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 例えば私が学校一の美少女であったとしても彼は見向きもしないだろうし存在すら記憶しないかもしれない。財前光という男は、どうも異性に興味はないらしい、というのは、私の意見というより願望である。彼には仲が良いと評判の幼なじみがいた。よく一緒にいるところを目にするのは私が財前を意識しているからかもしれないが、それにしても学校中に広まっている噂である。というのも、彼も彼女も外見が人並み以上で目を引くからだ。二人が肩を並べて歩く姿はとても絵になり羨ましがる生徒も多いらしいが私はそうは思えない。つまりは嫉妬である。そんな光景見たくないのである。まともに話をしたことすらないのに。
 今日も私は机3つ分離れた彼の背中を見るばかり。頬を掻いたりピアスを触ったり、些細な動きも見逃したくはないのだ。彼の動きの1つ1つは洗練されており、私の目をくぎ付けにする。私の網膜はいつでも彼を探している。その姿を焼き付けておきたいと懇願している。

 彼が図書委員になったことは、私にとってとても喜ばしいことであった。図書室に出向けば、そこに彼はいるのである。適当な本を手に取り、不自然でない程度にページをめくっていればいいのだ。
 毎日のように図書室に来ている私のことを覚えてほしいだなんてたいそうなことは思っていない。少しでも時間を共有することができるなら、それは素晴らしく美しいことである。


「同じクラスのみょうじさんやんな。読書好きなん?」


 だからまさか彼が私に話しかけるなんて、私の名字を覚えていただなんて、思いもよらなかったのだ。彼は手に数冊の本を持っており、返却されたそれを本棚に戻しに来たついでのようだった。私はひとつ間をおいて頷くのが精一杯だった。眼前に見る財前光は、細く開かれた目に純粋に私だけを映していた。私はひっそりと息を吐いて、彼の二の句を待つ。彼は私が開いていた本の表紙を覗き込んで、小さく声を漏らした。


「これ、俺も読んだ」


 ふわり、と。空気が軽くなったのを、肌で感じた。口角をほんの少しだけ上げて、彼が、財前光が微笑んだ。私の頬は一気に血液を集めて、せわしなく鼓動を速めて、全身の細胞が騒ぎ出す。こんなにも私の体が私のものではないように疼くのは初めてだ。私はこのひとのことを好いている。財前光を、とても、好いている。こうして私の初恋はひっそりと、だが燃え滾るように熱く、放課後の静かな図書室で動き出した。




 あれから私と彼は図書室で話をするようになった。本に囲まれている彼は友人に囲まれている彼とは感じが違う。なんとなく。よく分からないけれど。1つ確かなことと言ったら、私と彼は図書室でのみ、友好関係にあることだ。私は彼を以前よりもっと目で追いかけるようになった。話をするようになり、今まで以上に彼が気になる存在になった証拠である。そうして私は、とても重要な事実に気が付くのである。浮かれていて気に留めていなかったなんて、ばからしい。


「光」


 それはそれは甘く、胸が縮こまるような声だった。私はこの声の主を知っている。財前光は彼女のもとへ行くのだろうか。行かない理由が見つからない。後ろのほうで椅子を引く音が聞こえ、気になって読書に集中することができない。今日の彼との話の種であるのに。私の神経は教室の後ろのドア辺りに集中する。見たいけど見たくない。字の羅列を必死になって目で追うが、全く頭に入ってこない。


「お弁当忘れたやろ。届けきたで」


 聞こえてきた声に振り返ってそちらを向いてしまった。見たっていいことはないと、分かっていたのに。それでも私はそのとき財前光がどのような表情をしているのか、この目で確かめたかった。
 優しさ、柔らかさ、穏やかさ、温かな気持ちを全部詰め込んだかのようなまなざし。それだけで彼が彼女を慈しんでいることがありありと伝わってくるような、特別な視線。当たり前に私に向けるのとは違う目。分かっていたのに。分かっていたのに!
 図書室でだけ楽しく話をする私が少なからず希望を持つことは、愚かだったのか。たとえ愚かであったとしても、この気持ちを抑えることはできなかった。彼が私に笑いかけてくれたあの日、私の中に財前光に対する確かな気持ちが芽生えて、私は一人舞い上がるような気持ちで学校に通っていた。目が合っただけで、話ができただけでよかったはずだ。それがいつの間にこんなに欲張りになった!頬を一筋の温い粒が伝う。私はそれを拭い取る気になれなくて、本で顔を隠してひっそりと泣いた。そんな私に気付く人は、誰一人としていなかった。




