お題1 | ナノ


▼ 曖昧ファンタジー

「花火大会のお知らせ」 
 今にも遅刻しそうであるにもかかわらず、視線を掠めた夜空を彩る光に思わず足を止めてしまう。
 今年最後の花火大会。思えば去年も一昨年も、部活に勤しんでいたために見ることは叶わなかった。
 しかしどうしたことか、貼り紙を見て一番最初に思い浮かんだのは及川の顔だった。
 朝っぱらから。私の気分は一気に下がる。只でさえ朝練で顔を合わさなければいけないのに。ああ、どうして。及川。
 あからさまに眉根を寄せて自転車のスタンドを蹴った。

     ▽

「名前ちゃん」
 朝練終了後、おもむろに近づいてきた及川は言う。
 いつもの通り真意を疑うような爽やかすぎる笑顔を張り付けて、奴は訝しげに見上げる私へ首を傾げて見せた。
「明日の夜さ、花火大会があるでしょ。それ、一緒に行かない。二人で」
「はあ?」
「アハハ、予想通りの反応」
 首に掛けたタオルで汗を拭きながら、及川は高らかに笑い飛ばす。お陰で視線が二三こちらに向いたけれど、その原因が私たちであることを認めると、皆すぐに各々の作業に戻っていった。私はこれに疑問を示す。
 そうしてその不本意が不快感へ拍車を掛けたのだった。眉間に寄ったしわを直そうとする気も起きず、私は及川を睨み上げた。
「ざけんじゃないわよ。それで誰かに見られて、霰もない噂が女子の間に広まったらあんたどうしてくれるの」
「ええー、どうして欲しい?」
「頭を丸めろ。もしくは腹を切れ」
「アハハ」
 只でさえ幼なじみという嫌なレッテルのせいで苦労をしているのだ。一般的な女子高生には本来不必要であろう無駄な労力の大半は、大変不満であるがこの及川へと注がれていると言っても過言ではないだろう。
 ならば要求としてそれくらいが妥当ではないか。
 だと言うのに、当の及川が差し出す答えとは飽くまでもふざけきったものなのだ(まあ、それで本気にするような奴だったら私はもうすこし誠意を持って付き合うし、第一そんなふざけた方法を提示することはないだろう)。
「それに夕方から雨降るみたいだし、どうせ明日は中止でしょ」
 早く更衣室に行って着替えたい。「第一、部活があるし」
 まもなく7時50分を示す時計の針に、気も漫ろに言い募る。
「まだるっこしいなぁ」
 けれどそれさえも見通しているのだろう、そう呟いた及川の声がするりと耳に吸い込まれていったかと思えば、次の瞬間額に走った強烈な痛み。目前には、あの独特の形を取る及川の右手。
 でこぴんしやがった、こいつ!
 目頭が熱くなるのを認めつつ、閃光の走った脳内は泣き声のような文句を零した。
「部活があって行けないのは名前ちゃんに体力がないからってだけでしょ」
 優越に浸った表情でそう言うのは及川。ただ歯噛みして防衛に徹するしかできないのが私。
「で、どうするの」と。
 メデューサにも劣るとも勝らない(気がする)眼力でもって見遣った及川の双眼が、そう物語っているのを確かに認める。
 だから私は迷うことなく言ってやるのだ。ついでに依然目の前に浮かぶ奴の右手の甲を打ち落としつつ。
「行かない」

