ショート | ナノ


月曜日

「何してるんじゃ」

頭上から声が降ってきた。聞き慣れない声だったのでシカトした。

「狸寝入りか」

違うしこれから寝るところだし。ああつまりは狸寝入りか。気付いてるんだったらそっとしておいてくれればいいのに。バレていても構わないと寝返りを打つと何かにぶつかって目を開けてしまった。声の主であろう銀髪の男がしゃがんで穏やかな表情で私を見ていた。さっき肩に当たったのはこの膝で間違いないだろう。

「あんたって仁王雅治だよね」
「おっ、ご名答」

立海生だったら誰だって知っていることだ。テニス部レギュラーの面々が何度体育会の壇上に立ち、表彰や壮行会を行ったことか。だからそんなににこにこ笑わなくても、君の名前を知っているのは立海の常識だよ、仁王雅治くん。

「隣ええ?」
「土で汚れてもいいなら」
「お前さんはいいんか」
「私はいいんだよ」

強い強い日光を遮るように木は大きく幹を伸ばす。木陰は心地好い。そよそよと葉が踊れば、私の体に模様を作る葉や幹の影もしなやかに踊り、形を変える。隣を向けば、仁王の顔の模様もゆらゆらと動いていた。やっぱり私を見て笑っていた。変な人だなあと思いながら、目を閉じた。



火曜日

私が彼に与えてやれるものなど何もない。それなのに彼は今日も私の隣でにこにこ笑っている。

「相変わらず仁王は変わってるね」
「それほどでもー」
「褒めてないから」

友達かどうかすら危うい。彼が私をどう思っているかは知らないけれど、やはり笑顔でいるので悪く思っているわけではなさそうだった。これで私のこと嫌いだったら、詐欺師は本物なんだろうと納得できる。私に着いてきてるだけで、仁王の帰り道はこちらではない、たぶん。彼が私から得ることなど何もないはずだ。言わずもがな私自身も。

「どこ寄ってく?」
「まっすぐ帰ります」
「じゃあスーパーに来てるクレープ食べるナリ」

じゃあじゃないから。私帰るから。隣の整った顔を睨むと私の視線なんぞお構い無しに口をすぼめてピュウピュウ口笛を吹いていた。あらご機嫌のよろしいこと。私がどれだけ不機嫌かを私の顔を見て確かめてほしいわ。曲がり角で急カーブして猛ダッシュしようとした私の手首をがっちり掴んで直進する。手首を己の方に引き寄せても男の力に敵うわけもないが諦める私ではない。足で踏ん張って左腕奪還に取りかかるも、手首にあった彼の手を肘に持ち直され半ば引きずられるように彼についていく羽目になってしまった。前方からチャリカゴにエコバッグを入れたスーパー帰りと思しきおばさんは、私たちのやり取りを見て微笑んで、わざわざ大回りをして私の家の方角へ曲がっていった。全然にこやかな雰囲気じゃないのに。いっそ私と彼の間を全速力で通過してほしかったのに。そして欲を言えば私を荷台に乗せてこの場から連れ去ってほしかったよ。彼はというとおばさんの勘違いが嬉しかったのか、にっこにこ口角上げちゃってスキップしそうな勢いである。もう勝手にしてくれ。私は仁王に引きずられるようにしてスーパーへと歩いた。白い鳥がピィピィ鳴きながら私たちの頭上を飛んでいった。


「美味いじゃろー?」

ポテサラとハンバーグのクレープを頬張りながら問い掛けてきた彼に、なんだか素直に美味しいと口に出すのも癪だった私は、頷きで返した。移動販売のクレープ屋は仁王の家の近くのスーパーにも毎週来て、幼い頃から気に入っていたらしい。彼が勧めてきたイチゴとバナナのシャンテクレープは確かに美味しいのだが、自分でお金出すって言ってるのに笑顔で制しておごってくれちゃう仁王が本当に分からない。私は何も与えることは出来ないのに、どうして彼はこんなことをするんだろう。
食べ歩きをするのは気が引けたため、スーパーの外に置かれたベンチに腰掛ける。彼との間の微妙な距離と沈黙なんぞ私には無関係。隣から感じる視線だって気のせいである。

私より先に食べ終えた仁王は満足そうにごちそうさまと律儀に言って、残り少しを食べきろうと剥がしたクレープの紙を捨てに行ってくれた。彼が戻ってくるのと私が最後の一口を嚥下するのは同時だった。

「さあ帰るかの」
「どこに」
「お前さん家」

当たり前のように送るつもりらしい。仁王は長い足を持て余して、私の歩幅に合わせて歩く。わざわざ隣を見たりしないけど、彼はおそらく笑っている。

「何で私にいろいろ尽くすわけ」

私の中には彼に対する疑念というより猜疑しか存在していなかった。その感情を鎧にして、私は仁王にぶつかりにいく。このままではいつまでも彼のペースに振り回されてしまいそうだったから。
隣の銀は立ち止まる。投げたままにするのはいけないから振り返れば、目を細めて、幼子を慈しむような面持ちの仁王がいた。


