ショート | ナノ

清潔感のある衛生的な白が嫌いだった。整然と並んだ同じ色形の椅子もつるつる光る汚れのない床も鼻につく消毒の匂いもゆるいアーチを描いたナースステーションのカウンターも、ぜんぶぜんぶ嫌いだった。桜の花びらの絨毯に立ち止まり自動ドアをくぐり一歩中へ入った途端、息苦しささえ覚える。早足でエレベーターに乗り込み、3階のボタンを押す。大嫌いな病院に来る理由は好きなんて言葉じゃ表しきれないほどの想いを寄せている彼女がここにいるから。一息つく間に目的の階に着く。ナースステーションで面会カードを書いていると「今日も彼女さんのお見舞ね」なんて看護師に声をかけられるのもいつものことだ。大した感情も持たずにカードを箱に入れて、301号室に向かう。手指消毒をしてノックもなしに病室へ入ると、いつもの調子で俺の名前を呼び、椅子をベッドの隣まで引っ張る彼女がそこにはいる。イヤホンを片方ずつはめて二人で同じ音楽を聞いたり、転た寝をしたり、点滴を代えにきた看護師と笑顔で話す彼女を見たり。たわいのないことがしあわせだった。嫌いな病院へ足を踏み入るにはそれだけで十分すぎた。

「ねえ、雅治」

真面目な話をするとき、彼女はいつもこうやって、俺が話を聞くようにと鼻を摘まんでくる。いつも言動と行動がアンバランスで少し間抜けだが、彼女の挙動の全てがいとおしい。今日だっていつもと同じように柔和な表情をするのだから、俺はすっかり油断していたのだ。

「私、明日死ぬんだ、たぶん」

まさかそんなことを言われるなんて、思わないじゃないか。俺は今きっと情けない顔をしているけど構ってなんかいられない。困ったように笑って俺の鼻から手を離した彼女が今まで嘘をついたことが一度だってあっただろうか。考えるまでもない。退院したらあの公園で桜を見ようと持ち掛けたときの、あの曖昧な笑みを忘れたことはない。心の奥底では気付いていたことだ。それでも俺は、否定する。聞きたくないと拒絶する。

「……何、言ってるんじゃ。やめんしゃい」
「雅治、そんな顔しないで」

頑是ない子どものようにかぶりを振る俺と、母親みたいに困ったように笑う彼女。そんな顔をさせたいわけじゃなくて、俺はただ、彼女に毎日笑っていて欲しくて、そんな毎日に当たり前のように俺が居て、ほんの少しでも鮮やかに色付けられたらと、願うだけだったのに。なんでお前が死ななきゃいけない。犯罪が絶えず悪者が跋扈するこの世の中で死なねばならぬ輩が何人いる。お前は死んではいけない人なのに。なんでお前が、なんでお前が。大切なものが出来ると人は弱くなるものだ。感情のコントロールなんて自由に出来やしない。詐欺師が何だ。全国大会準優勝が何だ。70億いる人間のうちのたったひとりの傍にいられればいいのに。他のものをかなぐり捨ててでも叶えたい願いなのに。なんで叶わない。白は嫌いだ。病院は嫌いだ。俺から彼女を奪うから。
夕焼けに照らされた彼女の頬を撫でると、彼女も俺の頬を撫でる。もう体温を感じることさえ出来ないのかと思うと、抱き締めずにはいられなかった。

「今日の夜、私が眠る前に、迎えに来て」

彼女の声が鼓膜を優しく揺さぶって、俺はそれだけで泣きたくなる。俺と彼女の鼓動が同じリズムを刻んでオレンジ色に溶ける。いつまでも傍にいたかった、いてほしかった。でもそれが出来ないのなら、神様を憎むんじゃなくて、彼女を慈しもう。まだ時間は残っている。

「一緒に夜桜を見ようよ」

腕の力を緩めれば彼女の顔がすぐ目の前にある。確かめるように両手で輪郭を覆えば、彼女が静かに目を閉じた。ただ唇と唇が触れるだけなのに、こんなにも心が震えるのは相手が彼女だからだ。
彼女の最期を看取るのは、俺と月と桜の大木。きっと彼女も俺のすきな微笑みを見せてくれるだろう。


企画:薔薇子さまへ提出

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