▼ 神様を信じることにする
世の中は不平等で出来ている。
大して努力しなくても才能だけで何でもこなしてしまう人もいれば、生まれてきた家が大層な資産家で、一生働かなくても暮らしていけるような人もいる。それが恵まれていると思うかどうかは別問題として。
そんな無慈悲な世を憐れんだのか、神さまは一つだけ平等なものを作った。それは時間。
どんなに怠けてもどんなに努力しても、流れる時間は等しく同じで、体感の違いはあっても現実的に刻まれる時計の針の早さは変わらない。
親のすねを骨までかじった政治家が喚こうが、それは変えられないこと。
社会人になれば、自分で仕事を選び自分で自分の時間をある程度管理できるようになるものの、学生の自分たちは学校が決めた時間割の下に平等に管理され、1日の最後の授業を受けてHRを終えるといつもこの時間になる。
それから掃除当番は教室等の掃除を始め、委員会や部活動に参加する人たちは早々に教室を出て行く。
蛍もそう。
HRが終わると、じゃあねと一言だけ残して、すぐに教室を出て行く。今日もきっとそうだ。
夏休みが始まる前までは、部活が始まるまでの僅かな時間、少し教室でゆっくりしてくれていたので、他愛もない話をしたり、次に遊びに行く日や場所を決めたり、短い時間ながらも2人で話せる時間はあった。
けど、今はそれもない。これが彼氏彼女の関係なら、いくら彼でも多少は気遣ってくれたかもしれないけど、私はただの幼なじみ。彼が気遣う義理はない。
夏休みの合宿で、彼の中の部活に対する気持ちが変わったことはすぐに感じた。今が蛍にとってとても大事な時期だということは理解しているし、そんな蛍を心から応援している。
「………。」
今この胸に抱いている感情は寂しさじゃない。先述したように、私は心から蛍を応援しているし、蛍の小さな変化がこの上なく嬉しかった。子どもの頃から彼の近くにいたけど、今のように熱に充てられた彼の瞳を見たのは初めてだった。
それを素直に見せてはくれないけれど。
私は知ってる。今までうまく隠してきたけど、本当はバレーが好きで、でも溺れることを恐れて線を引いていたこと。
最近変わったねと言えば、彼はへそを曲げてしまうだろうから、気付かないフリを続けてる。
「そうそう、明日が花火大会だからって浮かれないように。22時以降は補導対象だからな。」
ふと、先生の言葉にハッとした。
花火大会。
今までは7月、8月、9月にそれぞれ一度ずつ開催される花火大会の総てを必ず一緒に観に行った。蛍は人ごみは嫌だといつも文句を言うけど、結局は渋々ついて来てくれる。
7月の花火大会は川沿いで行なわれ、規模は大きいし賑やかだ。花火も1番たくさんあがる。
けれど、今年は東京への合宿があったから行けなかった。
8月に行なわれるのは、町内の小さな花火大会。7月の規模からすると静かで花火も小さいけど、私はこの花火大会の雰囲気が1番好き。
残念ながら、今年のこの日は春高一次予選の大事な1日目で、声すらかけることなく日は過ぎていった。
そして、明日開催される港での花火大会がこの夏最後の花火大会。
私はきっと、前回と同様にまた声を掛けない。
今回は合宿も大会もないけれど、ようやく変わり始めた幼なじみの邪魔になりたくない。
神さまが与えてくれた時間は寸分の狂いもなく平等で、モタモタしていたらあっという間に過ぎてしまう。部活を大切にし始めた彼の時間を奪うことなんてできない。
それに、声を掛けない理由はもう1つある。
「HRは以上。気をつけて帰るように。」
「ありがとうございました!」
毎年一緒に行っていた花火大会。それが当たり前になってて、麻痺してた。
男女が2人で花火大会に出かけることが普通じゃないのかもしれないと感じたのは去年の今頃で、花火と共にくすぐったい気持ちが開いて、すぐに散った。
この関係を壊すのが何より恐くて、初めてのその気持ちを封印した。その行為自体が、彼を好きになったことの証明だというのに。
「名前。」
HRが終わり、蛍がいつものように私の席へと来てくれた。いつもの一言を言いに。
