▼ あの子の幸せばかり願っている
湯気ったコーヒーの香りが鼻を掠める。
トーストに目玉焼き、ボイルしたウインナー。野菜たっぷりのコンソメスープ。 以上、今日の朝食。
皿の下に敷かれたギンガムチェックのランチョンマットは先週アウトレットで買ったお気に入りのものだ。 蛍があんなに長くお買い物に付き合ってくれたの初めてだったなぁ…。 うまく半熟に出来た目玉焼きを眺めてにやにや思い出していたら、頭頂部への軽い衝撃に思わず振り向いた。
“ はやくして ”
“ はーい ”
こんな無言の意思疎通も長く生活を共にしていると割とよくあることだったりする。 いつも通り平和な朝の食卓だ。 明日が特別な日であることを除いては。
「ついに明日だねぇ、結婚式」
「…ねぇ、いい加減飽きない?連日同じようなこと聞かされるこっちの身にもなって欲しいんだけど」
「嬉しい日にカウントダウンは付き物なんですー! …あ、天気予報見たい!テレビ付けていい?」
またか、と言わんばかりの彼の視線を無視してリモコンへ手を延ばす。
式の日付が週間天気予報に表示されるようになってからというものの、まるで運試しのような気持ちで頻繁に天気予報を見るようになった。 それに文句も嫌味も言われたことはないので、なんだかんだで彼も気にしてはいるんだと思う。 昨日は降水確率0%の表示に彼が小さく息をついていて、なんだかあたたかい気持ちになったりして。
「別に大丈夫でしょ」
「うーん、でも見ないと気が済まないんだよねぇここまできたら」
『ーーー明日のは、晴れ時々曇り。降水確率30%です。所によりにわか雨が降るかもしれないので、折り畳み傘を持っておくと安心です』
「え」
「へぇ」
「え、え、嘘でしょ!?昨日は0だったのに!!なんで!?」
可愛いお天気お姉さんの顔が今回ばかりは悪魔に見えた。 何故だ。安心させておいて揺さぶりをかけるのか、魔性の女か。 私が一体何をしたって言うんだ。 頭の中でここ最近の自分の行動をハイスピードで振り返り始める。 思い当たる節はない。多分。
「そりゃ天気なんだから変わることもあるでしょ」
「分かってる。分かってるけどさぁ…」
「そこまで不安になる数字じゃないと思うけど」
「だって30だよ!?三つあったら90なんだよ!?」
「いやひとつしかないから。なんなのその考え方」
**
「晴れろ晴れろ晴れろ晴れろ…」
「ちょっと」
「今忙しい後にして」
「儀式みたいで気味悪いから今すぐその大量のてるてる坊主片付けてくれる?」
彼が指差す先。 カーテンレールにはこれでもかと大量のてるてる坊主が吊り下げられていた。
床には中身の無くなったボックスティッシュの空箱とポケットティッシュのビニールが散らばっていて、私の心の乱れを顕著に表している。
「だってぇー…」
なにかしなくちゃ落ち着かなくて、てるてる坊主を作り出したら手が止まらなかった。結果この有様だ。 我ながら思考も行動も安直すぎる。
ボックスティッシュの空箱を破いていると、彼の大きなため息が聞こえた。
「一つ吊るせば十分でしょ。ほら、片付けて」
「どうしても?」
「どうしても」
てるてる坊主を見上げながら、強調するように彼はそう言った。 …そんなに鬱陶しそうな顔で見なくたっていいじゃないか。集大成だぞ。 未練を残しながらひとつずつ紐を解いていく。
「そんなに嫌だった?」
「嫌とかじゃなくて、あんなにいっぱい括り付けてたらカーテンちゃんと閉められないでしょ」
「あ」
「バカじゃないの?」
「すみません…」
またやってしまった。 後先考えずに行動してしまう。私の悪い癖。 気をつけようと思ってはいるけど、そう心がけるのはやはり一時的なもので。現実問題繰り返してばかり。 猪突猛進とは私のことだ。すみません。
自分の空回りぶりに閉口していると、彼は唐突に私の作った大量のてるてる坊主を持っていた袋に全部詰めだした。
「え、何し「ベランダ」
「へ?」
「ベランダ、出るよ」
「は?ちょ、ちょっと!」
私の言葉は聞く耳持たずですかそうですか! 彼はベランダの窓を開け、腹が立つほど長い足を外へかけた。私も急いで後に続く。くそ、コンパスの差が…!
「なんなのいきな「ここ」…え?」
「だから、ここにすればいいでしょ」
彼が指差すのは洗濯物を干すための物干し竿だった。 ここに……それ?
「ここで儀式するの?…いだっ!」
「バカじゃないの?」
また頭頂部を小突かれた。 いつものことだけどそろそろ将来が心配になってきたよ!禿げたらどうしてくれる! …嫁に貰ってくれるんだっけか。
「なら許す」
「は?」
「いえ、なにも! っていうか、そこにてるてる坊主吊るしちゃったら洗濯物干せなくなりませんか」
「今日の夕方から式の翌日までホテル泊まりでしょ」
「……あ」
「ほんと頭回らないね」
「私今なら蛍に駆逐されてもいいかもしれない」
「…その漫画は胎教に悪いから読まないでって言ったよね?」
「ゴメンナサイ」
むず痒さと嬉しさと訳が分からないのとで、とりあえず彼に寄りかかってみた。 誰だろうこの人。 …私の旦那になる方です。えへへ。 結婚式前夜仕様だろうか。優しさに磨きがかかっている気がする。
「ほら手伝ってよ。 …明日晴れるんでしょ、これ付けたら」
「……うん!」
まぁいっか。全力で甘えさせて頂こう。 彼を見てにこっと笑って頷けば、すぐ顔を逸らされた。 瞬時に明光さんの声が頭の中をこだまする。『蛍は照れくさくなるとこっちを向いてくれなくなるんだよな』 ええ、存じ上げております。
顔が見えないとなれば自然と私の目線は紐を括り付けている彼の手元へと移った。
白い肌。綺麗に切り揃えられた爪。 少し硬くなった手のひら。 バレーボールに打ち込んだ彼のかけがえのない大切な日々が、この手にしっかりと刻み込まれている。 それを私はよく知ってる。だって、隣でずっと握ってきたんだ。
そっと上がりそうになる口角を抑えるようにグッと唇を噛みしめていると、どこかから反射した日光が彼の手元を一瞬眩しく照らした。 あ、綺麗。 ほらあの回復魔法かける時の手から光を注ぐような、そんな感じ。例えが悪いなんて言わないで。
「蛍さーん」
「なに」
「ありがと」
「…別に」
てるてる坊主なんて彼にとっては本当にどうでもいいことだろうに。 それでもこうやって考えて動いてくれたということは、彼にとって私が決してくだらない存在ではないからだろう。
そろーっと彼の顔を覗き込むと今度はおでこに衝撃をくらった。デコピン痛い。 でも一瞬見えた柔らかい表情がすべてを物語っているような、そんな気がした。
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