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「今日も待っててくれるか」
「うん、待ってるよ」

そう私が笑いかけると雅治も口角を上げて私の頭を優しく撫でた。こそばゆくてしあわせ。放課から雅治の部活が終わるまでの時間は長いけど、雅治の顔を見れるなら苦ではない。すきの気持ちは半年前に付き合い始めたときから大きくなる一方で、私のこころの大半を占めるそれは、私の精神安定になる。すき、だいすき。いくら言葉にしたって伝わりきらない。雅治はどれだけの気持ちをわかってくれているのだろう、なんて、愚問である。
雅治が頭を撫でる手を止めて、私の手を引っ張って自身に近付けさせると、すぐそこにある私の耳に「すき」と一言呟いた。それだけで私の頬はゆるゆると綻んでだらしなくなる。なんて素敵な言葉なんだろう。たったふたつの音なのに、雅治がそれを言うだけでしあわせな気持ちになる。名残惜しいながらも授業が始まるため、雅治と別れて教室に入る。席に着いたと同時に、隣の席の柳生くんからふうと小さく息をつくのが聞こえた。ため息に聞こえなくもなかった。
私の大嫌いな数学の授業。習って何になるという疑問な教科ナンバーワンである。雅治はちゃんとした答えがあるからいいって言ってた。境界線を引きたがる彼らしい答えだと思った。雅治の境界線。私は何本かあるだろうそれの、どれだけ彼に近い位置にいるのだろうか。隣でまっすぐに挙手をして教師の数式の書き間違いを指摘するこの眼鏡をかけた優等生より、近い線引きをされているのだろうか。それは単なる嫉妬であった。雅治は私と付き合いだしてから、女子と話さなくなった。私が頼んだわけではない、彼が自らそうした。しゃべる必要がなくなった、と彼は言っていた。思うことは多々あったが、あえて口に出すことはしない。それよりも私は隣の席の人物が気になってしょうがなかった。雅治が気髄気儘に接している唯一の人は、他でもない彼である。土俵が違うことなど百も承知だ。それでも一種の敵対心…というより嫉妬心を彼に向ける所以は、私の独占欲が問題だった。

「じゃあみょうじ、この∠Bの角度は?」

びくりと体が跳ねた。授業なんて全く耳に入っていない、というか入れようとしていない。まごつきながら教科書と黒板に書かれた図形を見比べていると、私の机に1枚のメモ用紙が差し出された。それに書いてある数字をそのまま言えば、教師はそうだな、これとこれが相似だから…と解説を続ける。教師が黒板を向くのと同時に答えをよこした隣の人物を見やると、前を向いたままこちらを見る気配すらない。その横顔に「きちんと授業を聞きたまえ」と言われているようで、感謝の気持ちどころか苛立ちが沸き上がる。きっと私の被害妄想でしかないと分かっている。私が雅治の彼女だから助けたのではないということも分かっている。

「柳生、くん。……さっきはありがとう」

数学の授業が終わり、彼が席を立つ前に尻窄み気味に礼を述べると、眼鏡を直す素振りをしながらまたため息ともとれる息を吐いた。

「いいですよ。次からはしっかり授業を聞いてください」
「うん」
「数学が苦手でしたら、仁王くんに教えてもらってはどうですか?彼の得意科目は数学ですよ」

嫌だった。雅治のことを我が物顔で話されることが。私だって知ってるもん。それくらい分かってるもん。幼稚な独占欲が心の中でぐるぐると黒く渦巻いている。返事もせずに俯く私を、柳生くんはどう思っているだろうか。どうでもいいや。とにかく息苦しいんだ。なんで席隣なの。次の席替えいつやるの。やだやだやだ。雅治のことを知ってるのは、私一人でいいじゃん。

「なまえ」

雅治の声。ぱっと振り向くと、だいすきな雅治の姿。昼休みはこうして私のクラスまで迎えに来てくれる。隣のクラスだけど、それすら嬉しい。それだけで真っ黒い気持ちもどこかへ吹き飛ぶ。雅治に促され鞄からお弁当を取り出していた私は、腑に落ちない表情の柳生くんを雅治が訝しげに見ていたことなんて、何も知らないのだ。





「柳生と何話しとった」

昼休みは二人で屋上で過ごす。いつもはぽつりぽつりと他の生徒も見かけるが、今日は風が強めだからか私たち以外誰もいない。昼食を摂り終えた後だった。いつもの調子でそう言った雅治の目は、いつもと違って見えた。

「数学の授業で当てられたんだけど、答えられなくて。そしたら答え、教えてくれて。お礼、言ってた」

ぼそぼそと歯切れの悪い音しか出ない。それでも他の人の話し声のしないここでは、十分に雅治の耳に届く。雅治の腿の上に座るよう言われ、大人しく従うとスカートの中に入れていたワイシャツを引っ張りだされた。なに、と声を出す前に腰あたりに痛みが走る。一本、二本、線のようなそれは今度はひりひりと熱を持ち出す。あつい。いたい。何が起きているのかよくわからなくて声を殺して耐えていると、ぬめりとした感触を傷口に感じる。舌だ、とわかったそのとき、今度は口で吸われて、また新しい痛みにくぐもった声が出る。彼は何を考えているのだろう。何のためにこんなことしているのだろう。雅治のことなのに分からない。恐怖よりも悔やみの方が大きかった。

「なまえ」

それが自分の名前だと判断するまで幾分時間がかかった。後ろの雅治の方を向くと、見えるか?と問われる。彼の目線を追ってじんじん痛むそれを見てみると、そこには私の真っ赤な血で「ニオ」と彼の名があった。まだ少し滲む血。彼の手の内の小さなカッター。私の腰の二文字の傷。彼がべーと舌を出すと、私の血で鮮やかに色づいていた。細いのにしっかりと筋肉のついた腕がするりと私の後ろから出てきて、やんわりと腰を抱く。いつもの腕。いつもの仕草。いつもと違う雰囲気、痛み。ぼんやりと霧がかった頭でわかることはただひとつ。侵されている。そしてそれは、身震いをするほどの快感でもあった。

「いつまでも俺の傍で、笑っとって」

放つそれはまるで懇願。初めて聞く声色に彼の名を呼ぶも、強く抱き締められるだけで、答えは聞かないと言われているようだった。それが嬉しくて、嬉しくて。泣いてしまいそうなくらいで。自分自身を抱き締めるように、前に回された彼の腕を抱くのだった。
雅治の心臓が、どくりどくりと、生の音を鳴らす。雅治の鳶色の瞳が、くらりと揺れる。雅治の不健康に白いしなやかな指が、私の頬に触れる。雅治の形のいい薄いくちびるがそおっと開いて。こんなにも。全身で愛されていることを知る。受け止めてと切なく泣いていている。そんな彼のために私ができることといったら1つしかないわけで、今日も飽きずに愛し愛されるのだ。

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