     ▽

 今年最後の花火大会、ということは、つまり高校最後ということである。
 高校生活とは人生においてとても貴重なものらしい、とはよく聞く話で、だから思い切り謳歌したいと期待に胸を膨らませていた時代もあった。今は昔、中学三年のことである。
 諦めたのだ、私は。
 あの及川と再び3年間同じ空気を吸うことになると分かったそのときに。輝かしい青春時代など、眩しいスクールライフなど。
 けれど、今年最後の花火大会、ということは、イコール高校最後ということなのだ。何度でも言うけれど。
 これは惜しい、本当に惜しい。叶うならば行きたい。もちろん仲のいい友人と、はたまた部活のあの彼と。
「ならさっさと行けばいいじゃない」
 と。これは友人の答え。
 食堂の机に額を打ちつけて唸っていれば、呆れた溜息とともに頂戴した。的確すぎる言葉は胸に刺さり、私の悩みは余計に渦を巻く。
「だけど、これで素知らぬ顔して違う誰かと行ったら、私はいよいよひどい奴じゃない」
 行かないと言った手前、行けない。例えその相手が及川だったとしても。
 どうせ私を誘ったのは何らかの企みがあるからだろう。屋台の売り物をことごとく奢らせるため、とか。逆ナンを防ぐため、とか。ハジメちゃんにはすでに断られていると聞いてるし、或いは行く相手がいなくなって仕方なく私を任命したのかもしれない。くそう、私のお小遣いで自棄食いでもする気か、及川め。ああ本当に、あいつのせいで私は碌な目に遭ったことがない。
「そんなの、今に始まったことじゃないんじゃない」
 突如降ってきた声。
 驚いて勢いよく姿勢を正す。それから巡らせた視線は果たして、憎き天敵、及川徹その人を見つけたのだった。
「お友達ならはっきりしない名前ちゃんに痺れを切らせてさっさと教室に戻っちゃったよ」
 瞬時に頭を過った疑問へ何食わぬ顔で答えると、及川はさっきまで彼女が座っていた椅子を引く。私の向かいへ腰を下ろせば、奴はその形の良い双眸を細めて頬杖を突いた。
「名前ちゃんの性格が、手に負えないくらい可哀相なのは昔からだよ」
「あんたに言われたかないのよ、あんたに」
 僅かながらも感じる周囲の視線に居心地の悪さを感じ、誤魔化すように眉間に刻まれたしわへ親指を押し付けた。
「なんなの、今日はいやによく会うんだけど。暇なの及川」
「すくなくとも名前ちゃんよりは忙しいかな」
「ああそう」
 いちいち腹の立つ物言いである。
 いつもより乱雑にトレイの上のコップを手に取り一気に呷って、それから袖で口を拭う。さっきよりも喧騒が小さくなっているのは、恐らくもうそろそろ予鈴が鳴るからだろう。
 潤った喉のお陰か、幾分落ち着いた気持ちと共にトレイを持って席を立った。及川を見つけて近づいてくる女子数名を見つけたから、というのもある。
 だから嫌なのだ。
 返却口に食器を返して真っ直ぐ出口へ向かった。次の授業を思案しつつ。けれど何を思ったのか、私はそこで一旦足を止め座っていた席へと視線を送ったのだった。見えたのは何やら楽しく女子と談笑している及川だった。
 馬鹿みたい。と、思う。
 それはあいつに対してか、または私自身へか。
 人気者の及川サンのことだ、花火大会へ出掛ける相手なんて、それこそ引く手数多だろうに、変に勘繰ったり気を揉んだりしていた、私へ向けてか。
「馬鹿みたい」
 吐き捨てた言葉は丁度良く鳴った予鈴に掻き消されていった。

     ▽

 清掃時間の終盤。片手に提げた大きな半透明のビニール袋をゴミ捨て場に投げ入れた瞬間、私の視界はこれまた大きな袋を映したものだから、慌てて退こうと一歩下がった。金曜だからどこもかしこもゴミの量が多いのか、と何気なく相手を窺う。
 窺って、後悔した。
 そのまますぐに視線を逸らして立ち去ればまだ良かったものの、沈黙という反応を示してしまってはもう遅い。
 所在なく佇む私を、そいつはまだ見ようとしない。けれど私の存在を、しっかりと理解している。逃げるなよ、とその端正な横顔が物語っている。
「用がないなら戻っていい」
 居たたまれなくなって口を開いたのは私だった。負けを認めた、それでも現状から逃れられるのならばなんだっていい。
「及川」
 ガタガタ、という音を響かせて蓋を閉じると、及川は不意にこちらを見遣って、私の眉根を寄せた顔を認め、静かに笑んだ。
「そんな邪険にしないでよ、名前ちゃん」
「…………」
 下唇を噛んで、視線を逸らす。早く戻らないとサボってると思われる。
「イカ焼き焼きそばお好み焼き」
「は、」
「水風船とリンゴ飴にチョコバナナ、ああ、それから綿飴もか」
「な、なに急に……」
 呪文のようにつらつらと並べ立てられたそれらは、所謂出店の定番中の定番である。しかし何故いま、それを。
 不審者を見るような目つきで及川を見守ると、ほとほと呆れた、とでも言いたげな溜息を吐き出して奴は言った。
「素直になれない名前ちゃんのために、おっとな〜、な及川さんが出血大サービスをしてあげよう」
「なにそれ」
「好きなのなんでも奢ってあげるから、一緒に行くよ、花火大会」
「なにそれ」
 行かないって言った、とか。その悠然とした態度が腹立つのとか。普段は人をおちょくるようなことしか言わない癖に、突然そんな優しい言葉を掛けられたって、ことごとく捻た返事しか浮かんでこない。
 そうして選んだ一つと言えば「なに企んでんのあんた」その一言だった。ああ本当、可愛くない。いや、こいつ相手に可愛さなんて不必要だが。
 いよいよ口を引き結んだ私を見下げた及川の表情は、けれど揶揄するものではなかった。
「行きたい癖に」と。ぽつんと恐らくそう呟いた奴はすぐにいつものふざけた笑顔を作って首を傾いだ。
「分かんない? デートのお誘いだよ」
 泰然自若、余裕綽々。
 こいつはきっと、自分がどんなことを言ったら私がどういう態度を示すか、全部綺麗にお見通しなんだろう。
 私はそれが何より気に食わないはずなのに、結局は奴の思惑通りに動いてしまう。だって感情は隠せない。いや、違うこれはびっくりしたから。予想だにしないことを急に言われて驚いたから。
「アハハ、顔真っ赤」
 断じて照れた訳じゃあないんで取り敢えずうっさいわ及川このボゲェ。



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