「俺が、楽しいから」


私は、仁王が欲しかったのは私の時間だったなんて、少しも気付きはしなかった。



水曜日

ピィピィ鳴く白い鳥になって青空を駆ける夢を見た。気持ちいいとか速いとかは何も覚えていなかったけど、目覚めは良かった。見知った銀髪も出てきたかもしれない。昨日の笑みを思い返しながらベッドから起き上がった。


今日は仁王がいないと思ったら、先回りをしていたらしい。通学路の前方10メートル先、目立つ銀髪がこちらに背を向けてしゃがんでいた。生憎私の家の前の通りであるため、ここを真っ直ぐ進むしかない。遠回りをしてぐるりと反対から、なんて面倒なことはしたくない。しかし何をしているのだろう。好奇心がないわけではなかった。

「ねえ、何してるの」

振り向いた彼の手の中の小さな白い鳥は見覚えがあった。夢の中の私だ。鳥は仁王の手中で身動ぎひとつせずに大人しくしていた。

「ここでぐったりしてたんじゃ。怪我はなさそうじゃけど」
「大丈夫なの?」
「これくらいじゃ一日経てば治りそうじゃ」
「詳しいんだ」
「ああ、まあの」

今日は仁王が家で様子見するらしい。手中の鳥は目を瞑っていたが、温さから安心してそうしているように見えた。

「明日にでも屋上から離すぜよ」
「私も行く」
「お前さんが?」

仁王の声色はからかっているようなそれでなく、驚きに期待を混ぜたようなものだった。大きく頷けば、予想通りに仁王は笑った。付き合うのはクレープのお返しみたいなものなのに、あまりにも柔らかく笑うから、思わず私も表情を崩してしまった。



木曜日

屋上の扉は分厚くて重いから開けるだけで疲れる。扉の上側からこっちじゃ、という声と共に仁王の頭がひょこりと顔を出した。屋上に数える程しか足を踏み入れたことのない私は、彼に少し心配されながら梯子を登って彼の元へと上がった。

給水塔の影になっている狭いスペースに小さめの段ボールが置いてあった。近寄れば、中で踞る小さな生き物の下には上等とは言えない端切れが敷き詰められていることに気付く。

「あんたがこれやったの」
「可哀想じゃったから」

仁王は暖かな色を灯した瞳で鳥を見下ろし、人差し指でその小さな頭を撫でてやる。杏色の小さな嘴を開けてピィ、とひとつ鳴くのがお礼のようだった。仁王の目線に促され、私も頭に指を置けば大人しいまま、撫でさせてくれた。その体温が、鳥の生を教える。「さて」仁王は一言呟いて慣れっこのように鳥を抱いた。そのまま数歩進んで、思い切り両腕を空に向かって振り上げる。鳥は勢いよく羽ばたいてあっという間に小さな黒い点になった。


「さよならじゃな」


仁王は笑った。4日間の中でいちばんの笑顔だった。きっとこれが彼の本当の笑顔なのだろうと思っていたら、そこにもう彼の姿はなかった。きっと屋上に通っていて梯子を降りるのも慣れているんだろう。足元に落ちていた鳥の羽を拾い上げる。ピィピィと鳥の鳴き声が聞こえたような気がした。段ボールの中の端切れに手をやれば、微かな温もりがそこにはあった。冷たい風に吹かれて、私は漠然と、恋しいと感じた。



金曜日

思いが諦念に昇華することはなかったから、彼のクラスに足を運んだ。行って何をするという混乱は、心の寂寥に比べたら微々たるものでそっと手を当てて目隠しをした。

「仁王雅治いる?」

後ろのドアに最も近い席の赤髪に問いかけた。彼がこちらを向いてからその人物が丸井ブン太であると気付く。私を見上げているため、膨らんだフーセンガムは顔の半分を覆っていた。パチン、小さな音を立てて割れると、そこにあったのは怪奇をいっぱいに表した表情であった。


「お前、何言ってんの。仁王はもう一週間前に転校したぜぃ」

「え、だって…」


仁王は、私の隣にいたじゃないか。今日から4日も前から、毎日。

丸井くんは「仁王の転校知らねぇ奴がまだいるなんて」と卑屈っぽく言って前へ向き直った。私はドアの外の廊下に立ち尽くしたまま。出入りする人と肩がぶつかって「邪魔」と言われてもそのままでいた。後ろの窓からピィピィと、あの鳥の鳴き声が聞こえた。

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