ショート | ナノ


頭が痛い。吐き気がする。せりあがってくるものを感じながらビニール袋に手を伸ばす。すると頭に置いていた保冷剤がずれ落ちてきたのでそれを逆の手で掴む。少し温くなってきたなあ、だけど替えを持ってくるのはだるいなあ。なまえは所謂熱中症によりベッドに踞りうんうん唸っていた。帽子も被らず長時間強い日差しを浴び続けたからだろうが、髪色も影響してるんじゃないかとくだらないことを疑っていた。もし私が髪の黒色を抜いたら、今よりはいいんじゃないか。金髪の人と黒髪の人、どっちが熱中症になりやすいかってデータはないんだろうか。こんなことを真剣に考えるだけの余裕は生まれたということだ、とポジティブに考えることにした。帰宅直後に比べればましにはなったが、吐き気と頭痛はまだ引かない。
インターホンの電子音はそんななまえを不愉快にさせた。恨めしくドアを睨むと再びピンポーンとなまえを呼ぶ。居留守を使ってもいいだろうか。だって私は病人で、そうだよ寝ていたということでいいではないか。だけど。なまえは思案する。なまえはアパート2階の最も奥の部屋に住居を置いており、隣は初老の女性である。彼女はなまえにとても親切にしてくれ、なまえは彼女に迷惑をかけることはしたくなかった。その思いだけで重いからだを起こしドアに向かう。

「なまえさん来ちゃいまし…ちょっと大丈夫ですか顔色悪いですよ!?」
「熱中症で…とりあえずうるさいよ鳳……」

ああもう出て損した。なまえはがっくりと頭を垂れ、深い溜め息を吐いた。彼女の肩を落とさせた張本人である彼女の後輩、鳳長太郎は、そのでかい図体をもてあましひたすら慌てていた。どうしよう!なまえさんが!どうしよう!なまえは心底帰ってほしいと願った。病状が悪化する可能性大であった。彼女が顔を上げ、後輩に折角来てくれたけどと声をかけようとしたとき、大きな手が彼女の両肩に置かれた。鳳は先程とは反対に凛々しい顔つきで「俺何か買ってきます!」と勢いよく駆け出して行った。何だかよく分からないけど、この場から後輩がいなくなったことになまえが安堵したのは紛れもない事実である。

後輩が戻ってきたのはそれから30分程度経ってから、なまえが一眠りした後であった。彼女は幾分具合がよくなったらしく、今度は快くとまではいかないが彼を部屋に招き入れた。彼は行儀よくお邪魔しますと言って靴の踵を揃えてから部屋に上がる。毎度この光景を見て、ああ育ちがいいんだなとなまえは思う。鳳は両手のビニール袋をベッドの隣に配置された白いテーブルの上に置くと、中から購入品を一つずつ取り出していく。ゼリー、アイス、ヨーグルト、冷えぴた、アイスノン、エトセトラ。なまえは布団から出てベッドに腰掛けながら、眉をしかめた。

「なに、この量」
「まあいいじゃないですか」

鳳は寛容な笑顔だがなまえの表情は曇ったままだ。これでお金を払おうものならすごい剣幕で断るのだから腹の虫の居心地が悪い。なまえは大人しくヨーグルトに手を伸ばした。彼の好意に甘えることにしたのだ。鳳は満足そうに笑ってプラスチックのスプーンを彼女に手渡し、他のものを冷蔵庫と冷凍庫に分けて仕舞った。

「よくなったみたいで安心しました」
「うん、心配してくれてありがとう」
「台所貸してください。俺、料理作るんで」

なまえが何か言う前に鳳はもう1つの袋を持って彼女に背を向けた。鳳はなまえの1つ下の歳で、彼は現在氷帝学園高等部に通っているが隣の県の大学に通う一人暮らしのなまえの家に月1ペースで遊びに来ていた。彼らが仲の良いのは出会ったときから変わらない。鳳はなまえのことを姉のように慕い、なまえは鳳のことを弟のように可愛がった。二人の関係は今も変わらないはずである。だけれど、台所に立つ鳳の後ろ姿を見て、なまえはなんだか不思議な気持ちになった。それに上から蓋をするみたく鳳は髪の色素が抜けてるから熱中症になりにくいのかな、だけど身長が高いからおあいこかなあと再びくだらないことを考え出した。

鳳の手料理は美味しかった。素麺は病人であるなまえでも抵抗なく食べることができ、その上具沢山で栄養も満点であった。そして今、鳳はなまえの目の前で林檎の皮を器用に剥いているところだ。鳳はなまえの後輩だ。それはそうなんだけど、こんなにも頼りになる面があっただなんて。なまえは少し、面食らった。鳳からしてみれば、このくらいのことは当たり前であったのだが。

「なまえさんはすぐに熱中症になるんだから気を付けてくださいよ」

林檎を剥き終わった鳳はそれをなまえに出すとお茶を煎れ始めた。普段は紅茶を好んで飲む鳳だが、素麺を食べた後だし、第一になまえは紅茶よりも緑茶の方が好きだと彼は知っていた。

「あんなに外歩くと思ってなかったんだよ」
「お友達の買い物に付き合ったんですか?」
「まあそんな感じ」

鳳は曖昧ななまえの返事にお茶を飲むのをやめた。彼の真率な面持ちはなまえをぎくりとさせた。しゃりしゃり。なまえが林檎を咀嚼する音は、この空気からどうも浮いていた。

「男ですか」
「え?うん。サークルの先輩」

鳳は、なまえのことがすきだった。それは先輩としても、異性としても当てはまっていた。姉のように慕っていたが、彼女が自分の姉だったらなあと思ったことは一度たりともない。鳳は彼女の言う男について想像していた。飄々とした言い方からは彼氏のような雰囲気は感じなかったが、男はなまえのことをどう思っているかは分からない。そう行き着いても鳳の心中は穏やかであった。もちろんいい思いはしないがそこにはある種の余裕が確かに存在していた。

「なまえさん」
「……なに?」
「すきですよ」

実は鳳は一度なまえに告白したことがあった。忘れもしない1年前の、今日のように暑い日だった。なまえを木陰まで運んだ鳳はすきだからしっかりしてくださいなんて訳の分からない励ましをした。実際になまえも意味が上手く掴めず適当な返事をしたように記憶している。が、鳳の気持ちは本物であった。伝え方こそ拙いものの、鳳は真剣になまえのことを想っていた。なまえはそれに気付かぬフリをした。彼女はどうすればいいか分からなかったのだ。鳳はなまえの気持ちを見抜いていたが、気付かぬフリをした。彼女が困惑していることが、伝わってきたからだ。鳳はなまえとこのままの関係でもいいやと思った。なにも諦めたわけではない。不満でなかったからだ。満足していたかと問われたら首肯しかねるが、なまえを困らせた事実は彼自身に自制をかけるのに十分な事柄だった。

去年とは違う。それは鳳にも、なまえにも言えることだ。からだの火照りや動悸の激しさを熱中症のせいにするには、あまりにも情けない。何と言葉を発しようか、適切なものを探して悩んでいる顔のなまえを見て、鳳は嬉しかった。なまえのことだけを一心に想い続けてきた鳳は、彼女の考えていることが分かった。


頬を染めて落ち着きのない様子のなまえと、そんな彼女を心からの笑顔で見つめる鳳。彼らは前にもこのように向かい合ったなあと思い返すのだ。ただ1つちがうのは、なまえの左手に輝く指輪だけ。

人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -