自分の将来のために利用しようとしているのも事実だった。綾薙祭を成功させたい理由は一つじゃなくてもいいはずだ、きっと。

 仕事のほとんどが片付いたところで部室に顧問の教師が現れた。そして手に持っていた紙袋を誉に渡す。週末を利用して合宿中のオープニングセレモニー参加予定の2年生と指導者である華桜会へ差し入れを用意したらしい。先生が持っていけばいいのでは、と主張した誉であったが、合宿場所をしらないし雨宮は華桜会に知り合いがいるから任せる、とだけ言い残し顧問は去って行ってしまった。
 何かと生徒-華桜会-に協力的な教師であるのは非常に助かるがこういうマイペースな部分はどうにかして欲しいものだと誉はため息をつく。生徒の自主性を重んじた結果、なのかもしれないが。
 というか誉も合宿場所なんて知らない。完全に管轄外もいいところだ。仕方なく千秋と連絡を取ってみると、校内には冬沢と四季がまだいて夕方から合宿場所へと移動する予定だということだ。ならばその二人のどちらかに任せればいいか、と誉は部室の扉を開いた。


 華桜館に行けば少なくともどちらかはいるだろうと思っていた誉であったが、校舎から華桜館へと向かう最中に四季を見かけた。しかし、彼が向かう先は華桜館ではなさそうだった。いったいどこに行くつもりなのか、と思いもしたが気にしたところで仕方がないので構わず声をかけた。

「四季くん!」

 少し距離をあけた先の燕尾を着ていない首席はその声に顔を動かして誉を見るとそのまま歩み寄ってくる。

「何か用か」
「これ、うちの顧問からの差し入れ。合宿中の2年生達と食べてね」

 そう言って誉は四季に紙袋を差し出した。受け取った四季は一瞬きょとんと無防備な表情を浮かべた後に笑う。

「悪いな、雨宮からも礼を言っといてくれ」
「うん」

 四季は紙袋の中身を興味深そうに覗いているが、包装されているため何が入っているのかは分からないだろう。誉も何が入っているのか詳しくは知らない。

「冷やして食べてって言ってたからたぶんデザート系?」
「へえ」
「……今更過ぎるけど甘いものとか平気?」

 あの顧問ははたしてそのあたりの配慮をしているのか。

「俺は問題ない。華桜会のやつらもたぶん大丈夫だろう。2年は、ちょっとわからないな」
「だよねえ」
「まあ、何とかなるさ」

 そう四季に言われるとなんとかなる気がしてしまう。言葉に妙な説得力がある。カリスマ性、と言ってもいいのかもしれない。誉は彼が焦ったところや慌てた場面は見たことがなかった。いつも超然としていて周りとは少しだけ見ている場所が違うような、別次元で生きているような、ある意味で異質な存在だ。

「雨宮は今日も仕事か?」
「それと練習」
「大変そうだな」
「それは四季くんもでしょ」

 華桜会首席という立場という重さは誉にも想像は容易い。この学園のシステム的に華桜会が多くの権限や責任を有しているのは明らかなことで、そこのトップともなると言うまでもない。

「いや、雨宮にはタイムテーブルの件も手伝ってもらったからな」
「ほとんど四季くんがやってくれたけどね。私は2年の代打探したくらいだよ」
「2年に肩入れして冬沢怒らせたって聞いたぞ?」
「別に肩入れしてるわけじゃないし。あと、それに関してはもう終わったから」

 結局2年MS組Aチームはクラス公演の枠に復帰することはなくなってしまった。その機会を捨てたのだ。誉もやるだけやった結果なのでこれ以上はどうこうするつもりもない。
 いや、それならば、と誉は四季に疑問を投げかける。

「2年に目をかけてるのは四季くんの方じゃないの?」

 2年を焚き付けた、と聞いたその時は四季斗真がまた突拍子もない行動をとったのだと思った。彼が何かと機会の平等性を気にかけているのは知っているつもりだ。やれやれ、と呆れつつも彼らしいと納得したものだ。
 けれど、現状を見ていると決して楽観できない状況なのかもしれない。
 四季の思想は綺麗事ではあるが間違ってはいない。正しいと思う者もいる。だが、それは華桜会という組織の理念との齟齬がある。彼はそんな華桜会を変えたいと思っているのかもしれないが、互いの主義が衝突した時の周囲への影響は計り知れない。
 具体的には四季と冬沢とが、だ。
 現体制の華桜会が誕生した春から今まで組織は実に上手く回っている。プロジェクトを次々に立ち上げ学園に新しい風を吹かせようとしている様子は誉から見ても実に気持ちの良いものだった。四季は表立って行動はしないものの裏で手回しや説得に尽力していたし、そんな彼の代行を務める冬沢には非の打ち所がなく、他の3人もサポートを行ってきたのだ。そう、上手くまわっている、はずなのだ。
 だが、綾薙祭を控えた今、四季と冬沢の思想は食い違い始めているように思える。もしかしたら誉の考えすぎなのかもしれないし、このまま何事もなく終わるかもしれない。

「ほどほどに、ね」

 結局、誉は無難な言葉しか言えなかった。彼の思想を否定するなんてことはできない。四季は誉にはない視点で、それこそ普通の人間の思惑の外側から事態を俯瞰しているかもしれない。そこに自分の「綾薙祭成功のため」という主張をぶつける度胸はなかった。

「そうだな」

 四季は相変わらずの何を考えているのかわからない穏やかな表情のまま視線をずらした。誉がその先を追えば学園のシンボルである時計塔がある。そういえば彼が向かおうとしていたのはそちらの方向だった気がする。

 時計の針は人間の都合などお構いなしに容赦なく進む。一歩通行で決して戻ることはなく、止まることもない。
 今の誉達に無駄にできる時間はない。