黒子ショート | ナノ

 コツコツ。風呂に入り終わり自室でゆっくりしていると、外から窓を叩く音がした。僕は眉をしかめながら時計を見る。もう11時過ぎではないか。ゆっくりと窓を開ければ犯人は予想通りの人物で、僕が脳内で思い描いていたのと同じ満面の笑みを浮かべて僕を待ち受けていた。


「テツ、ブドウのおすそ分けだよ。たくさん送られてきたんだけど、うちじゃこんなに食べきれないから」
「ありがとうございます。でも、こんな時間に屋根を伝ってくるのは止めてください。危ないですよ」
「こんな時間だから屋根伝ってくるの。インターホンなんて押したら迷惑でしょ」
「だったら明日の朝でも」
「会いたかったんだよ、テツに」


 僕の言葉を遮ってブドウの収められた箱を僕に手渡しながら、なまえちゃんはすべて知り尽くしたように笑った。自由になった手で僕の頭に手を置き、優しい手つきで撫でる。久しく感じていなかった彼女の温もりに体がこそばゆくなる。会いたいか会いたくないかの二択を提示されずとも、僕は彼女に会いたかった。


「テツ、髪濡れてる。乾かしてあげる」
「いいですよ」
「お姉さんに任せなさい」
「じゃあ、お願いします」


 家が隣の3つ年上のなまえちゃんは、笑いながら机の上に置いていたドライヤーをコンセントに繋いだ。何をするときだってなまえちゃんは笑っていた。楽しいときも悲しいときも、種類は違えど笑みを浮かべていたのだ。そして僕は、いつだってそんな彼女の隣にいた。



太陽のなきがら




 なまえちゃんは丁寧に僕の髪を乾かし始め、僕の部屋にはドライヤーが空気を吐き出す音ばかりが響く。話したいことはたくさんあった。だけどそれはなまえちゃんの醸す空気に憚られる。何だか嫌な予感がしてざわざわと胸が騒ぐ。僕はなまえちゃんが口を開くのを、ただ待っていた。


「私、結婚するの」


 無心でドライヤーの音ばかり聞いていてそろそろ耳がおかしくなりそうな頃、なまえちゃんは口を開いた。なまえちゃんは僕の背後にいて表情はわからないけど、きっと笑っているんだと思う。僕は何も言わなかった。言えなかった。そんな僕に構うことなく彼女は言葉を紡ぐ。


「テツも会ったことあるよね、婚約者。彼ね、彼の地元で就職決まって、それで私も一緒に行くの」

「ここを離れるんだ」


 ドライヤーの騒音の中でもなまえちゃんの澄んだ声はよく通る。僕は相槌の1つも打てなくて、自分が情けなくなる。


「はい、完成」


 何も言わない僕を諭すように髪に指を通される。いつまで経っても僕は彼女に頭を撫でられ、髪をとかされるとひどく安心する。僕が取り乱すことだってきっと、絶対彼女はわかっていた。


「いつか私もお母さんになるのかな」
「……きっと、そうですね」
「いいお母さんになれるかな」
「なまえちゃんなら、なれますよ」
「ねえ、一生の別れじゃないんだよ、テツ」
「それは、わかっています」
「メールも電話もできるよ」


 でもなまえちゃんからは、きっとしてくれないじゃないか。強く念じて目を見るも、彼女はただ笑って目を合わせてはくれない。彼女の笑顔は自己防衛。その完璧な鎧は、彼女の琴線に触ることを許さない。幼なじみの僕でさえ。おそらく、婚約者の彼でさえ。それどころか、婚約者のあいつは彼女の鎧にさえ気付いていないのではないか。一見とても薄く、脆そうなのに決して破ることの出来ないそれを。僕の方がなまえちゃんをわかってやれるのではないか。恋とか愛とかは、てんで理解できないけれど。共に過ごした時間の長さから、きっと僕ならなまえちゃんを。


「なまえちゃんは、僕に会えなくなるのは悲しいですか」


 なまえちゃんに向き直り、彼女の手を掴んで問う。最初は真顔だったなまえちゃんの表情が徐々に崩れて笑顔になるのが、僕は悔しくて仕方なかった。


「悲しいに、決まってるじゃない」
「けど、大丈夫だよ。テツなら」


 僕の最も深く柔らかい部分を、彼女は僕も気付かぬうちに優しく抉る。それは残酷で慈愛に満ちた行為。きっと僕は一生、この人には敵わない。

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