フィリア
※オメガバースパロ。ぬるいですがR18
140字ssよりこれの続き


 彼も私もαで、それぞれまだ見も会いもしない番に惹かれて、ひとつになるものだと思っていた。
 アイドルでありマイペースながら色んなことをたくさん考えている凛月くんと、ごく普通な社会人である私は、第二の性というものに縛られることなく恋愛をしていた。どうして彼と付き合えているのか不思議でならないが、自然現象を訝しんでいたっていつまで経っても前に進めないのでまあいいかと思ってしまう。そういう性格なのだ。
 互いがαである以上、Ωの誘惑には負ける。いくら私が凛月くんのことを好きで、愛しているとしても、だ。喉が渇けば水を求めるように、きっと手を伸ばしてしまう。それは分かり切っていたから、付き合うにあたっていくつか話したことがあった。
 今から思えばのらりくらりとしていない真剣な調子で凛月くんが話してくれたのを思い出す。いつか唯一の運命というものが目の前に現れたら、必ずお互いに相談して、その時にちゃんと話し合おうと決めていた。その約束事はまだ実行されるに至っていないが、そのいつかはきっと来るんだということは重々に承知している。でもそれを考える度に、心に暗く影が落ちるから、辛いなあなんて思ってしまう。性、あるいは本能で惹かれることはあっても、凛月くん以上に愛せる人なんているかどうかも分からないのに。きっと、そんな人はいないのに。
 自分の将来をまだ知らぬ誰かに任せるより、よく知る人と添い遂げたいと思うことはいけないことなのだろうか。
 αは優秀だという世間体が強く、しかしながら私はαの中では平均的な人間だった。誰もかもを惑わすフェロモンを持つわけでもなければ、成績、身体的に突出して優れているわけでもなく。でも周りから見てみると「βに比べれば」なんて思われるわけで、仕事なんかも任されることは多い。努力している人はどの性でもいっぱいいる。その人たちにも機会が巡ってくればいいのに、なんて会社のデスクに積まれた仕事のファイルを見て思うのだ。
「……なあに、悩みごと?」
 ソファに座って、ぼんやりしていた。後ろからふわりと香った凛月くんの匂いと柔らかい声音にびっくりして、振り向きながらおかえりなさいを言う。彼は「うん、ただいまあ」とふわふわ笑いながら私の頭にキスを落として、背後からハグをして甘えるようにすりすりと身を寄せてきた。時計を見れば夜の八時を過ぎている。彼がご機嫌なのも納得だ。「高校生のときなんか昼間も寝てたよ」と楽しげに話していたが、大人になるにつれてきちんと昼間は起きるようになったようだ。でなければ困るということもあるだろう。彼は多くの人に愛を与える仕事をしている。
「悩みっていうほどでもないよ。ただ、深刻に考えちゃっただけ」
「……そう?」
 後ろからのしかかったまま、小首をかしげて本当のことを見極めようと私の目をじっと見つめた。咄嗟に何でもないと言ってしまった後ろめたさから、じわじわとした怖さに支配される。誰でも正気を失って、従順にさせられてしまいそうな瞳が私を射抜く。
「んー……あっ」
「な、なに……?」
「寂しかった?」
 じいっと私を見ていた凛月くんが急に目を丸くして、何かを思い出したように声を上げた。先ほどとはまた違うどきどきに心臓のあたりをさりげなく抑えつつ、彼の続けた言葉に「えっ」と声を漏らす。全く寂しくなかったと言えば嘘になるが、そんなに恋愛に生きた女ではないのでどうなのだろうと考えてしまう。凛月くんはフリーズした私から離れると、鼻歌交じりにバスルームへと消えていった。彼が去ってからも、残り香が辺りを覆って、どうにも力が抜けてしまう。すごく、好きなにおいだ。熟れた果実のような、綻んだ花のような。香水でもつけたのかな、と、いつの間にかソファの背もたれにかけられている、春用のコートをちらりと見た。シャワーの音が雨の日みたいに聞こえてくる。

 いつもはマイクを握っていたり、マグカップを持っていたり、ピアノの鍵盤を叩いている凛月くんの手が私に触れている。それだけでもたまらなく幸せな、なんだか特別にでもなったような気分になるのだ。それなのに彼はさらに快感の淵に私を追いやるので、ある意味たちが悪いんだろう。月の夜が良く似合うこの恋人は、私をうんと甘やかしてから覆いかぶさる。迫り来る快感を逃がそうと、丸い頭に手を添えて撫でてみる。凛月くんは驚いたように顔を上げ、それからうっとりと目を細めて「もっと」と囁いた。さらさらとした黒髪が手をくすぐる。好きだなあ、と気づけば口にしていた。それで凛月くんのスイッチを押してしまったのは言うまでもない。
 少しの交わりの後、いつもと違った甘い匂いを振りまく凛月くんに思わず縋りつく。さっきも香った、あの芳香だ。今は噎せ返るように強い。香水なんかじゃなかった。凛月くん自身から香っているのだ。
 どうしたの、と言う言葉にすら返せない。くらくらとする視界のすみっこで、凛月くんがかすかに笑って首筋に唇を寄せた。触れられているところからぞくぞくと痺れて、お腹の方へと響く。凛月くんが話すだけでも、そうなるのだ。まだ繋がったままだから、ゆるゆると腰を動かされれば身に余る気持ちよさに声を上げるしかない。
「なまえ、すーっごく甘い匂いする……」
「ん、う……やぁ……」
「あは、かあわいい……もっかいする?」
「ふ……ん、あっ……!?」
「っ……! え、なまえ……?」
 まだ熱い息が耳にかかって、それからゆっくりとした絶頂が襲ってびくびくと内側が震える。お腹に力が入って彼を締め付けてしまい、苦しそうに眉をひそめた後で、凛月くんがびっくりした顔でこちらを覗き込んできた。無理もない。私も驚いているのだ。だって、なんでこんな、凛月くんの声だけに反応して達してしまうなんて。
「ほんとにどうしたの?」
「わ、わかんない……なんで……?」
「……ねえ。なまえさ、今日香水つけてた?」
 質問の意味がわからずに、力なく首を振る。そもそも私はあんまり香水の類を付けないので、凛月くんはわかっていて言ったのかもしれないが。彼は私の反応を見て、「柔軟剤とかでもなさそうだし……となると、あとは……」とひとりで何かを考えていた。夜の彼は結構活発なので、昼間より口数も多くなるしとても元気だ。だから脳もよく回転するのか、その思考に置いてけぼりにされる。どうしたものかとただただ凛月くんの思案顔を見上げていれば、急に顔の距離を詰められ、お腹が圧迫されたから足が震えた。あ、ごめん、と凛月くんは軽い謝罪の後で「なまえ、明日仕事休んで病院行こう」と至極真面目な顔でそう告げる。背筋が泡立ったのは、何が原因だろうか。