「蛍。今日も部活がんばってね。」
「……名前、明日の花火大会のことだけど。」
「え、」
私は驚いて彼を見上げた。まさか花火大会の話を、蛍の方からしてくるなんて。
驚いて固まりそうになったけど、驚いてる場合じゃない。
「どうせ行くんデショ?仕方ないから、今年も付き合ってあげるよ。」
「でも、……部活は?部活終わった後も、たまに明光さんのところに行くんでしょ?」
「明日は土曜日だから1日練習しても夕方には終わるし、兄貴のチームは明日練習ないってさ。」
「………、」
あぁ、花火大会は毎年一緒に行ってたもんね。それを今年まだ一度も行ってないから、気遣ってくれたのかな。
昔から変なところ優しいね、蛍は。
でも、ダメだよ。今年は一緒に行けない。
「……行かない。」
「は?」
蛍は驚いて私を見てる。毎年あんなにしつこく誘ってくる癖にって、顔に出てるよ。
「……どこか悪いの、体。」
「ううん。」
ねえ、蛍は知らないの。
私たちくらいの年齢の男女は普通、2人で花火大会になんか行かないんだよ。恋仲でもない限り。
私は、ダメだよ。
普通に出かけるだけならともかく、花火大会だけはダメ。あの去年の花火を思い出してしまうから。
散らせたはずの花火を、思い出してしまうから。
「でも、行かないの。……蛍とはもう行かない。」
去年の花火大会の大きな花火で開いてしまった蛍への想いを、今だって水面下で必死に封印してるんだよ。
恐い。
今度はもう封印できなくなるかもしれない。爆発したら、失ってしまう。そんなの耐えられないよ。
「それ、どういう……」
「じゃあね、蛍。ばいばい、今日も部活がんばってね。」
そして私は彼の横を通り過ぎて教室を出た。
教室を出た途端に涙が溢れてしまって、駆け出した足は自然と非常階段に向かった。
誰もいないこの場所で、膝を抱えて溢れる涙を必死に止めた。
ねえ、神さま。
あなたが作ったこの世界は不平等で満ちていて、大嫌い。
蛍と過ごしてきた時間は、蛍も平等に、同じだけの秒針を刻んできたはずなのに。
なのに、私だけがこんな感情を持ってしまった。こんなの全然平等じゃない、ひどい。
この気持ちが蛍にバレたら終わってしまう。何の約束もされていないけれど、きっとバレなきゃ私たちは幼なじみのままでいられる。
だから
「……何で君が泣いてるの。」
「………!」
「誘ってフラれた僕ならまだしも。」
「蛍……、」
驚いて顔を上げると、呆れた顔をした蛍が立っていた。
「どうして……、部活は、」
「少しくらいの時間ならあるよ。マネージャーも増えたから準備にそんなかかんないし。それに、あんなこと言われて僕が気にしないとでも思ったの?」
蛍は私へとゆっくり歩み寄ると、正面に立って私を見下ろした。
「おかげで山口に、ツッキーが名前ちゃんにフラれたとか言われたんだけど?」
怒ってる。この笑顔は怒ってる時の笑顔だ。
「ほんと……、黙ってちゃわからないよ。毎年あんなにしつこく誘ってくる癖に。それに、僕とはもう行かないってどういう意味なの。理解不能なんだけど。」
「理解……不能なのは……私だもん……っ…」
だって、だって、だって、だって、ああでも言えるはずない。言えない、終わりたくない。この気持ちを伝えることなんてできない。
「は?」
バカだな私。こんなの全然散らせてない。全然水面下に隠せてない。こんなに気持ちが溢れて、隠しきれないほど、
「ねえ。ねえったら。こっち向きなよ。」
蛍が好きだなんて。
「無理……っ……、」
無理だよ、今はそっち向けない。だってひどい顔してる。鈍くない蛍なら気づいてしまう、だから無理。
「無理って何。いいから、ちゃんとこっちを向い……」
「――……!」
よほど苛立ったのか、蛍は私の腕をつかんで、膝に埋めていた私の顔の頬に触れ、クイッと蛍の方へ向かせた。
「……君さ、」
至近距離で目が合って、でももう無理で私はすぐに目を逸らした。
「至近距離で何て顔するの。」
「………っ、」
バッ
もうダメだと、立ちあがって逃げようとしたけどすぐに蛍に腕を掴まれて、再び座らされた。