「財前君」


 図書館は相変わらずの利用者の少なさで、常連の顔見知りである生徒がちらほら見えるだけだった。小声で名前を呼べばどうしたって問いかけるような表情。彼女に向ける視線とは違う。それでも、私は。財前光のことが、すきなのだ。


「あのな、ピアス、開けてほしいねん」


 昨日買ってきたピアッサーのパッケージを後ろ手で握りしめる。小さく軋むような音がした。


「ほんまにええん?」
「いいの。開けたいんよ」


 財前君は少し考えてからええよと答えてくれた。消毒液は持っているかと問われピアッサーとともに差し出せば、準備ええなと受け取ってくれた。すぐに開けてくれることになって、司書さんが居ないのをいいことにカウンターの奥にある壁を一枚隔てた小部屋に入る。椅子を引っ張ってきて、彼が私のすぐ目の前に腰を下ろした。頭では分かっていたし、少しばかり狙っていた節もあった。それでも実際のこととなると緊張で頭が白みがかる。彼の手が私の髪と耳に触れる、それだけのことで私は自分の顔が熱くなるのを感じる。
 いくで。彼の小さな声に目を閉じれば、彼の幼なじみの顔が頭に浮かんだ。ふわふわの髪をなびかせて、甘い声で彼を呼ぶ、幼なじみの女の子。本当は羨ましくないなんて、思ってないよ。出来ることなら私は、貴女になりたい。貴女になって、私は、財前君の隣で。

 パチン。威勢のいい音がして、右の耳朶がじんと熱くなった。こんなもんで体に穴が開いたとは、何ともあっけない。財前君は後処理まで手際よくしてくれて申し訳なさもあったが別段気にした様子は見せなかった。


「片耳だけでええん?」
「おん」


 だって奇数個のピアスは運命変わるんやろ?心の中で唱える。彼にお礼を言ってすぐにその場を後にした。足取りはいつもより軽くて、それは右耳の熱が動力源に違いなかった。




 委員会があっていつもより遅い時間に帰宅することとなった。だれもいない教室の窓から落ちかけの日が顔を出していて綺麗だと感じるがもの寂しい気持ちになる。その鮮やかな朱色になぜか財前君を思い出してしまい、右耳が甘く疼く。テニスコートに寄ってみようと思ったのはそんなちょっとした出来心で、もし彼がいたらお疲れ様って、声をかけてあげられればと考えただけだった。
 テニスコートにはお目当ての人物はおろか人っ子一人いなかった。諦めの悪い私は、部室まで行ってみようと砂利を蹴った。これでいなかったらおとなしく帰路に着こう。そう自分に言い聞かせながらも私は期待を捨てきれない。もし会えたら、彼は笑って礼を言ってくれるのだろうか。緩む頬はなかなか締まってくれずに、だらしない顔のまま部室に向かった。
 部室の横に配置されたベンチに、人影が2つ見えた。反射的にテニスコートのネットを張っている部分に身を隠す。見間違えるはずもない彼と彼女がそこに座っていた。盗み見なんてしたくないのに、私の足は、顔は、目は動いてくれない。それは美しい1枚の絵画のように私を引き付ける。ずっと見ていなければならない気さえするのだ。私の耳に穴をあけたその手が彼女の頬にそえられ、愛でるように撫でるのを、私は息を殺して見ていた。彼女が彼のピアスを触り、それらが触れ合って冷たい音を発するのを、耳の奥で聞いた気がした。


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