 診察をしてくれたお医者さんが言った言葉がすぐには理解できずに、私は口を閉ざした。動揺しているのが分かっているのだろう、医師はもう一度丁寧に説明を繰り返す。
「血液型はいろんな組み合わせがあって、優性遺伝がその人の血液型になるんです。ええ、これは割と有名な話ですよね。実はオメガバース性もそれと同じで、劣勢遺伝が隠れているんですよ。だからΩの方でもほんの少しαが混ざっていたり、逆にαの方でもΩの性が混ざっていたりするんです。これは知らない方のほうが圧倒的に多いので、驚かれるのも無理はないと思います」
 診察室のモニターにαとβとΩが割り振られた表が映し出され、ボールペンで指し示された先へと視線が誘導される。
「それで、このように……この図で見るとここですね。αとΩが交わってるところ……みょうじさんは今ここにいるんです。逆に、αとαのような完全な遺伝は滅多にないので、検査でΩが混ざっていることが初めてわかってびっくりされる方も沢山います」
「あの、それじゃあ……」
「とは言っても、ほとんどは症状が出ないままで一生を終えます。でもたまに、隠れた性の方が顔を出して、それが身体に影響することもあるんです。割合的には……そうですねえ、百人集まって十人いるかいないかくらいですかねえ。これ、意外に多いって言えるんですよ。みょうじさんもおそらくは出やすかった人なのかもしれませんね。今日は診察していただいて正解でした。放置しても悪い訳では無いのですが、私たち医者は心配なことがあれば診察されることを勧めますから」
 今まで症状が出ていたかどうか、今服用している薬があるかどうか、アレルギーの有無などなどを聞かれて、ぼんやりとしながら一つ一つ答えていく。それからひとまずは三ヶ月様子を見て、また何かあれば診察することで話が終わった。念の為の抑制剤も処方してくれ、話の壮大さに上手く頭が回っていない私は、帰り道に「とりあえずいいお医者さんで良かった」と口にして、凛月くんが少しの間笑っていた。ゆったりと笑う彼から、昨日とおんなじ匂いがする。気付かれないようにそれを吸い込んで、なぜだか酷く安心して息をついた。
 これからどうなるんだろう、なんて、進路を選ぶ学生みたいなことを思う。今までと変わらないかもしれないし、もしかしたら変わるかもしれない。しかし運命は私の手ではなく凛月くんの手の中にあるような気がした。最寄り駅から家への道を、静かに歩いていく。夕方のその道は、それぞれの家庭の匂いがした。
 お腹すいたなあなんてのんきに考えていると、誰もいないからと凛月くんに手を握られる。外ではこんなこと今までなかったから、どうしたんだろうと彼のほうを見た。凛月くんはまっすぐ前を見ながら、そっと口を開く。
「辛くなくても言ってね。できる限りいろんなことしたいから」
「えっ」
「発情期とか、来るかもわかんないけど……あのお医者さんももしかしたらって言ってたし、体調おかしかったら直ぐに言って」
「えっと……凛月くん?」
「なあに?」
 穏やかな目が私を見た。なぜだかとても、嬉しそうだ。
「一緒に、いてくれるの?」
 私の情けないほどに震えた声に、彼はなぜかびっくりしたような顔をして、それから楽しそうに「なまえ、俺はねえ、運命なんて信じてないの」とつないだ手をゆらゆら揺らす。
「偶然が重なりすぎて、そう思うだけ。用意された罠に、気づかないだけ。……なまえがΩの性質を持ってることなんて、とっくのとうに気付いてたよ」
「……うそ」
「ほんと。いいにおい、ずっとしてたの」
 眉を下げてふわふわ笑う凛月くんが、黙っててごめんと目を伏せた。凛月くんのせいではない。性が決められているのは、誰のせいでもないのだ。
 留め具が壊れた今、私たちが番えるとして、互いを縛っても誰からも批判されないだろう。空虚のような、達成のような気持ちになって、たまらなくなって天を仰いだ。空に低くかかる細い月が私たちを見下ろしている。私は次の満月がいつかを考えながら、きれいだねと目を細める凛月くんの手に指を絡めた。

190605
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