「逃げるの禁止ね。」
「や、離し…… ……蛍?」
離してもらおうと蛍を見れば、蛍の耳が少し赤かった。よく見たら頬も少し赤い。合宿で日焼けしたとはいえ、元々肌が白いせいで、赤くなったらわかりやすい蛍の頬。
「……これは、君のせいデショ、」
「ごめ……ん…、」
蛍も自分の顔が赤くなった自覚はあるらしく、私の腕を掴んだまま、プイと横を向いた。
「名前はさ。僕のこと好きなの?」
「………!」
もう、隠しきれない。もうダメだ。もう、もうダメだ。
「……っ…、」
「な……んで、また泣くの、」
嫌わないで、嫌わないで、嫌わないで、嫌わないで、嫌わないで、嫌わないで。
「好きじゃ……ないよ……。」
「その顔で言われてもね。」
「……嘘じゃないもん……っ…、だって、」
「なに。」
嫌わないで、嫌わないで、嫌わないで、嫌わないで、嫌わないで、嫌わないで、まだあと少しでいいから、蛍の幼なじみでいさせて。お願い。
「け…蛍は意地悪だし、背が高いし、メガネだし、イケメンだし、意地悪だけどほんとは優しいし、」
「プッ、褒めてるよねそれ。」
「ちがっ……、」
「往生際が悪いね。そろそろ観念したら。」
「し……ない、」
「………。いいよ、じゃあ僕が観念するから。」
そう言って、蛍はギュッと私を抱きしめた。
「……………あ、の……、」
「何、今更好きになってんの。……遅すぎデショ。」
「………??」
どう、なってるのか、よく
「……蛍は……、」
「………、」
「私のこと、嫌い……じゃない……?」
「は?」
私の気持ちがわかっても、嫌いじゃない?わたしのこと、嫌いじゃない?
「君はその鈍さを何とかしなよ。」
「い…ひゃい、けい、」
蛍は私の頬を摘まんで、苛立たしげにそう言った。
「蛍……?」
そして私の頬を離すと、溜息をついてまたそっぽを向いた。
「君が好きだよ。腹が立つけど、たぶん君と同じくらい。」
好き。今、好きって言った。好き?
「……え…?……え?」
好きって、わたしと同じ『好き』?
「……それは……、」
「先に言っておくけど、君と僕が同じ気持ちでも、僕の方が長いからね。時間。僕なんて去年の9月の花火大会からなんだから。」
「………!」
それは、私と同じ?
「……う、そ、」
蛍もあの花火大会のあの瞬間に、同じように好きになってくれたの?
「ずるい……、どうして私と同じなの……、」
「……?」
「私だってあの時、あの花火大会の時にわかったんだよ……?蛍のことが好きだって。でも、言ったら蛍の傍にいられなくなる気がして、ずっと隠してきたのに、」
ずるい、ずるくないけど、蛍はずるい、でもずるくない。ずるいのは私の方だ。
「なのに、ばか、蛍のばか、なんで……なんで一緒に好きになってるの、ばか、」
「もういいよ。」
「やだ、よくない、蛍のばか、ばか……っ、」
「もういいってば。」
また涙が止まらなくて、蛍に好き放題言って
「ば……か……………、うそ、すき……、」
「……僕も。」
「ん、」
不意に顎に触れられて、また顔を上げられて、唇に降ってきた蛍の気持ち。同じ気持ち。
好き。蛍が大好き。好きすぎて苦しくて、つらくて、幸せで、ぐちゃぐちゃ。もうぐちゃぐちゃだよ、蛍。
「プッ、ひどい顔。ぐちゃぐちゃなんだけど。」
「蛍の……せいだもん……。」
「ハイハイ。」
ねえ、神さま。
あなたが作ったこの世界は不平等で満ちていて、今でも大嫌い。
でもね、神さまが唯一作った平等は、本当に平等だったよ。
蛍と過ごしてきた時間は、蛍も平等に、同じだけの秒針を刻んでいて、同じだけの気持ちを育んでたよ。
だから私、これからはもう少しだけ、
「蛍。」
「なに。」
「神さま、いると思う?」
「いないんじゃない。」
「ふふ、言うと思った。」
「何それ。じゃあ名前はどうなの。」
「……今日から少しだけ、信じてみることにしたよ。神さま。」
もう少しだけ、神さまを信じることにする。
「あ、そう。」
「ふふ。」
これからも平等に、蛍と大切な時間を育んでいけますように。
どうかよろしくお願いします、神さま。